ヘレン・ミアーズ、 そしてジョン・ダワー

(昨年長い入院生活を送り、その後自宅で、心身の回復を待っていた。冬の間は無理せず、もっぱらリハビリに励み、暖かくなって、やっと体力が戻ってきたので、また西洋思想ノイローゼも癒えたので、ブログ記事の執筆に専念できると思う。今後は、もっぱらドゥルーズに注釈をつけていくつもりだ。ラカンの「〈盗まれた手紙〉についてのセミナー」の改訳と注釈は、今年の秋、その前半を法政大学の公的な雑誌に掲載し、その後で、このブログに再録する予定である。ハイデガーに関しては、ドゥルーズとラカンにおける「エス」の観念をある程度まで明確にできてから、この「エス」を視点にして、ハイデガーの『存在と時間』に取り組むつもりである。)

  *ヘレン・ミアーズ、そしてジョン・ダワー


ヘレン・ミアーズの著書《 MIRROR FOR AMERICANS :JAPAN 》(1948、題名を直訳すると『アメリカ人たちにとっての鏡:日本』)が終戦直後に、アメリカで出版された。

これは、アメリカの日本占領終了の直後、まず中岡宏夫と原百代の共訳によって、1952年、雑誌『文芸春秋』(昭和27年7月号)に、「無敵サムライとアメリカの良心」という題名でその抄訳が発表された。

そして1953年(昭和28年)6月に文芸春秋新社から、『アメリカの反省』という題名で原百代によるその全訳が出版された。日本占領中は、マッカーサーが翻訳出版を許可しなかった本である。

マッカーサーによって危険視されたこの書の翻訳が世に出ても、当時の日本では大きな反響を呼ぶことはなかったようだ。

私は、ヘレン・ミアーズと原百代という、素朴な、しかも素朴すぎる正義感をもち勇気をもそなえた二人の女性に敬意を捧げる意味で、このブログの記事の後半で原百代の「訳者あとがき」の全文を再録しよう。

さて、この書は、原が翻訳してから、およそ半世紀たって、伊藤延司の訳によって再び世に現れた。『アメリカの鏡・日本』(19995年7月、メディアファクトリー)。

この書の翻訳を伊藤に依頼したのは、実業家の白子英城であったが、そのとき二人とも、原の翻訳がすでに存在するのを知らなかったようだ。この翻訳の刊行は、大きな反響を呼んだ。

 そして、これに呼応するかのように、翌年、御厨貴と小塩和人の『忘れられた日米関係―――ヘレン・ミアーズの問い』(1996年八月、筑摩書房)が現れた。

御厨と小塩の目的は、ミアーズの『アメリカの鏡・日本』を分析し評価するというより、むしろ彼女の人物像を描こうとするところにある。彼らは、この訳書が、日本で「いわゆる東京裁判史観のアンチテーゼ」として利用されるのを危惧したのかもしれない。

彼らは、ミアーズを「何でも見てやろうというアメリカ的若者」として描こうとしている。そして、彼女が政治的な発言をするようになったのは時代のせいであるかのような解釈をしている。そのために、彼らは、『アメリカの鏡・日本』以前にミアーズが書いた本を参考にして、ミアーズの人物像を描こうとする。

その著書は《 YEAR OF THE WILD BOAR 》(1942)である。

御厨と小塩は、この書を『野猪の年』と訳して、その内容を紹介している。

しかも、この書は、ジョン・エンブリーの『須恵村』(邦訳あり)を髣髴させるものだという。彼らによれば、『須恵村』は、「そのほとんどは日常的風景の淡々とした描写」であり、「取り上げているのは徹底して日本人の何気ない日常生活」である。そして「エンブリーとミアーズの視点には、不思議なほど共通しているものがある」とされている。
 
 まず、《 YEAR OF THE WILD BOAR 》という題名を、御厨と小塩は『野猪の年』と訳しているが、これは不適切な訳である。「野猪」を、「のじし」と読ませようとしているのか、「やちょ」と読ませようとしているのかはわからないが、ミアーズのいう《THE WILD BOAR》は、自然の生物としての「野猪」ではない。それは12支の「亥」である(原書309ページ参照)。つまりこの書の題名は直訳すれば『いのしし年』である。

ミアーズは、この書のなかで、「政治的な問題に関する私のもっとも満足のいく教師である」サトーなる日本人に、こう言わせている。

「一二個の年は、それぞれ、ひとつの象徴の名前がついていて、一つの周期をなしている。今年(ミアーズが日本に滞在した年、つまり1935年……財津)、すなわちいのしし年は、そのような周期を締めくくります。」

そして「今年はいのしし年です。ひとつの周期の最後の年です・・・それもわが国の危機の一周期の最後の年です。」「この周期の間に、我々は、満州国という傀儡国を創設しました。そして、国際連盟を脱退しました。」「物事を考えない日本人でも、次の周期が引き起こすかもしれないことに恐れおののかざるを得ません。……いのししは危険な象徴です。・・・宇佐八幡は、戦争の神であり、いのししに乗ります。」

次に、ミアーズの『いのしし年 YEAR OF THE WILD BOAR 』の目次を訳出しておこう。()内は財津による補いである。

「目次  
はじめに
1、東京紹介
2、最初の日々
3、モダンな日本(Modan Japan)
4、日本―――モダンと古代の
5、北海道での休暇
6、神々の国
7、神々の道(神道、かんながらのみち)
8、女神の剣(くさなぎのつるぎ)
9、グッバイ、アキコ
結び」

 「8、女神の剣(くさなぎのつるぎ)」の章の扉ページには二人の日本人の著作から短い引用がなされている。ひとつは《 Tales from the Kojiki, by Yaichiro Isobe 》、もうひとつは《 Japanese Idealism, by Kishio Satomi》。 前者は、日本語名『古事記物語』で、著者は英文学者の磯部弥一郎だろう。後者は、《Discovery of Japanese idealism》の著者で、右翼思想家の里美岸雄かもしれない。

さらにサトーの話を聞いてみよう。「我々は有色人種です―――工業化を果した白色人種によって、全地上で支配されてしまったもろもろの人民のひとつです。我々は、独立した民族として生存するために、工業力と軍事力を発達させなければならなかった。我々は十分に西洋化して、西洋の強国に、我々だって近代的な民族であるということを納得させなければならなかった。我々は、十分に工業化して、有力な民族にならなければならなかった。それと同時に、我々は、自分たちの古来の経済的慣習と自分たちの社会的統制を保たねばならなかった。我々は西洋列強と融和をはからなければならなかった。我々はまた、十分強くなって、我々の独立を保障し維持しなければならなかった。そして我々は、やむを得ず、近隣アジアとの関係を断ち切らなければならなかった。以上のようなパラドックスと問題が、我々の近代という時代を通して基礎にあり続けたのです。我々の危機は、そうしたパラドックスと問題との結果なのです。」

 ミアーズは、『いのしし年』で、1933年の国際連盟離脱についての天皇の詔書と、神兵隊のクーデター未遂事件を取りあげ、「この国は、1933年以来、公然たる危機の状態にあったが、それよりずっと前から、高度に危機的な状態にあった」、「この文明のリーダーたちは、不安にとりつかれてヒステリックになっていた」、と語る。

こうしてみると、彼女が1935年に訪日したのは、たんに何でも見たかったからではなく、それ以前に短期間滞在した日本が、満州事変勃発と国際連盟脱退によってどのような状態になっているのかを、日本市民との交流を通じて見たかったからであろう。それも日本とアメリカを心配して。さらには、好戦的な日本民族というアメリカ人の偏見を正すために。


 日本人に、忘れられたミアーズの《 MIRROR FOR AMERICANS :JAPAN, 1948(アメリカ人たちにとっての鏡:日本) 》を再認識させてくれたのは、1995年発行の伊藤延司訳『アメリカの鏡・日本』(発行アイネックス、発売メディアファクトリー)である。

しかし、そのとっぱじめに紹介者、白子英城の「日本語版の刊行にあたって」という「まえがき」を掲げている。ミアーズの原書では、ジョン・クィンシー・アダムズ(アメリカ国務長官、モンロー主義の起草者、後に第六代大統領)が1821年の独立記念日(7月4日)に、対外政策に関して下院でおこなった演説の一部が、冒頭に置かれ、それに続けてミアーズ自身の序言が置かれている。

この演説でジョン・クィンシー・アダムズは、「平等の自由、平等の正義、平等の権利」というアメリカの理念をうたい上げ、後半でモンロー主義の精神を説いている。ミアーズは、アダムズが述べたアメリカ対外政策の原則にもとづいて、ルーズベルト政権の日本観と、日本占領のやり方を批判しているのである。

ところが、このアダムズの演説を、白子は自分の「まえがき」での自分の文章の中に入れ、ミアーズ自身の序言もその中に含めている。彼は自分のまえがきの中で、このミアーズの本の読み方を教えようとしている。

 白子はこう語っている。「終戦50年のいま、われわれ日本人は、現代の歴史を日本中心の観点だけでなく、アジア、ヨーロッパ、アメリカを同じ時間帯で見すえるグローバルな視点から、なぜそうなったのか、をもう一度考え、議論し、そして、現代史を総括しなければならないと思う。それによって、われわれ日本人が、過去にやってきたことで、何が悪かったのか、何が間違っていたのか、何が正しかったのかをしっかりと理解しなければならない。悪かったこと、間違ったことは心の底から反省し、謝罪しなければならない。同時に正しかったこと、間違っていなかったことは、正々堂々と主張し、理解されるよう努力しなければならない。そうすることによって、日本のアイデンティティーが確立され、国際社会から信頼されるようになるのではないか。」

 以上のような文章は、これまでマスメディアや評論家たちの言説にもよく見られるような、表面的には納得のいくものである。しかし、その文章をつくっている美しい言葉の羅列は、具体的な状況を指し示してはいず、結局、抽象的なお説教に終わっている。先ほど述べたことだが、御厨らがおそらく危惧したように、白子もまた、このミアーズの本が、単純なアンチ東京裁判史観に利用されないよう配慮したのかもしれない。

白子と伊藤がミアーズの『アメリカの鏡・日本』を日本で復活させた功績は認めなければならないが、しかし、以上のような白子の信念は、ミアーズのスタンス・考えとは程遠いものだ。

ミアーズはこの本で、日本あるいはアメリカの「謝罪」の必要性を主張しているのではない。彼女は、祖国アメリカに対して、平和維持への「世界最強国アメリカ」の責任と、アジアに関する対外政策においてアジアの現実を考慮に入れる必要を説いているのだ。

彼女は、以前(1935年)日本に滞在し、民衆やインテリ市民の行動を観察し、彼らの考えに耳を傾けて、『いのしし年』を出版した。

今度は(1946年)GHQの労働諮問委員会のメンバーとして来日して、日本の官僚や、女性労働運動家や、女性労働者たちと会い、日本の女性労働者たちのために奮闘し(豊田真穂『占領下の女性労働改革』を読まれたい)、その後帰国して、《 MIRROR FOR AMERICANS :JAPAN, 1948(アメリカ人たちにとっての鏡:日本) 》を書いた。

そして、ミアーズは、現場を知らないであろう権力者たちのトップダウンのやり方を手厳しく批判し、アメリカの将来のアジア政策のために提言をしようとしたのである。

この伊藤延司訳『アメリカの鏡・日本』はその後、絶版になっていたが、、2015年に『アメリカの鏡・日本 完全版』(角川ソフィア文庫)として復活した。

この「完全版」では、やはり白子英城のまえがき(「完全版刊行にあたって」)が冒頭に置かれているが、ジョン・クィンシー・アダムズの演説の文章と、ミアーズ自身の序言は、原書での位置に戻されている。

そして、まえがき(「完全版刊行にあたって」)のなかで、最初の訳者である原百代が紹介されている。しかも、ミアーズの上記の著書《 YEAR OF THE WILD BOAR 》にも言及があり、その題名は『野猪の年』ではなく、『亥年』と正しく訳されている。

ところが、原百代の翻訳出版の不許可に関して、白子はこう述べている。「GHQによる検閲の影響が続いていたとは言え、(原百代の翻訳の)出版不許可は当然の決定であったと推測できる。」彼は、「当然」という言葉で、今度は、何を言わんとしたのだろうか。

ミアーズの原書(《MIRROR FOR AMERICANS :JAPAN, 1948(アメリカ人たちにとっての鏡:日本)》)が、題名を除いて、最初に忠実に翻訳されたのは、原百代によってである(『アメリカの反省』)。

もちろん訳文は、伊藤のものも立派であり、原のものより読みやすいと言えよう。原の訳文は、いっそう原文の構造に忠実であり、やや硬いけれども味がある。

そこでまず、原百代の訳(『アメリカの反省』)のなかで訳されたミアーズの序言の後半の文章を、少し修正して再録しよう。

「日本人がその歴史や文化について考えていることを我々が知り、また彼らが何故戦争を始めたかを知ることによって、他のアジア諸国や、優勢な国際間の無秩序状態のもとで近代化した他の「後進」地域に、将来、何を期待すべきかに関して価値あることを学ぶことができる。最後に、日本が重要なのは、その日本が第一次世界大戦においては「敵国」ではなく「同盟国」であったからである。なぜひとつの国家が、短い期間に「友」から「敵」に変わったのか、これが理解できれば、他の国民の目に映る我々自身の姿勢と政策について、価値あることを学ぶことになるだろう。この本は、少なくともそのような探求を始める一つの試みである。」

しかし、上に述べたが、『アメリカの反省』出版の前に、原は中岡との共訳で、雑誌『文芸春秋』(昭和27年7月号)にその一部を、要約しながら発表している。原書の「第一章6 戦争犯罪とは何か」から始めている。

「マレーの虎」なる山下将軍が、戦犯として、マニラで絞首刑に処されたこと。そして将軍山下奉文は、「軍服や勲章や、その他軍務に服するものであることを示す付属物一切を剥ぎ取られて」、たんに軍職を汚した人間として吊るされたこと。要するに、アメリカは、山下をたんなる犯罪者として処刑し、最高の侮辱を彼に加えたということだ。

ミアーズは、これを正当な処刑として提示しているのではなく、戦犯問題の難しさ、そしてアメリカによる処刑の不当性の例として取りあげている。何よりも、欧米の帝国主義は不問にして日本の帝国主義を罰しようとするアメリカの態度に、ミアーズは警鐘を鳴らしている。

このミアーズの態度に呼応するかのように、『文芸春秋』(昭和27年7月号)の編集後記で、今日出海の『悲劇の将軍』が紹介されている。アメリカの占領終了直後から、日本の名誉回復の動きが活発化していたことがわかる。

さらに、原と中岡は、マーシャル諸島のクェゼリン環礁でのアメリカ兵の残虐さと略奪に関するミアーズの記述を訳している。しかし、ミアーズがクェゼリン環礁での戦いを取りあげたのは、両軍の戦闘で犠牲になるのはつねに無辜の土着民であるからだ。そしてミアーズは、マーシャル島民の統治においてアメリカのやり方が日本のやり方よりも優れているとは断言できないと語っている。

ミアーズは、米軍のワインダー中佐という人物の報告を取りあげている。「日本人の土着民との接触は何ら気まずい結果を生じなかった……日本人は土着民労務者を、罵ったり、蹴ったりしたので、その点は怨まれていた。だが、全体として、彼らの取扱いは良好で、8歳から11歳までの児童に、義務教育を施すこと以外は、土着民の風俗習慣に、干渉しようとはしなかった。すべての所有物は、首長に属すという、マーシャルの部落財産制度を、日本人は破棄しようとした。当然、これは島の上層階級には、受けなかったが、平民は悉く、これに賛成だった。」

その他、原爆使用は不必要だったこと、東京爆撃をはじめとして、アメリカ軍は、日本軍に対してではなく、日本の民衆に対して、攻撃を遂行したことなどが訳されている。

私は戦後生まれで、山下将軍と言われても何のイメージも浮かばないが、山下処刑の報告や、原爆投下、東京爆撃の写真を見たり、その報告文を読むと、アメリカやマッカーサーに対する怒りのような感情が湧いてくる。この感情は、敗戦直後に日本に降り立ったマッカーサーを迎えた日本の大衆の感情とは異なるだろう。

また、上記のワインダー中佐の報告を読むと、やっぱり日本人はいいこともしていたのだなと思って、ほっとする(もちろん、日本式教育によって現地の言語が変化するという問題はあるにしても)。そして、私の共感が、あたかも自分の家族に向かうように、山下将軍や日本兵士たちに向かう。

私のように戦争の記憶はまったくない現代の日本人でも、70年以上前に命を懸けて戦った日本人たちが汚名を着させられて処刑されたことや、日本の民衆が虐殺されたことについて、日本人の定義がわからなくても、想像力が一気にふくれ上がり、同時に怒りの感情に襲われる可能性があるということだ。

そして、自分を日本人と思っている人間は、大東亜戦争は、侵略戦争だったのではなく、日本自身の自衛の戦争、しかも白人帝国主義からアジアを解放する有色人種による戦争だったと思いたくなる。こうして、ふだんは考えもしない「日本」を思うようになる。

ドゥルーズは、ヒューム哲学の「共感(愛という一種の感情)」の概念を論じている。このドゥルーズ/ヒュームの思想を、私の観点から、ここで少し展開してみよう。

ドゥルーズ/ヒュームによれば、人間は、本来は利己主義者ではなく、共感者である。自分の子供を愛さない親がどこにいようか。(ただし、最近の日本における幼児や子供に対する虐待の深刻さは限度を越えており、行政の対応の不十分さは目に余るものがあるが、その話はいまは脇に置いておこう。)さて、共感は自分にとって近い者に向けられるという意味で偏っている。人間は自分の子どもの親であっても、他の子供に対しては他人である。

家族はなるほど社会の単位であるのだが、諸家族の集合は、そのままでは家族的集合つまり大きな家族ではない。だから、共感が及ぶ社会が成立するためには、近い者に向かう共感を遠い者にまで拡張する必要がある。共感が拡張されたとき、会話が可能になって、暴力に取って代わることができるからだ。

ではこの共感は、どのようにして拡張されうるのだろうか。共感は、想像力とともに、時間的空間的に遠い者にまで拡張されうる。想像力は言葉の影響の下にイメージや象徴をつくり、イメージや象徴を通して「想定された実在」にまで共感を運んでいく。共感はイメージや象徴を介して遠いものにまで拡張されるのだ。ところが、イメージあるいは象徴には、様々な感情や価値観が混じりこむ。

想像力は本来、冷静な理性(高次の批判的理性)のくびきを脱する傾向もっている。そして、時間的に離れた過去の出来事に向かえば向かうほど膨張しやすくなる。だから、想像力が理性によって制御されなくなるとき、共感の拡張も不当になりうる。

その上、生活の場面で働く裡性(計算する理性)は、感情や欲望によって活性化されるので、感情と欲望にとりつかれた理性は、おのれの冷静さを失い、想像力の協力者になる。抽象的な美しい言葉が、さらに理性を陶酔させて、これに拍車をかける。理性が、冷静さを失い、批判的理性ではなくなり、興奮し陶酔した理性になるとき、気ままな想像力と一緒になって、共感をとんでもないところまで運んでいく。人間は、感情と想像力と理性の複雑なシステムのなかで狂う可能性があるということだ。理性が、とりわけ、共感という感情ばかりでなく、憎悪、不安という感情にとりつかれたときに。

ミアーズの『アメリカの鏡・日本』は、たしかに、いわゆる東京裁判史観を、すなわち戦前の日本の軍事活動はまったくの侵略行為であり道徳的に悪であったという見方をくつがえす論拠になりうる。

いわゆる東京裁判には、法的な正当性がないことも確かである。だから、東京裁判史観は、日本人の反米感情をかき立てる。おそらくこれを憂慮して、中岡と原は、当時、文芸春秋における抄訳の冒頭に、以下の文章を掲げたのだろう。

「こういう書物が公然と発表できるアメリカの自由主義こそ、我々の最も学ばねばならない美点であり強みであると思う。この一事を以ってしても、言論の自由がアメリカに存在することは明瞭であり、アメリカの良心に我々は帽子をぬがずにいられないのである。」


さて、1953年(昭和28年)6月20日発行の原百代訳『アメリカの反省』の「訳者あとがき」の全文を、訳者への敬意を込めてここに再録する。原百代、1912~1991、主著『武則天』

「 譯者あとがき

 この書(“Mirror for Americans :Japan”アメリカ人の鏡、日本)の訳稿の最後の筆を擱いた今、さまざまな感慨が一度に群りこみ上げて来て、私は一種の胸苦しいまでの感じに包まれる。いって見れば、地下に長いこと雌伏して、おのれを養って来た蝉の幼虫が、今、初めて地上に這い出て、その殻を破った瞬間、こうも感じはしないだろうか。訳稿の筆を初めておろしたのは、一九四九年五月であった。こうしていよいよこの書が、世の読者諸氏の机上に送られる運びになるまでに、既にして、三歳有半の年月が流れた。決して、静かな、淀みない流れではなかった。決定的に堰止められたこともあった。然し水の流れは、遂に流れ出て、此処に目的地に向かうことになったのである。但し後に記すような理由により、その時期が、当然出ずべくして出る時より相当長く遅延したことは、この書の紹介者として、何よりも遺憾である。

著者ヘレン・ミアズ女史(Miss Helen Mears)は1945年に、本書の出版元であるホートン・ミフリン社(Houghton Mifflin Company in Boston)の文学賞を、戦後(戦前か……財津)の日本に関する著書で獲得した。この受賞作品を基とし、さらに多くの新しい材料を集積して、女史は新たに鋭い探求と大胆な研究を行った。その結晶が、一九四八年に初めて発表された本書である。
 本書で、著者は果して何を訴え、何を叫んでいるのか? これを説明するのに、米国の詩人にして劇作家であり、一九二六年度ピュリッツァ賞劇部門の受賞者であるジョージ・ケレィ氏の紹介文を引用してみよう。

  「過去200年間、鎖国裡に、平和を享有していた国民が、一八五三年以来、何故、1941年には世界動乱の焦点となったのか? 日本は果して、朝鮮で、満洲で、大東亜共栄圏で、何を、如何なる理由の下に、行ったのか? 日本の罪とは、果して何であり、我がアメリカの刑罰は、果して適当なものであるのか? ・・・・・果して我々アメリカ人に、日本国民の再教育ができるのか? ・・・・・かかる質問こそ、ミアズ女史の本書の根底を成すものである。・・・・・本書は、我々の征服した敵に対する我々の尊大な態度を、根底から動揺させるものである・・・・・。
著者はこの作の中でこういっている、『1853年に、我がペルリ提督は、日本の孤立政策を破壊し、その門戸を開放せしめた。以来未だ一世紀にも満たぬのに、我がマッカーサー将軍は、日本本土に入り込み、その門戸を再び閉鎖した。・・・・・いって見れば、日本は善悪ともに我がアメリカの姿を映し出す鏡ではないのか? そして、我々アメリカ国民は、己れの姿を正さずして鏡面の映像を正そうと試みているのではないか?』と・・・・・」

 なおミアズ女史をして、この書を書かしめたもの、その遠因を成すものは、女史の故郷の一つ―――女史には二つの故郷がある、一つは生地ニューヨークであり、他は母君の生地であるペンシルベニアのトワンダである―――トワンダの隣人たちである。遠い異境の異国民に対する典型的なアメリカ人的興味、と女史はいう。これに動かされて、女史は、歪曲されない外国の真実の姿を自分の眼でじかに見るべく、中国、日本、ロシア、ヨーロッパ及びジャヴァ、マレイ、スマトラ、セレベス、フィリッピンをはじめ、日本の所謂大東亜共栄圏の大部分を歴訪することになった。
 然しながら、一九二五年の最初の訪日以来、女史の関心は、主として、日米間の文化上の相違ならびにその外交関係に、置かれるようになった。戦時中、女史は、陸軍省主催の民事教育施設のため、ミシガン大学、ノースウェスタン大学等で、日本に関する講演を行った。日本降伏後、女史はGHQの労働問題顧問委員会の一員として、日本を訪れた。なおこの時の一委員としての女史の感慨は、本書の中にも納められて居り、女史の正義感、責任感から来る、同じ委員仲間に対する批判は、この書の随所に痛烈である。
 この他、この書の随所に満ち溢れるばかりの女史の高邁な卓見、真理、正義へのほとばしり出ずるばかりの愛情には、訳筆を運びながらも、私は何度、感激に打たれたか知れない。そして元来、この書は、表題の示すとおり、女史の同胞アメリカ国民への警世の書ではあるものの、女史の卓見と日本に対する大いなる理解の前には、日本国民の一人として、心から感謝すると共に、顧みて過去、現在、未来の日本の姿の種々相に思いを馳せ、反省の種の少なくないことを感じる。
 否、この書こそ、「アメリカ人の鏡」であると同時に、日本人にとっても、己が真の姿を、殊には終戦後の日本人一部のありのままの姿を、反射する明鏡にもなるのだ。この書を邦訳する所以のものは、実にまた此処に在る。本質に於いて、終戦後氾濫した「真相はこうだ」式の所謂、暴露ものと雲泥の相違があることの所以も、また此処にあるのだ。我々日本人の中に、占領中はおろか、独立後の今日に至ってもなお、決して征服者アメリカ人に対する遠慮とか、皮相的な同調からではなく、本心から、アジアへの認識をはじめとして、文化、教育、政治、百般の観念において、アメリカの、しかも正鵠を失したアメリカの対日観念を、そのまま鵜呑みにしている人々、換言すれば、アメリカ人の眼の、しかも歪んだレンズを通した、そのままの姿で、己が祖国日本を観ている人々が、数少なくない事実、しかも自他共に、敗戦後の新日本の指導者を以って任ずる所謂、文化人、知識人と称する人士の間にも、こういう人々の相当数が、現に夫々の分野に於いて、指導者として活躍している一事を思うとき、この書は正に、正に、日本国民への頂門の一針である。それと同時に、くれぐれも心すべきは、この書中の「事実」の投影像のみを集積して、以って、顧て他をいうのみの態度に出ることなく、個々の事実の根ざす「真実」の在り方、その依って以って来るところに思いを致し、厳粛な自省の下に、将来の我が道を誤らぬようにすることである。
 次にこの訳書が一九四九年に出ずべくして、何故かくは遅延したかについて、一言したい。読者諸氏の中には、既にして、この書が占領中、我々日本人には禁断の書であった事実を、ご存知の方も少なくないと思う。
 最初、著者ミアズ女史の厚意により、原著一部の寄贈を受け、私は開巻一頁から、吸い寄せられるようにむさぼり読んだ。驚いた。そしてこの国の読者諸氏に、是非とも読んでもらわねばならないと痛感した。女史の好意溢れた許可と激励の手紙を前にして、夢中で訳筆を運んだ。某発行所との間に、訳書出版の話が、忽ちにしてはかどった。これが先にもいったように、一九四九年5月のことである。当時の制約として、勿論、GHQの許可を得なければならなかった。友人二、三の忠告により、私は真心こめた長い嘆願書をしたためて、CIE(GHQ内の民間情報教育局---財津)に提出した。それには大東亜戦争中、東条軍閥内閣の下に、完全な箝口令が施かれ、国民は唯々として、ひたすら肉弾の道に進むより他致し方なかったため、最後には、国民殊に概ねの知識人の気持ちは、所謂、面従腹背の止むなきに至ったことから始めて、今、この書を一読するに及んで、かかる鋭い批判と、大局的な真実と正義への愛をそのまま叫び上げた、そして被征服国日本への大乗的な理解に満ちた書物を、自由に出版せしめるアメリカという、流石は「言論の自由」をうたう国の偉大さに、感嘆したこと、これを一読すれば、日本国民、わけても知識層は必ずや感激し、この理解の大いさと、秀でた卓見に頭を下げ、将来の真の世界平和の探求に向かって、心からの日米協力を惜しまないであろうこと、真実と事実と大なる理解の前には、凡ゆる軍事的外交的糊塗も、畢竟、無駄であること等々を、祈るような気持ちで、英文で縷々と記述したのであった。
然し結局は、無駄であった。遂には私自身、自発的にCIEを訪れ、懇願し、嘆願したのであったが……この時応接されたホィーラー氏なる役人は、始終私から目をそらしていた。誠に、困却しきった表情であった。こちらでかえって、「そんなに心配しないで下さい」、といってあげたくなるような表情だった。私の頬に熱いものが滴々と伝わって来るのを感じて、不意に私は、自分が泣いているのを覚えて、すすり上げた。そして「これ程、条理を尽して頼むのに、何故、いけないのか? いけないならいけないで、何故、不可なのか、その明確な理由を与えてはくれないのか?」というような意味のことを叫んだ。優しそうな二世らしい青年が、しきりになだめてくれた。ホィーラー氏は、とうとうくるりと後ろを向いて、「結局、どうしても、許可できないのだから、彼女は、もう帰るべき時であることを覚ってほしい」と、壁に向って呟くようにいった……。その後の嘆願に於いても、何ら条理立った不許可の理由は明示されなかった。それから間もなく、ミアズ女史とマッカーサー元帥は、太平洋をはさんで、鋭い論戦の火花を新聞、雑誌の紙上に展開したことがあった。
著者は、私の嘆きの手紙に対して、いつも「辛抱して時を待て」と、優しい激励を送って下さった。


占領は終わった。既にして三歳余の月日の波は、先の某書店を破産せしめていた。新たに文芸春秋新社の厚意で世に出るようになった。その間、原著者ミアズ女史、フランツ・J・ホーシ・エイジェンシーの方々との間に、文通しきり、遂に、その方々の努力の賜物で、去る十一月末、一切が片付き、やっとこの訳書が日の目を見る次第となったわけである。
著者ミアズ女史は、この間に、愛する母君を失われ、愛する故郷の一つなるペンシルヴェニアの、母君の遺愛の家も失われた。だが、女史はその悲しみに耐えて、現在、ニューヨークで、つぎの大作に、寸暇を惜しんで取り組んでいられる。
先に私は、この書の出版が、かくも遅延したことが、実に残念だと書いた。最初にスムーズに事が運んでいたら、……その当時はまだ、朝鮮事変も始まってはいなかった。……占領政策を通じる以外のアメリカの真の姿に、最高度にアメリカ開国精神の真髄を今に伝えた純粋にアメリカ的であり、しかも智的なアメリカの姿に、この書を通じて初めて接する日本人の数が、今頃は、相当になっていたかもしれない。目を見張る思いで、目先だけのことではなしに、もっと真摯に、日米国交問題を、根本的な姿に於いて考えようと努力する人々の数が、少なくなかったかもしれない。従って、日米間の真の提携が、もっと盛り上がって来ていたかも知れない。この点無駄に、或いは真の日米提携に取っては、いたずらに有害に、貴重な三歳有余の月日が流れ去ったことは、実に残念である。だが或る意味では、この書が今からでも刊行されることは、決して遅くはないかも知れない。何故ならば、この書に提示された問題は、未解決のまま容易に無視さるべきでもなければ、却下さるべきでもないからである。
最後に、ミアズ女史が、この書によって、具体的に示された真の愛国心のあり方について、深い敬意を感じる。敗戦の試練を経た日本でも、改めて「愛国心」の問題が討議される今日、この書に溢れる深い憂慮に包まれた大いなる愛国心の姿が、示唆するところが、大いに参考になればと私は希望する。
 ゴーゴリは彼の傑作たる「生ける魂」の中で、彼の時代、すなわち十九世紀の帝政ロシアの姿を、制御も知らず驀進するトロイカに譬え、「ロシアよ、何処へ行く?」と憂愁の叫びを挙げている。この書(『アメリカの反省』---財津)の劈頭、ミアズ女史は、精巧、巨大な軍用機の迅速な飛行になぞらえて、切々たる母心にも似た憂慮を以って、愛する国の行手を案じている。善かれ悪しかれ、日米両国は今後とも、切実な関係を持たざるを得ないことは、言をまたない。この巨大な航空機が、正確無比な点検を経て、正しい航路を安全に飛翔し続けることを、私達は切に望みたい。
 なおこの書の翻訳は、外国文学書の翻訳に従事して十数年になる私にも、正直に言って、容易ではなかった。辞書などにはない、現にアメリカで生まれ、成長している生きた言葉や表現も、数少なかった。固有名詞の訳語にも、物が物だけに、いささかの曖昧さも許さるべくはない。大いに努力したつもりではあるが、不備の点も少なくないと思う。大方の読者諸氏の御叱正を待ち、他日、更に少しでもよいものに仕上げたいと思っている。


 終始細かな心遣いの激励を与えて下さったミアズ女史をはじめ、1949年、この書の最初の刊行企画の際、種々ご尽力下さり、遂にはCIE宛てに、私のために嘆願書まで書いて下さった、今は亡きフランツ・J・ホーシ氏、今度の企画に当って、ご努力下さったホーシ未亡人はじめ、ホーシ・エイジェンシィの方々、この書の刊行を引き受けて下さった文芸春秋新社、当初から終始、私への鞭撻を惜しまず、種々激励と訳述上の指導をして下さった中岡宏夫氏、及び温かい友情の期待を抱いて下さった友人諸氏に、心からの感謝を捧げて、擱筆する。

   一九五二年一二月三十一日、 除夜の鐘を聞きつゝ
                              幡ヶ谷、桃源洞にて
                                  原  百 代  
 付記、Textは、Houghton Mifflin Companyの一九四八年版のものを使用した。」



私は、ヘレン・ミアーズと原百代を、「素朴すぎる正義感をもち勇気をもそなえた」女性と言った。
そう言ったのは、おのれの覇権を正当化し続ける必要がある覇権追求家からすれば、その覇権に従うべき弱小国家の独自の立場や正論など認めるわけにはいかないにもかかわらず、そうした覇権追求国家の政治的権力に対して、敢えて、弱小国家(日本)の立場から自分らが信じるところを唱えたからである。ミアーズはマッカーサーと新聞紙上などで論争をすることができ、原はGHQに乗り込んで不首尾に終わったにせよ談判(ネゴシエイト)することができた。

伊藤訳『アメリカの鏡・日本』(角川版)386ページから引用しよう。

「極東の歴史を日本の視点で見ると、いままでわからなかったことが明らかになってくる。この新しい視点に立つと、私たちの政策の中にある法的擬制がはっきりと見えるのだ。そして、政策立案者には、自国の政策が他国民にどのように映っているかよく見えないということがわかるのだ。」

アメリカの政策を見るミアーズは、もっぱら当時の日本の視点に立っており、この視点から、あたかも日本の母であるかのように、アメリカの政策や日本観を批判する傾向がある。

ミアーズには、当時の中国や、併合されていた韓国の視点から日本の軍事行動を批判的に見るスタンスはほとんどないと言ってよい。したがって、現在の中国共産党政府や韓国政府からすれば、ミアーズの主張はまったく承服できないものであろう。両国の対日政策は、東京裁判の正当性を前提にしているのだから。アメリカの対日政策も、日本の左翼陣営もそうだ。

さらにミアーズはこう言う。「極東の歴史を考えるとき、私たちは日中関係を強調しすぎるきらいがあった。そしてアジアの両国が依存する欧米列強と、日本および中国との関係を近くから見てこなかった。アメリカの世論は、いつも日本を中国の侵略大国としてとらえ、次には他のアジア諸国の侵略的征服者になるだろうと考えて非難してきた。米国政府が日本の政策を説明する場合も同じだった。しかし、近代日本がアジアと公式接触するとき相手にしていたのは、その国の国民ではなく政府だった。そして政府はアジア人ではなく、ヨーロッパ人かアメリカ人だった。中国では、政府は中国人だったが、外国勢力に影響されすぎていたし、「国際条約」に縛られていたから、自分の意思で日本と交渉できなかった。」

ミアーズは、日本が、アジアおいて戦った相手は欧米列強であったと主張している。そして、アメリカの世論は、いつも日本を中国に対する侵略国としてとらえ、他のアジア諸国の侵略的征服者と考えて非難してきた、と。おそらく、現在の欧米の権力者たちの日本観も、それと大きく変わらないだろう。

ルーズベルトは、日本の敗戦前後、中国を大国化しようとする戦略をとった。オバマには、当初、アメリカの太平洋覇権の維持には、日本よりも中国を頼みとする傾向が見られた。依然として、日本の外交政策は、本質的なところで日本自身で決定できない。日韓関係にしても、アメリカの戦略の影響下にある。今後、次期大統領が誰になるにしても、アメリカの損得勘定が露骨に出てくるだろう。

ところで、以上のようなミアーズの日本擁護を解毒しようとするのは、ジョン・ダワーという歴史家の『容赦なき戦争』(旧版『人種偏見―――太平洋戦争に見える日米摩擦の底流』)と『敗北を抱きしめて』であろう。

『容赦なき戦争』は、以下のような当時の欧米人の日本人観(劣等感に苦しむ民族)を出典を示さずに列挙している。

たとえば、マーガレット・ミードとその夫グレゴリー・ベートソンによれば、「日本人は自分たちの文化に対する尊敬の念を欠いており、他の人々の自尊心に接すると、いかんともしがたい劣等感を覚え侮辱されたと感ずる。」

エドガー・スノウによれば、「日本人のひときわ目立つ劣等感は、意識下で、個々の日本人が神=天皇の支配下にある個々の朝鮮人と中国人に、不幸にして精神的にも肉体的にも劣っていることに気づいている」からである。

そしてヘレン・ミアーズだが、彼女によれば、「日本人が人種的な優越についての教化や神話的な迷信を受け入れやすいのは、劣等感―――本物の強力な欧米列強と比べての経済的・軍事的な劣勢であり、西洋の科学的業績に直面しての心理的な引け目であり、欧米人が『有色人種』は劣等だと主張する屈辱―――をはね返すテクニックであった」そうだ。

ダワーは、ミアーズを、ミードやスノウのような日本人蔑視の文筆家の一人として登場させている。

ダワーは、なるほど当時のアメリカ人の日本人観は偏見であったと言いたいのかもしれないが、それは、ダワーの書を入念に読まないとわからない。この書をざっと読むアメリカ人は、おそらく、日本人への蔑視の感情をあらためて正当化あるいは強化できるだろう。

『敗北を抱きしめて』では、ミアーズは黙殺されている。それにしても、『敗北を抱きしめて』という邦訳名はうまく考えたものだ。

原題は《 EMBRACING  DEFEAT 》である。EMBRACINGを「抱きしめて」と訳したのであろう。この題名だけを読むと、この本は《敗戦をしみじみ感じて、けなげに生きていく終戦後の日本人たち》を温かく描いた作品だと早とちりする可能性がある。読者が食いつきやすい邦題である。

しかし実際は、これは、アメリカの日本占領および東京裁判の正当化の書物である。「抱きしめて」の原語《 EMBRACING 》つまり《EMBRACE》という英語の動詞は、辞書を引いていただければわかることだが、目的語(対象)が人間である場合は、「(愛情をこめて)抱く」という日本語に翻訳できる。「抱く」には、性的な含意もある。

《EMBRACE》の目的語が、思想、概念、生き方などの場合は、「(喜んで完全に)受けいれる」という日本語に変換することができる。 ダワー自身は、この英語を「身体的に抱擁する」という意味で使っていると語ってはいるが。

 しかしダワーの本がアメリカで高く評価されたことからわかるように、今日のアメリカの多くの知識人(観念に呪縛されやすいタイプの人間)も権力者も、いぜんとして、ペジョラティフな「日本人のイメージ」を通して「日本人」を見る傾向があるだろう。やはり日本人は信用できないと。

私は、これに腹を立てているわけではない。アメリカの権力者や知識人に愛されたいと思うほうが滑稽である。愛されたくて「話し合おう」とすれば、相手に軽侮の感情をもたせるだけである。要するに、なめられるだけだ。民主主義の感覚は、対等の立場でおのれの利害を考慮に入れてタフな交渉を重ねる意志に伴うものだ。愛されたいという感情は、デモクラシーの感情ではない。

 タフな交渉では、必ず相手は興奮し怒りを見せる。しかし、欧米人相手では、そこからが交渉だ。日本人は、長い歴史のなかで、目上にへつらうことで、目上から、お目こぼしや利益を得ようとする生き方を体に染み込ませてきた。アメリカ人を目上と感じる日本人は、アメリカ人とのタフな交渉は苦手である。

 私は、今後このブログで、折に触れて、ミアーズの『アメリカの鏡・日本』よりも、まだ翻訳されていない《 YEAR OF THE WILD BOAR 1942 》つまり『いのしし年』の内容を取りあげていくつもりである。

ミアーズは、昭和初期の日本はヒステリー状態あったと報告している。ミアーズは取りあげていないが、その例として、当時軍人にも大きな影響力をもっていた大ジャーナリスト徳富蘇峰の『国民小訓』を挙げることができるだろう。

私が所有している『国民小訓』は、大正14年3月23日19版のものである。これの初版の日付は大正14年2月21日である。発行後、一月半で19版を重ね、それ以降も売れ続けたはずだ。当時の大ベストセラーの本である。

その冒頭には、こう書かれている。「……開闢(かいびゃく)以来の独立帝国たる日本国に幸運あれ。これが著者の祈祷である。しかも著者の胸底には、一種の不安が蟠(わだかま)りているを告白せねばならぬことを、頗(すこぶ)る遺憾とする。著者は黒雲が我が日本帝国の上に渦巻いているを見る。……その黒雲の一は、外患である。……如何なる楽天家たりとても、我が日本帝国の国際的位置は安全であると、断言し得る者はあるまい。吾人は決して恐怖症の患者ではない。されど我が帝国四囲の情態は決して常永であり平調であると云うを許さない。」

そしてこの『国民小訓』の政治思想は、井上哲次郎らがつくりあげた「国民道徳要領」にもとづいている。

ミアーズの『いのしし年』から「国民道徳要領」を見るのは、無駄ではないだろう。私は、ドゥルーズ研究と平行して、「国民道徳要領」をめぐって、日本人の心に潜む、あるいは沈殿した国家意識を分析するつもりである。
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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