ラカンSLV翻訳と注釈13:欲望を抑圧するハイデガー。 カント、サド、ラカンから

ブログではなかなかラカンに辿(たど)りつけないが、財津によるラカンSLVの翻訳と注釈(冒頭の数段落)は、すでに法政大学経済学部紀要『志林78-4』に発表してある。

11月になってパリの気温は急に下がり、様々な雑用に追われているうちに夏の疲れがでて、しばらく体調がすぐれなかった。その間、ラカンの『エクリ』所収の「カントとサド」の邦訳を読んでいたが、原文での論の進め方の「あざとさ」に加えて、あえて言わせていただくが翻訳のひどさで、ますます疲労感がつのった。

「カントとサド」を読んでいたのは、このブログでいま問題にしている『存在と時間』の言葉遣いの或るネガティブな特徴の意味を考えるためでもあった。すなわち、『存在と時間』では「欲望」という言葉がまったく使われていないという特徴である。

日本語の「欲望」(フランス語では《 désir デジール》)に相当するもっとも一般的なドイツ語《 Begierde ベギールデ》は、カントの『実践理性批判』では幾度も用いられている言葉だが、『存在と時間』では一度も使用されていない。

「性的快楽」や「肉欲」などを意味する《 Wollust ヴォルスト》もまた、一度も使用されていない。

フロイトでは「欲動」(例えば「生の欲動」、「死の欲動」、「破壊欲動」などにおける「欲動」)と訳される《 Trieb トリープ》というドイツ語は、『存在と時間』では4回しか用いられていない。

「欲望」に近い意味をもつ他のドイツ語の使用も極度に少ない。

「現存在(人間)」の「ゾルゲ」(これについては、後で考察する)や、「不安」や、「理解作用」や、「言語活動」を、心理学的あるいは言語学的にではなく、ひたすら存在論的に分析するハイデガーは、なぜ「欲望」の存在論を展開しなかったのだろうか。欲望の抑圧にもとづくハイデガーの「エス」とは・・・。

さて、前回に続いて松尾訳から検討しなければならないのだが、その前に「カントとサド」に関して注釈めいた情報を少しばかり記しておこう。

ラカンの「カントとサド」を理解するためには、当然、カントの『実践理性批判』とサドの『閨房哲学』をざっとでも読んでおかなくてはならない。が、いまは少しだけ後者の二つの著作に触れよう。「カントとサド」には両者からの引用文が、謎のようにちりばめられているからである。

まず『実践理性批判』に関して。『エクリⅢ』の例えば259頁に出てくる「病理学的な」という訳語はダメである。「病理学的な」と訳されたラカンのフランス語《 pathologique パトロジック》は、カントの《 pathologisch パトローギッシュ 》に相当する。これについては、岩波文庫版『実践理性批判』の巻末の事項索引における「パトローギッシュ」から、本文に戻ってカント独特の用法を理解する必要がある。岩波訳では、「感性的動因による」という解説が付されている。51頁の訳注(一)では、「病理学」とは関係が無いと明記されている。

さらに《 pathologique パトロジック》に続く段落を理解するためには、その『実践理性批判』157頁、および227頁以下を熟読されたい。

「カントとサド」の全面的な改訳と注釈は他の機会に譲るとして、279頁の9行目から始まる段落は、他と同様、意味不明の訳文であり、またカントに対してあまりに無礼な誤訳であるから、ここぐらいは改訳しておこう。

まずこの段落の邦訳の一部を示す。「これは、つまり、恐らくこの人物の前では、カントは、あまりに上品な、百歳のフォントネルに悪ふざけをしようとして、うやうやしく帽子をとると公言するような、理想的なブルジョワなのである。」

なお、その段落の前に置かれているカントからの長い引用文は、岩波版『実践理性批判』の71~72頁に見られる記述である。 (続く)
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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