朝日カルチャーセンター能講座

「エス」については、能講座(1/22)が終わってから再開します。

能講座(1/22)の内容の一部を、あらかじめ紹介しておきます。

「能の現在と未来 現代思想と能の接点から」、朝日カルチャーセンター新宿教室、2011年1月22日(土)、15:30~16:30、

講座プログラム(一部)

はじめに

財津の構想:新作能ではなく、古典的謡曲の謡える現代語版。バレエ/オペラのための劇場で上演できる能の形式と演出。芸術と洗練された娯楽の両立。

例えば、財津的解釈による元雅の『隅田川』を、パリ・オペラ座(ガルニエ)で上演する場合。舞、衣装、面、謡、囃子はほとんどそのまま生かす。西洋音楽(フォーレ、ブーレーズなど)と、古典能の囃子との不調和的調和(哲学者ドゥルーズの概念)。新たな舞台装置。十分なフランス語字幕付きの新たな謡える現代日本語版の制作。新たな意味での演出の導入。

1、能舞台の必要性。(津村の『隅田川』を見ながら。)
能を一般の劇場で上演するとしたら、能舞台の構成要素のうち、絶対に残すべきものは何か。例えば、オペラ座のステージは広大、客席はおよそ2000人かつ極めて高い位置の客席あり。日本での能楽堂では、600人が上限。
能の観客の適正な数、そんなものはない・・・ということ。

2、舞の象徴性。(象徴性という言葉を広い意味で用いる。)
舞の演技を部分に分解すれば、ほとんど無意味な、あるいは意味が確定していない動作になるが、それが、演者の身体的運動、面、謡と総合され、一つの上演の流れとして成立すると、初めて意味のようなものが生じる。
例えば、面を上に向かせると喜びが表現され、下に向かせると悲しみが表現されると言われるが、実際には、その反対の場合もある。
舞における演者の意識・・・、舞を鑑賞する観客の意識・・・。

3、面と装束。
能装束の種類。例えば、神歌の衣装は独特な生地を使うこと。
式楽(大名の公式行事)としての能と、民衆(農民)の能との違いについて。
能の娯楽性とは。
能は筋に依存しない演目が多い。日本的テレビドラマやアメリカ的映画に慣れた現代人の鑑賞能力の問題。客の鑑賞能力における想像力と夢。

4、謡と囃子の専門性。
謡と囃子を極めるためには、結局は師匠から訓練を受ける必要があるか。これに関連して、能の家元制度を考える。
リハーサル(全員での通し稽古)はやるのが普通。オーケストラに似ている。
囃子方も含めて、舞台に上る全員が、能をオールラウンドに修行する。

能を、フッサールの時間論とゲシュタルト心理学にもとづいて分析する。しかし、それだけでは、不十分。

他者どうしの不調和的調和という問題。アンサンブルの全体性とは何か。
諸個人の意識のなかのゲシュタルト(全体像)が、舞台上の他者関係の状況で、どう機能するか。

外部から演出家を導入することは、今のところ困難。では、シテが演出家を兼ねると言えるか。

能における職制。演出か関係性か。

5、詞章の文学性。
特に平家物語とそれに取材した謡曲との差異。能そのものテーマは・・・。
詞章の文体の芸術性は、「候文」にあるわけではない。「候文」での新作能の無意味さ。
記紀、万葉集から14世紀までの日本文学の豊饒さに比べて、西洋文学を吸収しようとした明治以来の日本文学はどうか。詩歌を中心に。

実験:新作能でも、古典能の現代語訳でも、五七調あるいは七五調で詞章を創作した場合、容易に能の謡で上演できるか。まったくの散文では・・・。

例1、「椰子の実」、「青葉の笛」(まず、女性歌手にそのまま歌わせ、つぎに津村が能の形式で謡う)。謡が歌曲に比べて遅くないことの実証。決定的には、何が異なるのか・・・。

例2、財津訳「隅田川」を津村が謡う。
以下、財津訳
ワキ「(名のり)ここに控えるわたくしは、あづまの国の隅田川、その渡し守にございます。本日は、舟を急がせ人々を、早々に渡したく思います。この田舎にしかるべきわけありまして、大念仏がおこなわれ、念仏を大勢で唱えますゆえ、僧侶と世俗の区別なく、多くの人が集まります。皆々様、そのよし、お心得下さい。」
ワキツレ #(次第)行く先も、あづまの国の旅ごろも、行く先も、あ褄の国のたび衣、日もかかり、紐かかりては、はるばると、思う心の旅路かな。
ワキツレ「(名のり)このように思うわたしは都の者でございます。あづまの国に知り合う者ありまして、その者を尋ねて今、京の都よりまかり下りました。」
ワキツレ #(上歌)遠き山、越えにし後は雲霞、越えにし後は雲霞、関所いくつも過ぎ行きて、国々過ぎて行くほどに、ここぞ名に負う隅田川、その名で知られる隅田川、その渡し場にすでに着く、その渡し場にすでに着く。
ワキツレ「(着きぜりふ)急ぎましたゆえ、はやくも隅田川の渡し場でございます。またそちらを見れば、船が出ようとしています。急ぎ乗りたく存じます。・・・」


6、能の創造に向けて。舞の身体性。舞と謡曲の時間性。メルロ=ポンティ、フッサール、ドゥルーズ・・・。
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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