ラカンSLV翻訳と注釈1への追記:ハイデガーのes

今日、といってもすでに日付は変わっているが、朝日カルチャーセンターで『存在と時間』の読解を行ってきた。用いる邦訳のテキストは、中公クラシックスの原・渡邊訳である。訳注で原書に関する最近の情報を伝えているからだ。

この邦訳は、『存在と時間』の17版(2001年)の原書まで参照している。ちなみに、私がこの講座で参照している原書は19版(2006年)である。

このブログではいま、『ファウスト』の一節《Und wenn es uns glückt,・・・》の《es》について注釈を試みようとしているのだが、今日の講座では読解が、意図したわけではないが、「第五十七節 気遣いの呼び声としての良心」における「それ=es」と「とがめる良心」についての叙述にまで進んだ。

私は、学生時代から、信太正三訳の『道徳の系譜』などを読んで、「疚しい良心(良心の疚しさ)=SCHLECHTES GEWISSEN」、「負い目=SCHULD」といったニーチェ語に慣れていた。だから、今日読んだ原・渡邊訳では、「SCHLECHTES GEWISSEN」が「疚しい良心(良心の疚しさ)」ではなく「とがめる良心」と訳され、「SCHULD」が「負い目」ではなく「責め」と訳されていることに、改めて違和感を覚えた。慣れは恐ろしい。

今日はもう疲れたので、ここまでにするが、次回、『ファウスト』の《es》を検討する前に、『存在と時間』における《es》を考えてみたい。ハイデガーは、「良心問題」に関して、ニーチェのほか、多くの思想家や研究者に言及しているが、フロイトの名は挙げていない。しかし、ハイデガーは、明らかにフロイトやその周辺を批判していると思える書き方をしている。

これまでハイデガーの《es》をどう邦訳してきたのか、そしてゲーテの《es》をどう邦訳してきたのか、これを検討することは、フロイトとラカンの《es》を考えるうえで、たんなる翻訳技術以上の大きな意味をもつ。

ジル・ドゥルーズという複雑な織物のなかの主要な線維のいくつかに光を当てるためにも。
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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