『差異と反復』のわかりやすい読解1

今年の5月から、『差異と反復』第二章の「改訳と解釈」を4回ほど掲載したが、あらためて第二章の「わかりやすい」読解を開始しよう。

『差異と反復』は奇妙な「哲学史」でもある。そのことを確認するために、『差異と反復』「はじめに」のなかから、とても明快な文章を抜粋しておこう(ハードカバー版12頁、文庫版18-19頁)。ただし、一部改訳する。

「哲学的表現の新しい手段の探究は、ニーチェによって創始されたのだが、今日では、その探究を、たとえば演劇や映画のような、従来とは異なる或るいくつかの芸術の刷新に見合ったかたちで、遂行しなければならない。・・・哲学史は、絵画におけるコラージュの役割によく似た役割を演じるべきだと、わたしたちには思われる。哲学史、それは哲学そのものの再生である。哲学史としての報告は、或る本当の分身として振舞うべきだろうし、分身に固有の最大限の変様を包含するべきだろう。・・・哲学史の諸報告は、テクストについての、一種のスローモーションを、一種のフリーズあるいは静止を表象=再現前化しなければならない。ただし、このテクストは、その諸報告が関係するテクストであるばかりでなく、その諸報告が内部に組み込まれているテクストでもある。したがって、哲学史の諸報告は、或る分身的存在をもつ。そして哲学史の諸報告は、古いテクストとアクチュアルなテクストが互いに相手のなかで反復するという、そうした純然たる反復を、理想的な分身としてもつのだ。」


ドゥルーズは、様々な哲学や思想などから種々雑多な材料を取り出し、それらを自由に加工し組み合わせて、この本を書いたのだろう。

『差異と反復』はコラージュ風の哲学史である。だからこの本を、従来の教科書風の哲学史として読むことはできない。

しかし、材料が雑多であるからといって、そこに「でたらめ」があるわけではない。豊富な材料の一見自由な組み合わせの仕方にも、読み続けていけば、或る種の「筋」が浮かび上がるはずだ。

では、「古いテクストとアクチュアルなテクストが互いに相手のなかで反復する」とは、どのようなことだろうか。

『差異と反復』を読んでいるあいだ、わたしは、感動したり悩んだり腹を立てたりした。だが、まず読もう。とにかく、読み続けることが必要である。

次回から、直ちに第二章の「わかりやすい」読解に入ろう。「わかりやすい」とは、平明さを意味するだけでなく、わたし自身の困惑を隠さないということでもある。
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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