哲学と「よい」社会

哲学つまりPhilosophiaという言葉あるいはその概念は、古代ギリシアのプラトンによって作りだされたと言われている。その後、西洋では現代に至るまで、様々な哲学が登場し、理論闘争を繰り返してきたが、どの哲学もプラトンの掌(てのひら)を超えることができないようだ。

プラトンの造語であるフィロソフィア、直訳すれば「愛知」、つまり定着した訳語で「哲学」と呼ばれうるものは、根本的にプラトンのパースペクティヴのなかにあり、その意味で哲学は西洋哲学でしかない。したがって、例えば「東洋哲学」という呼称は言葉の濫用であろう。

もちろん、古代インドや古代中国において深遠な諸思想が展開され、今なおわれわれはそれを研究し学んでいる。しかし、その深遠な諸思想は、「哲学」ではない。なぜなら、西洋で発展した「哲学」は、プラトン哲学のパースペクティヴと無縁であることはできないからである。

プラトン哲学以前の古代ギリシア思想に依拠しようとする或る種の西洋現代思想を「非哲学」あるいは「反哲学」と呼び、それを称揚する者たちもいるが、それとてもプラトン哲学と無関係であるわけではない。そのような浅薄な呼称は放っておこう。

しかし、それにしても、18世紀のドイツの哲学者カントの偉業は、やはり哲学史のなかで聳(そび)え立っている。

たとえば、カント哲学の用語に、「先験的」あるいは「超越論的」と訳される言葉transzendental(トランスツェンデンタール)がある。私自身は、カントでは「超越論的」よりも「先験的」という訳語の方が好ましいと思っており、フッサールではその反対である。これについては、機会を改めて詳論したい。

では、「先験的」(「超越論的」)とは何を意味するのか(続く)。

関連記事
検索フォーム
プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

リンク
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
カテゴリ
最新記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

RSSリンクの表示
月別アーカイブ
FC2カウンター