ラカンSLV翻訳と注釈11:ハイデガーにおける「良心」と「エス」

まず、これまでの訳者の方々に感謝しながら、「第五七節」の私の訳文を以下に記す(『存在と時間』の原書は、2006年の第19版を用いる)。

「第五七節 気掛かり(ゾルゲ)の呼び声としての良心
①良心は、現存在〔明るみとしてうつつにある人間〕の自己を、それが『人々』のなかに紛れ込んでいる状態から呼び起こす。
②呼び掛けられる自己は、それが何ものであるかという点では、無規定で無内容のままである。
③現存在〔人間〕は、さしあたりそしてたいていは、気配りされたもの〔すなわち道具あるいは道具的世界〕の方から、自分を何ものかとして解釈しながら理解している。だが、このようにして現存在が自分を何ものかとして理解しているということは、〔良心の〕呼び声から無視される。
④それにもかかわらず、〔現存在の〕自己は、明確にかつ取り違えられることなく、捉えられる。
⑤〔良心の〕呼び声は、呼び掛ける相手〔つまり現存在の自己〕を、「どのような人物であるかは見ないで」目指すのだが、しかしそればかりでなく、呼ぶもの〔良心の呼び声〕もまた、或る奇妙な規定されていない状態のなかにある。」

文章一つひとつを吟味していくことが哲学書を読むということだ。文章一つひとつを読んで、その文章の意味を、そして文章の流れを理解しようと努め、理解を深めること、しかも理解を深めながら、本当にそうなのだろうか、それは違うのではないだろうか、あるいは文章が言わんとしていることに変更を加えることができるのではないだろうかと考えること、それが哲学書を読む仕方である。(言うまでもなく、解説書あるいは擬似解説書で何らかの哲学を知ろうとすることは、哲学書を読むこと、もしくは哲学することとは異なる作業である。)

さて、翻訳の観点から従来の6種類の翻訳に現れている訳者の苦労を追体験することは極めて面白い活動/遊びではあるが、今は、上記の表題と③の訳文のみを問題にしよう。まず、原文を記し、次に従来の6種類の訳文を一つずつ吟味する。ドイツ語を学んでいない方には迷惑なことであろうから、読み飛ばして頂いても結構である。

《 § 57. Das Gewissen als Ruf der Sorge
Als was sich das Dasein zunächst und zumeist versteht in der Auslegung aus dem Besorgten her,wird vom Ruf übergangen. 》

寺島訳「第五十七節 関心の喚ぶこととしての良心
③生存が先づ大抵配慮されたものから自己を了解してゐる所のものとしては喚ぶことに依て超えられる。」

寺島訳では、《in der Auslegung》(直訳すると「解釈において」)が抜けている。本邦最初の翻訳であるから仕方の無いことでもあろう。また、その脱落は致命的な欠陥になっていない。2番目以降の翻訳でその脱落が訂正されたからといって、寺島訳を貶めることはできない。何しろ、2番目の翻訳は戦後15年も経過して登場したのである。

「関心」は《Sorge ゾルゲ》の訳である。これについては、後で詳論しよう。

「喚ぶこと」は、《Ruf ルーフ》の訳である。ふつう、「叫び」あるいは「叫び声」、「呼びかけ」あるいは「呼び声」である。訳者は、「声」まで入れて訳すべきどうか、迷ったはずである。迷った挙句、「声」を訳出しなかったのだろう。これについては後で詳論しよう。

「良心」は《Gewissen ゲヴィッセン》の訳である。語源的にしつこく訳せば、「(善悪を)確実に知っていること」である。

「生存」は《Dasein ダーザイン》の訳、「配慮されたもの」は《Besorgten ベゾルクテン》の訳、「了解してゐる」は《versteht フェアシュテート》の訳である。

以上すべてハイデガー独特の用語であるから、後でまとめて問題にしよう。

さて、③のドイツ語原文の構造は曖昧である。曖昧というのは、どれを文章の主語とすべきかで、解釈の可能性が分かれるということだ。寺島訳は、一貫して《Dasein ダーザイン》を主語とみなしている。

ただし、苦労して意訳した邦文が、あまり明快ではないので、寺島訳の訳文を生かして、わかりやすく言いなおしてみよう。ただし、訳文の「越えられる」は誤訳に近いので、「無視される」に直す。「生存」は「現存在」に直す。

原語の《übergangen ユーバーガンゲン》という過去分詞の原形は《übergehen ユーバーゲーエン》である。これは「移る」という自動詞の意味で使われる場合と、「無視する」という他動詞の意味で使われる場合がある。ふつう、「移る」という意味での動詞の過去分詞は《übergegangen ユーバーゲガンゲン》であり、「無視する」という意味での動詞の過去分詞は《übergangen ユーバーガンゲン》である。

「③現存在は、それが先づ大抵配慮されたものから自己を〔解釈し〕了解してゐる所の何か或るものとしての限りでは、喚ぶことに依て無視される。」
(続く)
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財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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