ラカン再開:「《盗まれた手紙》についてのセミナー」翻訳と注釈5

第1段落の2番目の文章の意訳(前回の記事での訳)
「われわれは、この概念そのもの〔「記号的に意味する連鎖の執拗な存立〈中での存立〉」という概念〕を顕わにして、外への‐存立 (すなわち、中心から外れた場所)と相関するものとみなしたのであって、われわれは、フロイトの発見を真剣に把握するべきである以上、この〈 外への‐存立 〉に、無意識の主体を位置づけなければならない。」

注釈の続き 

ÉCRITS p662におけるラカンの指摘を試訳する(『エクリⅢ』p111)―――「諸欲動は〈外に-存立する(ex-sistent )〉のだから、おそらく一切は〈そこ〉に存在する。〈そこ〉とは、〈諸欲動がおのれの場所に存在しないということ〉を意味する。すなわち、〈 あの外に置かれること( Entstellung )において、言うならば、あの位置変更において、あるいはこう言ってよければ、置き換えられた〔つまり場所換えした〕人物たちのあの群れにおいて、諸欲動が提示されるということ〉」。(以上は、法政大学『経済志林』Vol.78, No.4の352頁の訳文を訂正したものであるが、あくまで試訳にすぎない。)

《 place excentrique 》を、「中心から外れた場所」と訳した。

ÉCRITS p417(『エクリⅡ』p134)に、「フロイトが、絶対的主観性を、まさしくその根本的な〈 中心から外れること ( excentricité エクサントリシテ ) 〉において発見した」とある。

《 sujet de l’inconscient 》を、「無意識の主体」と訳す。が、「の」でよいかどうか、まだ迷っている。

すでに述べたように、 ÉCRITS のなかで、フロイトの言葉《 Wo Es war, soll Ich werden 》=「エスがあったところに、私なるものが生成しなければならない」に言及している箇所は9箇所以上あるが、ここではそのp864(『エクリⅢ』p401)のラカン自身の仏訳における「主体」を確認しておこう。

《là où c'était, là comme sujet dois-je advenir 》=「それがあったところに、私なるものは、主体として( comme sujet )生起しなければならない。」(以上は、法政大学『経済志林』Vol.78, No.4の352頁の訳文を訂正したものである。)

また、LE SEMINAIRE LIVRE XI p44(『精神分析の四基本概念』岩波書店、p57)では、「無意識の主体が顕現すること、そして〔デカルト的な〕確信の主体が確信に入る前に、それが思考する〔 ça pense 〕ということ、これをわれわれはフロイトのおかげで知っている」というラカンの叙述がある。
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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