楽浪幻想7:万葉集 日本書紀 国民道徳要領・・・歴史は反復するか

私たちは、本当に、戦前の「国民道徳」に向き合ってきたのだろうか。

たとえば、すでにおよそ60年前、石田雄の優れた『明治政治思想史研究』(未来社)が刊行されている。その後、舩山信一の大作『明治哲学史研究』が出た。しかし、どれほど優れていようと、どれほど大部であろうと、このような高級インテリ向けの学術論文を読んだところで、「国民道徳」(および、それと共に学ぶ必要があった「教育勅語」)の一言一言、一文一文が正しいのか、それとも間違っているのかを、「ふつうの国民」が判断することはできない。

私が言う「ふつうの国民」とは、「学歴が低い国民」とか「バカな国民」という意味ではない。それは、「何十年も毎日朝から晩まで本を読みながら同じことを考え続けることができるほど暇はない国民」という意味である。

たとえば「教育勅語」に、「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とある。文面だけ見るなら、「以上でもって、天地とともに限りない皇室の運を助けよ」と読める。「天壌無窮」は、「日本書紀」、「神代下」、「第九段 一書第一」の天孫降臨の文章中に出てくる言葉である。

では、「教育勅語」のなかの「以上でもって」の「以上」は何を指すのか。それは、「親孝行する、兄弟夫婦なか良くする、友人どうしは信じあう、つつましくうやうやしくする、広く人々を愛する、学業を修める、知能と品性を高める、公衆の利益をはかり、社会的義務をはたす、憲法・法律を守る、非常時は社会、国家に奉仕する」ということである。まことに結構なことである。

これだけ読むと、よい人間になり、よい社会をつくることが、とりもなおさず皇室を助けることだと解釈することもできるだろう。皇室は、よい人間をつくり、よい社会を建設するためにある・・・。保守派の政治家が「教育勅語」を復活させたがるわけだ。



ところで、昨年(2013年)の12月13日、文部科学省は、「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」を発表した。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/12/1342458.htm
グローバル化に対応した英語教育改革実施計画 (PDF:884KB)

「グローバル化」が具体的には何を意味するのかハッキリしないが、狭い意味では「2020年の東京オリンピック・パラリンピック」開催のことを指すようだ。

この「英語教育改革実施計画」によれば、小学校中学年で学級担任による活動型の英語教育が始まり、小学校5年生から週3時間の教科型の英語授業が行われる。中学校では英語の授業は基本的に英語で行うことになるようだ。

たとえば、《Do you want me to take care of it?》 という文章を、たいていの日本人は「ドゥ ユー ウォント ミー トゥ テイク ケアロヴ イット」と発音するだろう。
では、アメリカ人の若者なら日常どう発音するだろうか。日本人の耳には、「ドゥユワミル テイケアルブイッ」と聞こえるように発音する。

小学校のバイリンガルではない先生方のうち、実際の英語の発音ができる方はどれほどいるだろうか。先生方のプレッシャーは並大抵ではないだろう。

その一方で、世間の噂では、ネイティヴが教える英語塾の需要がますます高まっているようだ。子供の頃に日本人特有の英語発音が身についてしまうと、英語のヒアリングができなくなるからである。

しかし、この「英語教育改革実施計画」をよく読むと、最後の方に、ちょっと待てよと言いたくなるようなことが付加されている。それには「日本人としてのアイデンティティに関する教育の充実について」という題名が付けられている。

副題は、「東京でオリンピック・パラリンピックが開催される2020年をターゲットとして、わが国の歴史、伝統文化、国語に関する教育を推進」である。

そのなかから気になった項目を拾ってみる。
1、「伝統文化に関する学習内容を充実:そろばん、和装(和服の着付けのことか、和裁のことか)、和楽器、美術文化等の充実、武道の必修化。」

だが、このなかで「武道の必修化」は何を意味するのだろうか。

私も、小学生の頃にそろばん塾と書道塾に通い、中学生からはクラブ活動で柔道をやり、大学生のころは町道場で空手の稽古をしていた。現在では、宝生流の仕舞と謡の稽古に励み、和装で出かける機会が増えて喜んでいる。

「そろばん、和装、和楽器、美術文化等の充実」はよいとして、「武道の必修化」は何を意味するのだろうか。スポーツではなく武道を教科として集団でやるというのは。現在行われている「武道」はスポーツ化された武道であるのだろうが、かつて「武道」は、「武士道」あるいは「武術」を意味した。

このブログで問題にしている「国民道徳」は、その本質的な構成要因として「武士道」を含んでいる。

江戸時代、戦士は武士であったが、明治から敗戦まで、潜在的に男の国民全体が戦士つまり兵士になった(徴兵制)。政治権力は、兵士にされた国民に、いったんは廃れかかった武士道を叩き込まなければならなかった。武士道は武士だけの道徳ではなく、国民全体の道徳になった。なぜだろうか。「国民道徳要領」がまさにそのわけを解き明かしているので、私たちはいずれ、なぜ「武士道」なのかを考えることになるだろう。

2、「先人等の名言、偉人、伝統文化等に関する読み物などを充実。『礼』をはじめ伝統文化に根ざす内容を充実。道徳教育の抜本的改善・充実。」

では、「先人」とはどの時代まで遡る先人なのだろうか。江戸時代までは、おもに「儒教」の教えが道徳であった。明治から敗戦までの国民道徳も「儒教」を手放していない。そして「礼」とは、まさに儒教が教える道徳的規範である。

だが、戦後の新たな日本国憲法は、儒教精神ではなく、啓蒙主義や社会契約論という西洋思想にもとづいて作られたのではないか。儒教は、良いのか悪いのか。

「わが国の伝統文化」とは、何を指しているのだろうか。

「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」は、「グローバル化が進む中、国際社会に生きる日本人としての自覚を育むため、日本人としてのアイデンティティを育成するための教育の在り方」の検討で締めくくられている。

戦後、マスメディアや左翼系の知識人が、あれほどまでに批判してきた「国民道徳」の内容の一部が簡単に復活してしまうのだろうか。それとも、戦前とはまったく異なる新しい道徳が登場するのだろうか。



                   ∴
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11、ささなみ=神楽浪(巻七 1253)
原文:「神楽浪之 思我津乃白水郎者 吾無二 潜者莫為 浪雖不立」
漢字仮名交じり文:「楽浪の 志賀津の白水郎(あま)は 吾無しに 潜(かずき)は為(な)せそ 浪立たずとも」
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授
連絡先:za10@hosei.ac.jp

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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