ラカンSLV翻訳と注釈9:ハイデガーのes、再開

3月11日に起きた原発事故の後、SLVのブログ記事が中断してしまったが、本日から再開しよう。もちろん、原発事故に無関心になったわけではない。多くの様々な組織の根本的な無責任、人命を犠牲にした利益重視、これを忘れたわけではない。日本から遠く離れたこのフランスでも、福島はどうなったかとしょっちゅう聞かれる。そのたびに、日本政府は少なくとも子供たちは全力で守っていると答えられず、恥ずかしい思いをしている。多くのフランス人たちは礼儀正しいので、フランスの原発設備と事故対策の方が日本のそれよりも優れている、フランス政府は人権を重視しているなどと、面と向かっては決して言わないが、それだけに悔しい思いをしている。しかし、今はSLVに戻ろう。

以前の記事を読み返してみると、所々に不明確な表現や脱字が見られたので、できるだけ訂正しておいた。

以前また、「ラカン、ドゥルーズ、ハイデガーについての翻訳・注釈を、このブログで、およそ一月ごとにリレーしながら公開していく予定である」と書き、「現存在(ダーザイン)の二義性、世界内存在と気遣い(ゾルゲ)の構造、実存の全体性と本来性、などを平易に説明」する予定だとも書いた。しかし、これも撤回したい。まずSLVの翻訳と注釈を或る程度のところまで進めよう。ハイデガーについては、「エス(es)」に関して問題提起をするだけにとどめよう。

現在、モニク・ダヴィド=メナールの『ドゥルーズと精神分析学』の翻訳に取り掛かっている(河出書房新社から刊行予定)。そのためにも、ドゥルーズの『マゾッホとサド』、『差異と反復』、『アンチ・オイディプス』などを原書で読み返している。いずれ、この作業と「SLVの翻訳と注釈」の作業は重なってくるはずだ。

ラカンの「《盗まれた手紙》についてのセミナー」の冒頭に置かれたドイツ語のエピグラフのなかの「エス」から始まった記事であるが、すぐにハイデガーの「エス」に話が逸れてしまった。そして私は、「『存在と時間』の第二篇、第二章(良心論)は時代の雰囲気のなかにある。しかし、その第二章のとりわけ第五十七節と第五十八節は、ニーチェの『善悪の彼岸』および『道徳の系譜』に、そしてフロイトの『自我とエス』に絡んでいると思える箇所であり、ニーチェやフロイトの諸観点から読んだ方が面白い。何よりも「それ( es エス)」に着目にして」と書いた。

しかし、あまりハイデガーに深入りしているとラカンに引き返す時間的余裕がなくなるので、ここでは「ある」あるいは「与えられる」と訳される「エス ギープト (es gibt)」の「エス」を、『存在と時間』と『ヒューマニズムについて』を中心にして、さらに『同一性と差異性』を顧慮して考察しよう。

ところで、以前の記事で、ハイデガーの《 Sein 》を、「ある」というルビをふった「存在」という漢字を訳語にすると言ったが、もちろんこれは松尾啓吉訳の『存在と時間』での訳語に倣(なら)ったものである。

『存在と時間』のいくつもの邦訳はそれぞれ長所をもっているが、特に称えるべきは戦前に出された本邦初訳である寺島實仁訳と戦後に出た松尾啓吉訳であると私は考えている。この難解な原書を最初に訳した寺島の苦労はいかばかりであっただろうか。初めての翻訳でここまで仕上げることができたのは、たとえそこに瑕疵(かし)があったとしても、称えられるべきである。実際、その後に『存在と時間』を訳した者たちは寺島訳を常に参照して作業を進めたはずである。

松尾訳は、すさまじい執念を感じさせる業績である。専門家以外には近づきがたい翻訳ではあるが、日本のハイデガー研究者たちは、今後も松尾訳のとりわけ「事項索引兼訳語対照表」の恩恵をこうむるはずである。「市井の一無名詩人」松尾は、アカデミズムに納得のいかないものを感じているだろうが、すでに報われていると言ってよい。私もハイデガーを論じるときは常に松尾訳を手許に置いている。

私は、一応、松尾が皮肉を込めて言う「プロフェサー」であるが、こんな肩書きは大学を定年退職すれば何の価値も無い。私は、市井の人間としてこのブログで記事を書いているつもりだ。では、なぜ私はブログで仰々しく「大学教授」やら何やらの肩書きをひけらかすのか。それは、生きていくための方便であると言っておこう。およそ20年前、私が訳したドゥルーズの『差異と反復』の「解説にかえて」のなかで、お世話になった多くの先生方の名前を出した。それは感謝の意を表するためでもあったが、生きていくための方便でもあった。人が生きていくためにはそれなりの方便が必要である。ただし、その方便の意味を広言する必要はない。

何か愚痴っぽい話になってしまったが、次回は直ちにハイデガーにおける「エス」を見ることにしよう。
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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