楽浪幻想8:万葉集 日本書紀 国民道徳要領・・・網状関係性の流れを遡る:ドゥルーズ/ガタリ、マルクス/エンゲルス、尾高朝雄、我妻榮、和辻哲郎、吉田靜致、尾崎秀美、大西祝・・・

現在、メナール『ドゥルーズと精神分析』の翻訳にほとんどの時間を費やしている。この『ドゥルーズと精神分析』には、アルテルカシオン(altercation)という副題がついている。アルテルカシオンとは、「激しい口論」、「口げんか」を意味する。この本のなかで誰と誰が口論するのかは、あまり明確ではないのだが、少なくともドゥルーズに対する精神分析家メナールの敵意は読み取ることができる。面白いドゥルーズ研究書だ。けれども、正直言って、メナールの厄介な文体にてこずっている。

ブログにとりかかる時間がなかなか取れない。少し考えを変えて、翻訳の作業のあいだは、メモ風の記事を少しずつ書いていこう。深作安文からの引用も途絶えているが、翻訳が終われば、深作をも含めてもっと大きな視点から国民道徳に対応することができるだろう。

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ドゥルーズとガタリの共著『アンチ・オイディプス』は、ガタリ的社会主義の観点が強く打ち出されている著作だ。

その『アンチ・オイディプス』の第三章の題名は、「野生人、野蛮人、文明人」である。しかしこれは、アメリカの文化人類学者ルイス・モーガンの『古代社会』における「野蛮人、未開人、文明人」(岩波文庫、L.H.モルガン『古代社会』の訳語)を指している。

『アンチ・オイディプス』の「野生人」は『古代社会』の「野蛮人」を指し、前者の「野蛮人」は後者の「未開人」を指している。「文明人」は同じである。(『アンチ・オイディプス』の訳者が、なぜ『古代社会』の訳語を変更したのかは、不明である。)

モーガンはこう語る。「・・・人類の存在は無限に後方に拡がるのであり、広漠深遠な太古の中に消えている。この知識は、野蛮人と未開人との関係ならびに未開人と文明人との関係に関してこれまで一般に行われていた見解を実質的に変更する。未開が文明に先行したことが知られているように、人類のあらゆる部族において、野蛮が未開に先行したことが、いまや信頼しうる証拠にもとづいて主張しうるのである。人類種族の歴史は、根源において一であり、経験において一であり、進歩において一である。」

人類は必ず野蛮(savagery)から未開(barbarism)を経て文明(civilization)に至ると、モーガンは考えた。このような一元的、進歩主義的歴史観を打ち立てようとしたモーガンの『古代社会』は、現在、人種差別主義を支えるものだと批判されている。だが、マルクスとエンゲルスはモーガンを高く評価していた。
(続く)

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万葉集に戻る。

12、ささなみ=神楽聲浪(巻七 1398)
原文:「神楽聲浪之 思賀津之浦能 船乗尓 乗西意常不所忘」
漢字仮名交じり文:「楽浪の 思賀津の浦の 船乗りに 乗りにしこころ つね忘らえず」
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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