『差異と反復』第二章、第二段落、注釈3 齟齬のロジック 時間の総合の美学的意味

今後、前回の精読箇所(第二段落前半)の各文章を切り離し、さらに「時間の三つの総合」の諸段落(第二章前半部)から時間規定をピックアップして考察を進める。(なお、文庫版や旧ハードカバー版におけるピックアップした文章のページ数は示していない。また、引用文には絶えず細かい修正を加えている)

このようにして、各時間規定が齟齬しているのかどうかを見ていく。もし齟齬しているのなら、その齟齬を肯定するドゥルーズ的ロジックがあるかもしれないからだ。そうではないとすれば、われわれが齟齬と思うのはわれわれの読みが浅いからだろう。

しかし、ライプニッツがデカルトの「明晰‐判明」という認識論的規則に対抗して提唱した「明晰‐混雑」、「判明‐曖昧」という認識論的‐存在論的原理を、ドゥルーズは重要視している。これをドゥルーズはライプニッツ以上に深く解釈し、根本的な原理と考えている。明晰な観念はそれ自体からして混雑しており、判明な観念はそれ自体からして曖昧である、ということだ。

こうした「明晰‐混雑」、「判明‐曖昧」という原理が、『差異と反復』の原理でもあるとすれば、『差異と反復』のテキストから齟齬を解消するために「明晰‐判明」な理解を求める読みは、『差異と反復』が展開しているかもしれない生産的な「齟齬のロジック」を取り逃がすことになるだろう。

ところで、第二章における時間の第一の総合と第二の総合は「受動的総合」と呼ばれている。そして、第一の受動的総合(現在論)は経験的なレベルの時間の総合であり、第二の受動的総合(過去論)は先験的(超越論的)なレベルの時間の総合である。

しかし時間の第三の総合(未来論)は受動的総合ではない。ジョー・ヒューズは、三つの総合をすべて受動的総合とみなしているが、そうではない ( Joe Hughes《 Deleuze´s Difference and Repetition 》)。

『差異と反復』の「結論」から、時間の三つの総合の美学的意味に関する文章を引用しておこう。
「・・・美学的問題には、日常生活のなかへの芸術の組み込みという問題しか存在しない。われわれの日常生活が、消費物のますます加速された再生産に服従して、常同的なものにされ、規格化されているということが明らかになればなるほど、芸術は、・・・・この文明の現実的な本質をなしているもろもろの錯覚や欺瞞を美的に再生産しなければならない。どの芸術もそれぞれ、瓦状に重なり合った〔注:『悲しき熱帯』におけるレヴィ=ストロースの用語〕それなりの反復技法をそなえており、この技法の批判的かつ革命的な力能は、われわれを、陰気な〈習慣の反復〔=時間の第一の総合〕〉から深い〈記憶の反復〔=時間の第二の総合〕〉へと、さらには、われわれの自由が賭けられている最後の〈死の反復〔=時間の第三の総合〕〉へと導くために、最高の域に達することができる。われわれは、三つの例〔ベルクのオペラ『ヴォツェック』、ウォーホルのたとえば、キャンベルスープ缶やマリリン・モンローなどの「セリジェニックsérigénique(シリアル serial)」な作品のシリーズ、そしてビュトールの小説『心変わり』あるいはアラン・ロブ・グリエ脚本、アラン・レネ監督の映画『去年マリエンバートで』〕を、どれほど異なっていようとも、どれほど齟齬していようとも、ともかく指示するだけにしておこう。」

この文章が示唆しているように、時間の三つの総合は、芸術論、文明論、精神分析理論の性格をもっている。

ところで、『差異と反復』のアメリカ版の序文で、ドゥルーズはこう語っている。
「哲学は、科学からも芸術家からも独立してつくられることなどあるわけがない。」

たしかに、ヘルマン・ヴァイルを高く評価するドゥルーズの思索には、量子力学を思わせるイメージがある。ヘーゲルまでの近代哲学に対するドゥルーズ哲学の関係は、広い意味で、古典力学に対する量子力学の関係に似ているところがあると言えるだろう。(もちろん、これに対してはソーカルらの批判はある。)

ところが、『差異と反復』(原書)刊行からおよそ半世紀経過した現在、量子テレポーテーションの実験が成功するや、情報機器メーカーや光学機器メーカーがこれに注目し製品開発に乗り出している。そして、いずれ量子テレポーテーションは兵器に応用されるだろう。自然科学はどれほど発達しようとも、この文明つまり資本主義文明を超えることはできないということだ。「われわれの日常生活が消費物のますます加速された再生産に服従する」という資本主義文明の本質的事態に対して、自然科学は批判の役割を果たしえない。

だから私は、ドゥルーズ哲学を、現代科学との類縁性に着目して称揚するつもりはない。では、ドゥルーズが言う「この文明の現実的な本質をなしているもろもろの錯覚や欺瞞」とは何か。それは、ドゥルーズが、『差異と反復』を読むわれわれに課す問題だろう。私は逃げているわけではない。私はドゥルーズの代弁などするつもりはないし、そんなことはできるはずもない。

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前回の精読箇所から

「➂厳密に言うなら、縮約は時間の総合を成している。」

「⑥時間は、瞬間の反復を対象とする根源的総合〔=受動的総合〕のなかでしか構成されない。」

「⑦この根源的総合は、互いに独立した継起的な諸瞬間の一方を他方のなかで縮約してゆく。」

「⑧このようにして、根源的総合は、生きられる〔体験される〕現在を、つまり生ける現在を構成する。」

「⑨そして、時間は、まさにその現在のなかで広がる。」

「⑩過去も未来も、まさしく生ける現在に属している。」

「⑪すなわち、過去は、先行する諸瞬間がそうした縮約のなかで把持されているかぎりにおいて、生ける現在に属し、未来は、予期がその同じ縮約のなかでは先取りであるがゆえに、生ける現在に属している。」

「⑫過去と未来は、現在とされた瞬間から区別される〔二つの〕瞬間を意味しているのではなく、諸瞬間を縮約しているかぎりでの生ける現在の〔二つの〕次元を意味している。」

「⑬その生ける現在は、過去から未来へ行くために、自分の外に出る必要はない。」

「⑭したがって生ける現在は、その現在が時間のなかで構成する過去から未来へ行く・・・」


以上についての考察と問題提起。
(続く)


『差異と反復』第二章、第2段落、注釈2 ブログでの精読のスタイル

ブログ画面での精読を新たなスタイルで試みる。前回の精読部分すなわち第2段落の冒頭はほとんどそのままコピーして貼り付けておく(一部は変更する)。今回は、第2段落のおよそ半分を改訳し、文章一つひとつに番号をつけて考察する。

【文庫版198~200頁】
時間の第一の総合—――生ける現在

① そのような変化〔=反復を観照する精神のなかにその反復が導き入れる差異つまり変化〕は、どうなっているのだろうか。ヒュームの説明によれば、互いに独立した同一のあるいは似ている諸事例は、想像力のなかで融合する。想像力は、ここではひとつの縮約能力として、言わば〔古典的な写真機の〕感光版として定義される。想像力は、新たなものが現れてきても、以前のものを保持している。


② 想像力は、等質な諸事例、諸要素、諸振動、諸瞬間を縮約し、それらを融合して、或る種の重みをもった内的な質的印象をつくる。Aが現れると、すでに縮約されているすべてのABの質的印象に応じた力で、われわれはBを予期するのである。それは、断じて記憶ではなく、知性の働きでもない、つまり縮約は反省ではないということだ。
〔以上、前回の精読部分〕

〔以下、今回の精読部分〕
➂厳密に言うなら、縮約は時間の総合を成している。④瞬間の継起は時間をつくらない、それどころか、時間をこわしてしまう。⑤言い換えるなら、瞬間の継起は、時間が生まれようとしてはつねに流産してしまう点を示しているだけである。⑥時間は、瞬間の反復を対象とする根源的総合のなかでしか構成されない。⑦この根源的総合は、互いに独立した継起的な諸瞬間の一方を他方のなかで縮約してゆく。⑧このようにして、根源的総合は、生きられる〔体験される〕現在を、つまり生ける現在を構成する。⑨そして、時間が広がるのは、まさにその現在のなかにおいてである。⑩過去も未来も、まさしく生ける現在に属している。⑪すなわち、過去は、先行する諸瞬間がそうした縮約のなかで把持されているかぎりにおいて、生ける現在に属し、未来は、予期がその同じ縮約のなかでは先取りであるがゆえに、生ける現在に属している。⑫過去と未来は、現在とされた瞬間から区別される〔二つの〕瞬間を意味しているのではなく、諸瞬間を縮約しているかぎりでの生ける現在の〔二つの〕次元を意味している。⑭現在は、過去から未来へ行くために、自分の外に出る必要はない。⑮したがって生ける現在は、その現在が時間のなかで構成する過去から未来へ進む・・・【第2段落途中】

 【考察:私は前回の記事で次のように言った;『差異と反復』第二章における三つの「時間の総合」という名称にはハイデガーの『カントと形而上学の問題』からの影響が見られる。ハイデガーは、カント『純粋理性批判』第一版におけるいわゆる三段の総合、すなわち「直観における覚知の総合」、「構想力における再生の総合」、「概念における再認の総合」に、それぞれ現在性、過去性、未来性をあてがっている。

もちろん、三段の総合は時間にもとづいて成立することを、カント自身が注意している。

『カントと形而上学の問題』のドイツ語原書は、一九二九年に出版され、一九五三年に仏訳されている。ドゥルーズは『差異と反復』第四章でこの仏訳に言及し、かなりの量の文章を引用している(原注17参照)。けれども、『カントと形而上学の問題』におけるカントの三段の総合のハイデガー的解釈には触れていない。しかしドゥルーズはこのハイデガーの書を熟読しているはずだ。

では、『差異と反復』第二章の「三つの時間」の総合は、カントの「三段の総合」のハイデガー的解釈にもとづいて理解されるのだろうか。いや、そんなことはない。

また、ドゥルーズが、以上の点に関して、カントやハイデガーをどれほど正確に理解できているのかと問うのも無意味である。

まず、ドゥルーズの「時間の総合」で何が言われているのかを追究することから始めなければならない。

「時間の総合」とは、「時間を総合する」ということだろうか。では、ここで言われている「時間」とは何か、「総合」とは何か。

上の精読部分でさえ、話が込み入っている。時間は構成されるものであり、現在も構成されるものである。そして、現在のなかで時間は広がる。

われわれは慎重に考えていかなければならない。
(考察続く)

『差異と反復』第2章、第2段落、注釈1 精読は面白い

ここでもやはり、第2段落を細かく区切って精読し、問いを立てていく。やや詳しい注釈をつけ、多少の議論もするが、詳しくは、いずれ拙論「『差異と反復』の解析と再構成の試み1」の続編で論じる予定である。


【文庫版198頁~】
時間の第一の総合—――生ける現在

【注、ここから三つの「時間の総合」が論じられていくのだが、「時間の総合」という名称にはハイデガーの『カントと形而上学の問題』第32節以下からの影響が見られる。ハイデガーは、カントの構想力(想像力)に「現在・過去・未来」の時間的性格を見いだし、さらにカント『純粋理性批判』第一版におけるいわゆる三段の総合、すなわち「直観における覚知の総合」、「構想力における再生の総合」、「概念における再認の総合」に、それぞれ現在性、過去性、未来性をあてがっている。カントの三つの「総合」が「時間の総合」と呼ばれることがあるのは、おそらくこのようなハイデガーの解釈の影響によってであろう。
また、後ほど指摘するが、ドゥルーズの「受動的総合」という名称は、フッサールの『デカルト的省察』第38節「能動的発生と受動的発生」における「受動的総合」という名称を借用したものと推測できる。さらにまた、後で指摘するが、ドゥルーズは、ベルクソンの『思想と動くもの』やフッサールの『内的時間意識の現象学』に出てくる語を使っている。断定的な物言いになるが、ドゥルーズは、ハイデガーやフッサールより、ベルクソンをはるかに深く読み込んでいると言えよう。これについても、他の機会に論じるほかはない。】

① そのような変化は、どうなっているのだろうか。ヒュームの説明によれば、互いに独立した同一のあるいは似ている諸事例は、想像力のなかで融合する。想像力は、ここではひとつの縮約能力として、言わば〔古典的な写真機の〕感光版として定義される。想像力は、新たなものが現れてきても、以前のものを保持している。

【注、「縮約 contraction コントラクシオン」について。ドゥルーズはすでに、『ベルクソンにおける差異の概念』のなかで、ベルクソンにおける有名な物質と持続のそれぞれの定義をとりあげている。すなわち、前者は「弛緩 relâchement ルラ-シュマン」、後者は「縮約contraction コントラクシオン」である。「contraction コントラクシオン」は、ベルクソンにおいては、「収縮」と訳されることが多い。だが、このベルクソンの諸定義は、それほどわかりやすいものではない。『物質と記憶』の該当する文章をすべて精読する必要がある。しかし、ベルクソン精読は他の機会に譲ろう。それはともかく、『差異と反復』における「contraction コントラクシオン」という語の二つの意味については、『差異と反復』文庫版上207頁を参照していただきたい。この箇所にもとづいて、「contraction コントラクシオン」を「縮約」と訳した。】

② 想像力は、等質の諸事例を、諸要素を、諸振動を、諸瞬間を縮約し、それらを融合して、或る種の重みをもった内的な質的印象をつくる。Aが現れると、すでに縮約されているすべてのABの質的印象に応じた力で、われわれはBを予期するのである。それは、とりわけ記憶ではなく、知性の働きでもない。つまり縮約は反省ではないということだ。

【注、ここから第3段落にかけて、フッサールの『内的時間意識の現象学』の時間論と、ベルクソンの『思想と動くもの』所収「形而上学入門」の時間論を思わせる議論が繰り広げられる。ドゥルーズがフッサールやベルクソンに言わば乗って論じているのは、確かだ。問題は、ドゥルーズの時間論の独自性がどこにあるかだ。これについても、注釈から独立したかたちで論じなければならない。ともかく、精読を進めよう。】
(続く)

『差異と反復』第2章、第1段落、注釈11、ドゥルーズを精読してドゥルーズを理解する。

第2章、第1段落の精読

精読が容易になるように、第1段落を七つに区切る。強調するためにアンダーバーを付加する。〈 〉によって修飾関係を明確化る。訳者の判断で〔 〕を用いて原文を補足する。

① 反復は、反復する対象のなかでは何も変化させないが、その反復を観照する精神のなかで何かを変化させる。

② ヒュームのこの有名な主張は、われわれを問題の核心につれてゆく。反復は、〔事例や要素の〕それぞれの現前は完全に独立しているということを権利上〔論理上〕折り込んでいるのだから、どうして反復は、反復する事例や要素のなかで何かを変化させることがあろうか。


③ 反復における不連続性と瞬間性の規則は、〈一方が消えてしまわなければ、他方は現れない〉と定式化される。〈瞬間的精神としての物質〉の状態がそうである。しかし、反復はできあがるそばから壊れてゆくものである以上、どうしてひとは、「二番目」、「三番目」、そして「それは同じだ」と言うことができようか。それ〔=反復〕は即自を有していないのだ。

そのかわり、反復は、その反復を観照する精神のなかで何かを変化させるのである。そうしたことが、変容〔=抜き取られた差異・・・文庫版上p219〕の本質である。


⑤ ヒュームは、たとえして、〈AB、AB、AB、A・・・・・〔チック・タック、チック・タック、チック・タック、チック・・・・・〕〉というタイプの、事例の反復をとりあげている。それぞれの事例つまりそれぞれの客観的なシークエンス〈AB〉は、他の事例つまり他のシークエンスから独立している。反復は、(しかしまさしく、ひとはまだ反復を語ることはできないのだが)、対象のなかでは、すなわち〈AB〉という〈物の状態〉のなかでは、何も変化させない。

そのかわり、或る変化が、観照する精神のなかで生じる。すなわち、或る差異が、つまり何か新しいものが、精神のなかで生じるのである。


⑦ Aが現れると、いまや私は、Bの出現を予期する。それ〔=予期〕こそが、それ〔=反復〕の構成 のなかに必然的に入らざるをえない或る根源的な主観性としての反復の対自〔反復という対自〕であるのだろうか。反復のパラドックスとは、以下のようなことではないだろうか。すなわち、反復を観照する精神のなかにその反復が導き入れる差異つまり変化による以外には、すなわち、精神が反復から抜き取るひとつの差異による以外には、ひとは反復を語ることができないということ。


今回のブログ記事に「ドゥルーズを精読してドゥルーズを理解する」というタイトルを付けたのだが、『差異と反復』に関するかぎり、「理解する」とは「これはどういうことなのかと自問しながら、テキストを読み返す」ということだ。だから、一つの段落を七つに区切ったり強調記号を付加したりしたのは、私自身が理解するつまり自問するためでもある。

では自問して答えは得られるのだろうか。答えは読者に委ねられていると、私は言いたい。私にできることは、読者が精読できる訳文をつくること、注釈というかたちでお節介を焼くことである。だが、どこまで注釈すればよいのか、という問題は残る。

まず、私自身、『差異と反復』を全文にわたって完全に理解しているわけではないということがある。したがって、完璧な注釈は私には不可能である。

つぎに、たとえばこの第2章第1段落の読解においても、ヒューム、ライプニッツ、ヘーゲル、ベルクソンに関する或る程度の知識が前提されている。そこで私が、この哲学者たちについて入門的な解説を注釈のなかで行えばそれは冗長になってしまうだろうし、改訳が遅れてしまう。

さらに、たとえば上記の訳文の後ろから2行目に「(反復から差異を)抜き取る」とあるが、反復から差異を抜き取るとはどのような事態なのか、ここでは説明がない。原語は《 soutirer スティレ》である。《 soutirer スティレ》を何と訳すべきか、私はかなり迷ったのだが、ドゥルーズは、第2章はもとより、序論、結論で、折に触れて《 soutirer スティレ》という語を使っている。それらをすべて読み合わせて、私は「抜き取る」と訳した。「反復から差異を抜き取る」ということが論じられている箇所はそれほど多くないので、その都度、「反復から差異を抜き取る」という事態に言及しよう。

だが、「精神」についてはどうか。この語は、『差異と反復』全体で、しかも様々な文脈のなかでおよそ50箇所出てくる。文脈ごとそのすべてを列挙すれば、小さな本ができるほどだ。

たとえば、序論で、「精神と自然の関係」という西洋哲学の古くからの大問題が扱われており、そこで「概念の阻止」という現象が論じられている。この議論は、伝統的な論理学の概念論や、フロイトの無意識概念が前提されている。しかし、論理学やフロイトに馴染んでいない読者のための説明は、注釈の域を越えてしまう。

したがって、『差異と反復』が前提している従来の哲学理論については(たとえば、ヘーゲルにおける疎外された精神の概念や対自概念については)、つまり『差異と反復』の理解に資する従来の哲学理論については、さらに従来の哲学理論と『差異と反復』との関係については、このブログとは関係のない雑誌等で論じることにして、その後、それをかみ砕いたかたちでこのブログに再録しようと思う。

以上で『差異と反復』第2章のイントロである第1段落の注釈を終えることにして、次回から、第2段落の改訳と注釈に移ろう。「時間の総合」と名付けられた、カントとフッサールとハイデガーから影響を受けているドゥルーズの論述群を解析したい。

『差異と反復』第2章、第1段落、注釈10、ジョージ・フリードマン『ザ・カミング・ウォー・ウィズ・ジャパン』

「反復の対自」を「反復という対自」と訳し変えるべきかどうか考えているうちに、記事執筆がストップしてしまい申し訳ない。原文を何度も読み返しているうちに、ハードカバー版旧訳はもとより、文庫版修正訳も、『差異と反復』の日本語訳の文章が持たざるを得ない或る不十分さに気が付いた。そこで「反復の対自」の問題はいったん脇に置き、今日は少し回り道をして『差異と反復』に戻ろう。

以前(2015年に安倍首相がアメリカ議会で演説することになったころ)、アメリカの政治的指導層の対日観を知りたいと思い、またその参考になるのではないかと考えて、ジョージ・フリードマン/メレディス・ルバードの『ザ・カミング・ウォー・ウィズ・ジャパン「第二次太平洋戦争」は不可避だ』(翻訳、原書ともに1991年)という突飛な題名の本を読んだ。ジョージ・フリードマンがアメリカのシンクタンクStratfor の創立者であることは言うまでもない。

本書は、80年代末における日本企業によるロックフェラー・センターの買収に象徴されるような、アメリカに対する当時の日本経済の強い影響と、その後日本が陥った経済危機という状況のなかで書かれた本である。

たしかに、著者たちの言うように、本書の論議は結論ほど荒唐無稽ではない。(少なくとも、最近辞任した防衛大臣の言動ほど、狂信的でも無責任でもない。)過去の日米戦争、戦後のアメリカの日本占領、その後の日本経済の復興などについての地政学的分析は新味はないが冷静である。

そして、第4章における著者たちの判断、すなわち、アメリカはもう気前の良い勝利者ではない、このようなアメリカに日本はもう甘えられない、にもかかわらず甘えられると思って日本がおのれの利益を追求するなら日米間の対立は高まらざるをえないという判断は、なるほど単純ではあるが、これもひとつのアメリカ的な考え方であることに変わりはない。もちろん著者たちは戦争を煽り立てているわけではない。

けれども、著者たちの一見緻密な資料分析は、国家間の経済的緊張の高まりは必ず戦争を引き起こすという前提のもとになされており、議論は結局のところ、新たな日米戦争の勃発というあらかじめ設定された結論に収斂していく。

どれほど荒唐無稽であろうと、私のような日本人がこの結論とそれを補強する議論から読み取れるのは、、現在の日米軍事同盟の目的が、シーンレーンの確保や、西太平洋のアメリカ支配への日本による手助けや、アメリカによる日本の防衛ということだけではない。日本の急速な軍事力の向上をアメリカは野放しにしないというのも、日米軍事同盟のアメリカ側のひとつの目的だろう。

風雲急を告げる東アジアの情勢は、日米の軋轢を隠しているが、ともかくこの情勢をリアルタイムで知るには、日本のメディアの貧弱で遅い情報よりも、まずアメリカのしかるべきメディアやしかるべきシンクタンクの報告を読まなければならないというのは残念なことだ。

ところで、経済人トランプの2016年の大統領選挙活動中の日本に関する発言が本書のいくつかの主張とよく似ているのには驚いた。

本書では、たとえば「・・・この(貿易均衡の)要求を出さないことには、アメリカは日本の成長政策によって永久に利用されるだけなのである。だからこそアメリカはこれを要求しなくてはならず、日本はそれに抵抗しなくてはならないのだ」(426頁)、「・・・実際、デトロイトの効率を上げるより、日本車の輸出を規制し、アメリカ車の輸入を増やすことを日本に強制するほうが易しいのだ。」(436頁)と主張されている。

トランプは、19991年刊行のこの本から影響されているのではないかと思えるほどである。いやむしろ、アメリカの経済人たちは、25年前から現在に至るまで変わることなくそのように考えてきたのではないだろうか

話を戻そう。地政学的研究の本書とドゥルーズの哲学書『差異と反復』には、どのような関係があるのか。何の関係もない。関係は、本書の訳し方と、『差異と反復』の私の訳し方にある。

フリードマンらの『ザ・カミング・ウォー・ウィズ・ジャパン(来るべき日本との戦争)』の「まえがき Preface」の第1段落は、「想像せよ Imagine」から始まる。その後、imagineという動詞が5回繰り返される。しかも、「想像力 imagination」という名詞が末尾に置かれてこの段落が締めくくられる。

欧米の文章をそのまま日本文に移し変えるのは不可能だとは、よく言われることだ。けれども、原文のニュアンスをできるだけ汲み取ってやろうとする努力はできるはずだし、そうするのは翻訳者の務めである。訳文を精読しようとする読者は依然として存在するのだから。

だが、本書の訳者は、imagineという動詞に、「想像する」という訳語を一貫して採用せず、なぜか途中で「予想する」という訳語を使っている。これでは、原文が言わんとすることが損なわれてしまう。

本書によれば、その学問的な研究方法(methodology)は「想像力 imagination」である。著者たちは、20年後の世界を「思い描く envision」ために、この上なく不正確な「想像力」を用いる。したがって、誤る危険性は高い。しかし、20年後の世界が現在とほとんど同じようだと予測する者は、著者たちよりもはるかに間違う危険が大きいと、著者たちは言う。(10頁)

こうして、本書は、imagineという動詞を反復している。

さて、問題は、『差異と反復』の私の翻訳にある。私は、自然な日本語の訳文を作ろうと心がけたあまり、原文における語句の反復を見逃していたし、それに気づいたときでも、その反復を訳文に反映させることができなかった。

これは、たんなる翻訳上のテクニックの問題ではなく、訳文から原文のニュアンスを読み取ることは可能かという問題である。

具体的に説明しよう。『差異と反復』第2章第1段落で、《dans l’esprit ダン レスプリ》という語句が5回反復されている。そして、第2段落では2回反復されている。しかも第1段落でも、第2段落でも、イタリック体で強調されている《dans ダン(なかで) 》がある。

《dans l’esprit ダン レスプリ》は、「精神のなかで」と訳すことができる。けれども、「精神 (esprit エスプリ)」という語がそもそも何を意味するのかについては説明がない。したがって、読者は、ここまで読んでも、自分の手持ちのイメージや理解で、「精神」を分かったつもりになるほかはない。

ところが、第3段落の末尾に原注が付いていて、そこで(原書では同じページの下部で)、《dans l’esprit ダン レスプリ》が、ベルクソンに由来する、あるいは深く関係する表現であることが示唆されている。

私は、《dans l’esprit ダン レスプリ》を、一貫して「精神のなかで」と訳すことをしなかった。そのため、ハードカバー版旧訳でも、文庫版修正訳でも、ドゥルーズが強調しているこの表現を読者が読み取ることは難しくなっている。

では、一貫して「精神のなかで」と訳すなら、この表現は際立つだろうか。日本語訳の文章は縦書きで、しかも、日本語だから漢字も仮名もくっついている。欧米語のように、単語が離されていない。よほど精読しなければ、一目で、「精神のなかで」がしつこく強調されていることを見て取ることができないだろう。

その上、この表現がベルクソン哲学に由来するとなると、ベルクソン哲学に通暁している読者でなければ、ドゥルーズが言わんとしているところを十分に押さえることは難しいだろう。

さて、どうするか・・・。とにかく、「精読」に値する訳文を作らなければならない。
(続く)

『差異と反復』第二章 第一段落 注釈10

気持ちとしては一、二週間に一度はブログを書くつもりなのだが、起承転結のあるまとまったものを書こうとするので、それが実現できないでいるのだろう。だから、多少断片的なメモのようなかたちになっても、とにかく書いていこう。注釈が、かなり細部にこだわるようになってきたので、読みにくく感じている読者もいるだろうが、この調子で続けていきたい。

注釈と改訳との作業を同時に進めており、しかも2年前に大病をしたので、疲れやすくなっている。というわけで、ブログ執筆がさらにスローモーになってしまったが、いずれ、もっと整理して読みやすい論文に仕上げるつもりではいる。

他方、改訳の必要な箇所が予想以上に多くあることがわかった。これについても書いていこう。

さて、ドゥルーズの言う「対自(プルソワ pour-soi)」とは何か。『差異と反復』第4章原注14で、ドゥルーズは、ヘーゲル『精神現象学』における即自と対自の関係を参照せよと指示している。これからもわかるように、ドゥルーズの「対自」は、ヘーゲルのそれを踏まえた概念である。

しかし『差異と反復』の「はじめに」で言われているように、「一般化した反ヘーゲル主義」という時代の雰囲気のなかで哲学するドゥルーズであってみれば、ヘーゲルの考えをそのまま踏襲しているはずはないだろう。

ドゥルーズは、ヘーゲル『精神現象学』における即自と対自の関係を参照するために『精神現象学』のどの箇所を読めばいいのかは明示していないが、周知のように(とはいっても、もはや周知のことではなくなったが)その「序論」ですでに即自と対自の関係が論じられている。

長くなり面倒なので引用はしないが、例えば中央公論社『世界の名著 ヘーゲル』「精神現象学序論」の104頁を読んでいただきたい。ここは、『精神現象学』に対立する『差異と反復』の立場をわれわれによくわからせてくれる箇所だ。(これについても論じるべきなのだが、寄り道していると注釈が先に進めなくなってしまうので、それについてはいつか書くことにしよう。)

だから、ドゥルーズにおける「反復の対自」の「対自」を、ヘーゲルのそれに還元するのではなく、『差異と反復』そのもの記述から考えてみよう。

「対自」という語は、『差異と反復』の序論、第1章、第2章に、数え方にもよるが8か所出てくる。しかも「対自」の概念が漸進的に掘り下げられて論じられるのではなく、一見バラバラに言及されている。

そこでまず、『差異と反復』(文庫版)の53頁を見てみよう。
(続く)

『差異と反復』第二章 第一段落 注釈9

『差異と反復』第二章全体のイントロをなす第1段落を四つのセクションに分ける。(絶えず以前の訳文を推敲しているので、以下の訳文はその推敲の結果である。)

① 反復は、反復する対象のなかでは何も変化させないが、その反復を観照する精神のなかで何かを変化させる。

② ヒュームのこの有名な主張は、われわれを問題の核心につれてゆく。反復は、〔事例や要素の〕それぞれの現前は完全に独立しているということを権利上〔論理上〕折り込んでいるのだから、どうして反復は、反復する事例や要素のなかで何かを変化させることがあろうか。反復における不連続性と瞬間性の規則は、〈一方が消えてしまわなければ、他方は現れない〉と定式化される。〈瞬間的精神としての物質〉の状態がそうである。しかし、反復はできあがるそばから壊れてゆくものである以上、どうしてひとは、「二番目」、「三番目」、そして「それは同じだ」と言うことができようか。それ〔反復〕は即自を有していないのだ。そのかわり、反復は、その反復を観照する精神のなかで何かを変化させるのである。そうしたことが、変容〔抜き取られた差異・・・文庫上p219より〕の本質である。

③ ヒュームは、たとえして、〈AB、AB、AB、A・・・・・〉というタイプの、事例の反復をとりあげている。それぞれの事例つまりそれぞれの客観的なシークエンス〈AB〉は、他の事例からつまり他のシークエンスから独立している。反復は、(しかしまさしく、ひとはまだ反復を語ることはできないのだが)、対象のなかでは、すなわち〈AB〉という〈物の状態〉のなかでは、何も変化させない。そのかわり、或る変化が、観照する精神のなかに生じる。すなわち、或る差異が、つまり何か新しいものが、精神のなかに生じるのである。

④ Aが現れると、いまや私は、Bの出現を予期する。それ〔?〕こそが、それ〔反復〕の構成 に必然的に入らざるをえない〔関与せざるをえない〕或る根源的な主観性としての〈反復の対自〉なのであろうか。反復のパラドックスとは、以下のようなことではないだろうか。すなわち、反復を観照する精神のなかにその反復が導き入れる差異つまり変化による以外には、すなわち、精神が反復から抜き取るひとつの差異による以外には、ひとは反復を語ることができないということ。

セクション①は、もちろん、この第一段落全体のイントロである。

セクション①の冒頭の文章「反復は、・・・その反復を観照する精神のなかで何かを変化させる」は、セクション②で、「そのかわり、反復は、その反復を観照する精神のなかで何かを変化させる」と反復される。

そのセクション②の文章「そのかわり、反復は、その反復を観照する精神のなかで何かを変化させる」は、セクション③で「そのかわり、或る変化が、観照する精神のなかに生じる。すなわち、或る差異が、つまり何か新しいものが、精神のなかに生じるのである。」と反復される。

観照する精神のなかに生じる「変化」とは、「差異」、「何か新しいもの」と言い換えられている。

そのセクション③の文章「そのかわり、或る変化が、観照する精神のなかに生じる」は、セクション④で引き継がれる。「・・・反復を観照する精神のなかにその反復が導き入れる差異つまり変化」。すなわち「反復はその反復を観照する精神のなかに差異つまり変化を導き入れる」ということである。

要するに、「何かを変化させる」とは、「変化が生じる」ということであり、「差異つまり変化を導き入れる」ということである。

では「生じる変化、差異、何か新しいもの」とは何か。セクション③の末尾からセクション④の冒頭を続けて読もう。

「そのかわり、或る変化が、観照する精神のなかに生じる。すなわち、或る差異が、つまり何か新しいものが、精神のなかに生じるのである。Aが現れると、いまや私は、Bの出現を予期する。」

持続する精神がこれまで〈AB、AB、AB、〉を観照していた。そしてAが現れると、いまや「私」は、Bの出現を予期する。すなわち〈AB、AB、AB、A〉の観照の直後に「私」なるものが〈B〉の出現を予期するのである。

以上の文脈からすれば、「観照する精神のなかに生じる変化、差異、何か新しいもの」は、「私はBの出現を予期する」あるいは「私は予期する」を指すと読める。

反復を観照する精神のなかに生じる差異(何か新しいもの)は、「私は(Bの出現を)予期する」である。

もう一度ドゥルーズの文章を読もう。

「そのかわり、或る変化が、観照する精神のなかに生じる。すなわち、或る差異が、つまり何か新しいものが、精神のなかに生じるのである。Aが現れると、いまや私は、Bの出現を予期する。それ〔原語は何でも受けられる代名詞 ce ス〕こそが、それ〔反復〕の構成 に必然的に入らざるをえない〔関与せざるをえない〕或る根源的な主観性としての〈反復の対自〉なのであろうか。」

では、「それ〔原語は何でも受けられる代名詞 ce ス〕は、何を受けているのだろうか。やはり以上の文脈からすれば、「それ」は、「私は(Bの出現を)予期する」という主観性である。「私は(Bの出現を)予期する」という主観性は、差異(何か新しいもの)である。

さらに、「私は(Bの出現を)予期する」という主観性は、「反復の対自」であるとされる。

では「反復の対自」とは何を意味するのか。そもそも、ドゥルーズの言う「対自 pour-soi プール・ソワ」とは何を意味するのか。これについては、『差異と反復』の序論「反復と差異」で論じられている。
(続く)

『差異と反復』第二章 第一段落 注釈8

第二章第一段落の解析と問題提起2

「反復は、反復する対象のなかでは何も変化させないが、その反復を観照する精神にのなかでは何かを変化させる」というヒュームの主張は、すでにドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社版)のp92で言及されている。ヒュームそのものでは『人性論(一)』(岩波文庫)のp212や、p255前後の叙述の内容にほぼ合致する。

ほぼ合致するのであって、ヒューム自身の論旨に忠実に沿って取り上げられているのではない。むしろ、このヒュームの主張なるものは、ドゥルーズ自身の議論の進行のなかでは、ベルクソンの『時間と自由(意識の直接的所与についての試論)』や『意識と生命』、そしてフッサールの『内的時間意識の現象学』に流れ込んでいく。

しかし、この問題について論じるのは、ブログの記事の限界を超えてしまうし、『差異と反復』改訳のための時間を奪ってしまうので、別の機会を得て論じるほかはない。

ちなみに、「観照する」の原語は、「コンタンプレ contempler」という仏語であるが、ヒューム自身の英語では「contemplate」に相当するだろう。これは、『人性論(一)』では「熟視」と訳されている。とりわけp260を参照されたい。ヒュームでは「観察する observe」と同義で使われることが多い。

けれども私は、ドゥルーズの「コンタンプレ contempler」に、受動的な視の意味を含ませようとして「観照する」と訳した。

さて、この第一段落には、「われわれ」、「ひと」、「私」という人称代名詞が使われている。

「ヒュームのこの有名な主張は、われわれを問題の核心につれてゆく」

「反復はできあがるそばから壊れてゆくものである以上、どうしてひとは、「二番目」、「三番目」、そして「それは同じだ」と言うことができようか」

ひとはまだ反復を語ることはできない」

「Aが現れると、いまやは、Bの出現を予期する」

ここでは、「われわれ」はドゥルーズ自身と読者を指しているだろう。

「ひと」の原語は「オン on」である。この「オン on」は、文法からすれば、「われわれ」とも、「君たち」とも、「人々」とも訳せるし、文章全体を受動態にして訳して、能動態の主語を明示しないこともできる。

だが私(財津)は、「オン on」を「ひと」と訳した。この「ひと」が誰なのかを考えよう。そして、なぜ「私」が登場するのかをも。


『差異と反復』第二章 第一段落 注釈7

最近、初めてスマホでこのブログの画面を見たところ、パソコン(windows)で作った画面がそのまま再現されず、やや崩れていることがわかった。

訳文の各行に番号を付し、注釈の際どの文章を問題にしているのかをすぐに見て取れるようにするつもりだったのだが、スマホの画面ではその番号付けがほとんど無意味になってしまっている。

他方、一応3年後を目指して『差異と反復』全体の改訳をすすめているのだが、版権の問題があり、またその他に思うところもあって、今後はこのブログで改訳の訳文は公表しないことにした。もちろん、抜けや訳語・訳文の不適切な箇所はそのつど指摘する。

ただし、何度も言うが、第二章の第一段落は第二章全体の序論に相当すると思われるので、ここだけは公表しておいたほうがよいだろう。そう思って、あらためて第一段落を原文と訳文で精読してみたら、やはり不満足なところが出てきたので、再度手を入れた訳文を発表することにする。

今後、文庫版あるいはオンライン版の『差異と反復』を参照できるようにしていただくと、第2段落からの注釈において訳文のどの箇所を問題にしているのかがわかりやすくなるだろう。


第二章第一段落改訳【文庫上p197~198】

【原書p96】

反復〔注1〕 : 何かが変化させられる

反復は、反復する対象のなかでは何も変化させないが、その反復を観照する精神にのなかでは何かを変化させる〔注2〕。ヒュームのこの有名な主張は、われわれを問題の核心につれてゆく。反復は、〔事例や要素の〕それぞれの現前は完全に独立しているということを権利上〔論理上〕折り込んでいるのだから、どうして反復は、反復する事例や要素のなかで何かを変化させることがあろうか。反復における不連続性と瞬間性という決まりごとは、〈一方が消えてしまわなければ、他方は現れない〉と定式化される。〈瞬間的精神としての物質〉の状態がそうである。しかし、反復はできあがるそばから壊れてゆくものである以上、どうしてひとは、「二番目」、「三番目」、そして「それは同じだ」と言うことができようか。それ〔反復〕は即自を有していないのだ。そのかわり、反復は、その反復を観照する精神のなかで何かを変化させるのである。そうしたことが、変容〔注3〕の本質である。ヒュームは、たとえして、〈AB、AB、AB、A・・・・・〉というタイプの、事例の反復をとりあげている。それぞれの事例つまりそれぞれの客観的なシークエンス〈AB〉は、他の事例からつまり他のシークエンスから独立している。反復は、(しかしまさしく、ひとはまだ反復を語ることはできないのだが)、対象のなかでは、すなわち〈AB〉という〈物の状態〉のなかでは、何も変化させない。そのかわり、ひとつの変化が、観照する精神のなかに生じる。すなわち、ひとつの差異が、つまり何か新しいものが、精神のなかに生じるのである。Aが現れると、いまや私は、Bの出現を予期する。これこそが、それ〔反復〕の構成 に必然的に入らざるをえない〔関与せざるをえない〕或る根源的な主観性としての、反復の対自なのであろうか。反復のパラドックスとは、以下のようなことではないだろうか。すなわち、反復を観照する精神のなかにその反復が導き入れる差異つまり変化による以外には、すなわち、精神が反復から抜き取るひとつの差異による以外には、ひとは反復を語ることができないということ。

〔注1〕「反復する」という訳語は、おもに自動詞として使う
〔注2〕訳文の修飾関係があいまいにならない限りで直訳を心がけるが、文脈から以下のように意訳してもよいだろう:反復する対象のなかでは、反復によって何の変化も生じないが、その反復を観照する精神のなかでは、反復によって何らかの変化が生じる。
〔注3〕変容の原語は、modification〔モディフィカシオン〕。文庫版上p219および訳注(9)参照。


第二章第一段落の解析と問題提起

まず、「反復する対象」と「反復を観照する精神」が区別される。

反復する対象とは、「反復する事例」と「反復する要素」である。

「反復する事例」とは、〈AB,AB,AB,A...〉という「開いた型の反復」における〈AB〉というシークエンスである。具体例では、〈チック・タック、チック・タック、チック・タック、チック...〉における〈チック・タック〉である。〈AB〉つまり〈チック・タック〉は、「物の状態」である。

このような物質的反復には、「一方が消えてしまわなければ、他方は現れない」という不連続性と瞬間性がある。これは、「物質の状態」である。

ちなみに、「反復する要素」とは、たとえば〈A、A、A、A〉あるいは〈チック、チック、チック、チック〉という「閉じた型の反復」における〈A〉つまり〈チック〉である。

したがって、「反復する対象」と「反復を観照する精神」の区別は、「物質界」と「精神界」の区別だと言ってよいだろう。「物質界」と「精神界」が区別されているのだ。だが、ここでは物質も或る種の精神である。

物の状態、物質の状態は、現代物理学における物理現象を意味しているわけではない。ここで言われている物、物質は、ライプニッツにおける瞬間的精神とされていることからわかるように、形而上学的な意味での物質である。というより、むしろ、ベルクソンが問題にしているライプニッツの瞬間的精神であろう。

「・・・すべての物体は瞬間的精神又は想起を欠く精神であり、・・・従って物体は記憶を欠く。・・・」ライプニッツ『抽象的運動論』、『人類の知的遺産38、ライプニッツ』p274

「ライプニッツが物質とは「瞬間的精神」であると言ったときには、かれが欲した否かにかかわらず、物質は無感覚だということを宣言しているのではないでしょうか。そこで、意識〔精神〕は記憶であります。」ベルクソン『意識と生命』、『ベルクソン全集5、精神のエネルギー』p16

【続く】
追伸:斜体にすべき文字が斜体にならない。いつか修正する。

『差異と反復』第二章 第一段落 注釈6 「『差異と反復』の解析と再構成の試み」

4月からの担当授業は大学院での1コマだけになり、来年は定年を迎える。非常勤講師になって以来、初めて執筆に専念できる身の上になる。そう思うと、やりたい様々なことが頭のなかで渦を巻き、長期間ブログの執筆を中断してしまった。

改めてドゥルーズ哲学への取り組み方を考えていたが、同時に、ドゥルーズ哲学にこだわらずに、「精神、身体、生 そして死」について自分自身の考えを反芻していた。反芻といってもウツ状態になっていたわけではない。

最近ラカンの『《盗まれた手紙》についてのセミナー』の新たな訳が発表されたが、我々には我々なりの解釈があるので、我々の訳と注釈(全体の3分の1程度)は、今年の冬か来年の春に、法政大学の公式の雑誌に公表したいと思う。その上で、我々の訳と注釈をこのブログでさらに詳しく検討するつもりでいる。

戦前の「国民道徳要領」の分析も中断している。最近教育現場に強制されようとしている浅薄な道徳教育からすれば、すなわち戦前の道徳教育の問題点を学んでいない道徳教育からすれば、この「国民道徳要領」の批判的吟味はますます緊急かつ重要になっている。

だが、『差異と反復』全体をおよそ三年かけて改訳すると一応出版社に約束したので、これを最優先の仕事にしなければならない。

これが終われば、論文形式ではないかたちで、自由に自分自身の考えを発表していきたいと思っている。

他方、法政哲学会の雑誌「法政哲学13号」に、「『差異と反復』の解析と再構成の試み1」を投稿した。今後、『差異と反復』を改訳するだけでなく、コラージュもしくは離散多様体としての『差異と反復』を言わば暴力的に解析して、『差異と反復』内部の連続する諸要素を連関させる予定である。

そればかりでなく、『差異と反復』の諸要素と、『差異と反復』に至るまでのドゥルーズの諸著作の諸要素にラインを引こうと考えている。ドゥルーズは、『差異と反復』のアメリカ版の序文(『狂人の二つの体制1983-1995』所収)でこう語っているからである。

「・・・・私を襲い熱狂させたヒューム、スピノザ、ニーチェ、プルーストを研究したあと、私は「哲学すること」を試みたのだが、その最初の著作こそ、『差異と反復』であった。その後の私の仕事はすべて、この書物に繋がっていた。ガタリとの共著でさえそうである・・・」

とりあえず、『差異と反復』とそれ以前のドゥルーズ諸著作を比較検討していこう。

たしかに、ソーカルらが言うことに頷けるところがないわけではない。
「・・・これらのテクスト(ドゥルーズとガタリの諸著作)には実に様々な科学のテーマが登場する。ゲーデルの定理、超限基数の理論、リーマン幾何学、量子力学などなど。しかし、これらの取り扱いはあまりにも短く表面的なので、すでにそのテーマに精通しているのでもない限り、読者は何一つきちんとしたことを学びえない・・・」

これは、『差異と反復』における過去の哲学作品からの引用にも言えそうなことである。この批判的な言葉を無視しないでドゥルーズを読んでいきたい。

能書きばかりを並べていないで、具体的に論ぜよという声が聞こえてきそうなので、今日は、問題生産機械としての『差異と反復』第二章第一段落に関していくつか問題を提起するだけにしよう。

さて、この第一段落の冒頭の文章、「反復は、反復する対象において、何も変化させないが、その反復を観照する精神においては何かを変化させる。」は、ヒューム『人性論』における叙述のパラフレーズである。ドゥルーズの処女作にあたる『経験論と主体性』(一九五三)もヒューム論であり、そこにはすでにこの冒頭の文章とほぼ同じ叙述がある。

ところで、『経験論と主体性』刊行の直後、一九五五年に、若きドゥルーズは、彼自身が編纂した思想文献資料集を『本能と制度』という題名で出版している。そしてこの資料集は、マルクス『経済学・哲学草稿』からの抜粋で締めくくられている。

ドゥルーズが用いた『経済学・哲学草稿』のテクストは、一九五三年にフランスで初めて出版された仏訳のテクストである。ドゥルーズが抜粋した仏訳の箇所は、一九三二年に刊行されたいわゆるアドラツキー版のドイツ語テクストに合致している。それは、岩波文庫版『経済学・哲学草稿』p133で邦訳されている。

その頁の「享受」およびそこに付された訳注(11)を参照されたい。岩波文庫版の訳者は、この「享受」は、アドラツキー版では「精神 (Geist)」となっていたが、その後に出版されたいわゆるディーツ版では「享受(Genuss)」となっており、内容からしても「享受」の方が適合していると述べている。私は、ここに何らかのイデオロギー上の配慮が働いているのかどうかは知らないが、「精神」で何ら問題はないと思う。ともかくドゥルーズは、「精神(esprit)」を含む箇所を抜粋した。抜粋箇所は長くなるので、詳しい検討は次回に回そう。

ドゥルーズは、当然、『経済学・哲学草稿』をすべて読んでいるだろうから、「唯物論と科学を基礎づけた」というフォイエルバッハへのマルクスの賛辞やヘーゲル批判を知らないはずはない。言うまでもなく、この時期のマルクスはフォイエルバッハの強い影響のもとにあった。

またヒュームを唯物論の立場から不可知論者として手厳しく批判するレーニンの『唯物論と経験批判論』も知らないはずはないだろう。その仏訳はすでに、一九二八年に出版されているのだから。

ところが、『差異と反復』第二章のヒュームから始まる第一段落で提示されている物質の例は、現代物理学が問題にする何らかの物質ではなく、ライプニッツの瞬間的精神(メンス・モメンタネア mens momentanea )という或る種の形而上学精神である。このライプニッツの物質概念は「序論」ですでに言及されており、しかもヘーゲルのいわゆる『自然哲学』における「疎外された概念」、「疎外された精神」としての自然に関連づけられている。しかも、「結論」で再び「疎外された概念」が物質の定義として現れる。

マルクスもレーニンも読んでいたはずのドゥルーズは、何故ヒュームから哲学研究を開始し、精神という概念を強調するのだろうか(実際『差異と反復』では、レーニンへの言及がある)。

だから、当然。ドゥルーズにおける「物質」と「精神」は問題をはらむ言葉である。

だから、ドゥルーズは「物質」や「精神」をどう考えていたのだろうかという問いの立て方ではなく、ドゥルーズは「物質」や「精神」という言葉で、どのようなことを考えていたのだろうかと問う方がよい。

今後は、できるだけ1週あるいは2週に1回のペースでブログを書いていくつもりだ。

『差異と反復』第二章 第一段落 注釈5

第二章 それ自身へ向かう反復 

【原書p96】
反復 : 何かが変化させられること
【第一段落、旧訳ハードカバー版p119、文庫版上p197~198】
1  反復は、反復する対象において、何も変化させないが、その反復を観照する精神におい
2 ては何かを変化させる。ヒュームのこの有名なテーゼは、わたしたちを問題の核心につれ
3 てゆく。反復は、〔事例や要素の〕それぞれの提示=現前化は完全に独立しているというこ
4 とを権利上〈折り込んでいる〉のだから、どうして反復は、反復する事例や要素において
5 何かを変化させることがあろうか。反復における不連続性と瞬間性の規則は、〈一方が消え
6 てしまわなければ、他方は現れない〉と定式化される。例えば、〈瞬間的精神〔メンス・モ
7 メンタネア mens momentanea 〕としての物質〉の状態である。しかし、反復はできあ
8 がるそばから壊れてゆくものである以上、どうして、「二番目のもの」、「三番目のもの」、
9 また「それは同じものだ」と言えようか。それ〔反復〕は即自を有していないのだ。その
10 かわり、反復は、その反復を〈観照する〉精神において何かを変化させるのである。その
11 ようなことが、〈変容〉の本質なのである。ヒュームは、たとえして、〈AB、AB、AB、A・・・・・〉
12 というタイプの、事例の反復をとりあげている。それぞれの事例、つまりそれぞれの客観
13 的なシークエンス〈AB〉は、他の 事例つまりシークエンスから独立している。反復は、(た
14 だし正確には、ここではまだ反復を語ることはできないのだが)、対象においては、あるい
15 は〈AB〉という〈物の状態〉に おいては、何も変化させない。そのかわり、観照する精
16 神のなかに、〈ひとつの変化〉が生産される。すなわち、ひとつの差異が、つまり何か新し
17 いものが、精神のなかに生産されるのである。Aが現れると、いまや私は、Bの出現を予
18 期する。これこそが、それ〔反復〕の構成 に必然的に入らざるをえない〔関与せざるを
19 えない〕或る根源的な主観性としての、反復の〈対自〉なのであろうか。反復のパラドッ
20 クスとは、以下のようなことではないだろうか。すなわち、反復を観照する精神のなかに
21 その反復が導き入れる差異つまり変化による以外には、すなわち、精神が反復から〈抜き
22 取る〉或る差異による以外には、反復を語ることができないということ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

注釈5

4行目の「権利上」の原語は、《en droit アン ドロワ》である。ドゥルーズはこの言い回しを頻繁に使う。なお、以下の注釈を読むにあたっては語学の知識は必要ないが、フランス語、ドイツ語、ラテン語の単語が出てくるので、多少の辛抱はしていただきたい。

こんなことを言うと、「読者をばかにするな」という声が飛んできそうだが、日本の学会では、原書,原語は素通りして翻訳本だけ読み、訳語だけでドゥルーズ研究を発表する研究者もいるのだから、あえてお節介な言動をしたくなるわけである。

ともかく、このドゥルーズの《en droit アン ドロワ》つまり「権利上」という言い回しは、カントの『純粋理性批判』のなかのラテン語《quid juris クイド ユーリス》に由来している(『差異と反復』ハードカバー版p34、p267、文庫版 上p46、下p26。)。このラテン語は、カントでは「権利問題」と訳されるのがふつうである。《quid クイド》が「問題」、《juris ユーリス》 が「権利」。西田幾多郎も「権利問題」という訳語を用いている。

というわけで、私は、カントに由来する《en droit アン ドロワ》を「権利上」と訳した。しかし、今では、「権利=法からして」と訳すのが、いっそう適切であるようにも思われる。が、これでは、くどい訳語になって読みにくいことも確かだ。また、以下で説明するように、『差異と反復』第二章では、そこまでこだわらなくてもよいかもしれない。

ところで、フランス語《droit ドロワ》は、その意味に関しては、ラテン語の《jus ユース、juris ユーリス》に、ドイツ語の《Recht レヒト》に相当するのだが。このフランス語も、ラテン語も、ドイツ語も、「法」と「権利」を意味している。

事実、《en droit アン ドロワ》を仏和辞典で引くと、たいてい「法的に」、「法律上」という意味が出てくる。では、「法」と「権利」では、どちらが基本になるのだろうか。私は、「法」が基本的な意味だと思っている。なぜなら「権利」とは、「法にもとづいて、利益を要求したり享受したりすることのできる資格」をいうのだから。

ともかく、「権利」の根底には、「法」の意味が響いている。

ではカントの「権利問題」とは何か。『純粋理性批判』におけるカントの説明を、岩波文庫上p162から引用しよう。ただし、一部、私の観点から訳文を修正する。

「法学者は、権限と越権を論じるとき、一個の法的な争い〔Rechtshandel レヒツハンデル 訴訟〕において次の二つの問いを区別する。すなわち、何が合法的〔Rechtens レヒテンス〕であるかという問い(quid juris クイド ユーリス 権利問題)と、事実に関する問い(quid facti クイド ファクティ 事実問題)とをである。・・・・・たとえば幸福とか運命といった濫用されている概念もあり、なるほどこれらの概念は、ほとんど皆から大目に見られて広く使用されているが、それでもなお、時には、《quid juris クイド ユーリス 何が合法的か 》という問いにさいなまれるのである。」

少し細かい点に触れておくが、カントの用いるラテン語《quid juris クイド ユーリス〔何が合法的か〕》の《juris ユーリス》は、《 jus ユース、法》の属格であり、カントのドイツ語《何が合法的〔Rechtens レヒテンス〕であるか》の《Rechtens レヒテンス》は、《Recht レヒト 法》の古いかたちの属格(2格)である。だからカントのドイツ語は、ラテン語の直訳とみなすことができる。したがってまた、従来「何が権利〔Rechtens レヒテンス〕であるか」と訳されてきたところは、「何が合法的〔Rechtens レヒテンス〕であるか」と訳すべきであろう。

結局、私が言いたいのは、ここでカントが用いている《《Recht レヒト》の意味は「権利」というより「法」に近い。だから、従来「権利問題」と訳されてきた《quid juris クイド ユーリス》は、「合法性の問題」と訳すべきだろうということだ。

したがって、ドゥルーズの用いる《en droit アン ドロワ》は、「法からして」と訳すべきかもしれない。事実、『差異と反復』の独訳では、《von Rechts wegen フォン レヒツ ヴェーゲン》すなわち「法に従って」と訳されている。

他方、英訳では、《in principle 原理的には》と訳されていて、権利と法の曖昧さは投げ捨てられている。これはこれでまた根拠のある訳し方であるが、法と権利のグレーゾーンを残した訳の方が生産的な読みにつながると思ったりもする。

しかし、ドゥルーズ自身、《en droit アン ドロワ》を言い換えている。ハードカバー版p121下段、文庫版p201。
「どの一打も、どの振動あるいは刺激も、〈論理的には〉他のものから独立しており、瞬間的精神である。」この「論理的には logiquement ロジックマン」を、「権利上 en droit アン ドロワ 」の言い換えとみなすことができる。

では、「権利上」の代わりに、「法に従って」、「原理的には」、「理論的には」といいかえれば、ひとつの瞬間的物理現象は後続する物理現象に影響を及ぼさないという、ドゥルーズの主張を受け入れることができるのだろうか。この主張には、どのような権利、法、原理、論理が前提されているのだろうか。

物質あるいは物理現象は、「瞬間的精神」だと言われている。これは、もちろんライプニッツの言葉である。では、ドゥルーズは、物質をどう考えているのだろうか。
                                     (続く)

『差異と反復』第二章 第一段落 注釈4

言うまでもないが、いま、注釈は第1段落について行っている。第1段落の本文(訳文)と注釈とを読み比べやすいように、注釈ごとに、毎回、冒頭に第1段落の訳文全体を掲載することにする。

なお、訳文は絶えず見直しているので、前回までの訳文が変更される場合がある。今回もそうだ。

ところで、『差異と反復』の独訳(Joseph Vogl訳)が1992年の春ごろに発行され、やはり1992年の秋に私の翻訳の初校ゲラが出たとき、それを手に入れることができた。しかし、もう時間がなく、この独訳を十分に参照することができなかった。だが、今回『差異と反復』を全面的に見直すにあたって、仏語原文と独訳とを完全に比較しながら、改訳の作業を進めるつもりである。

なお、英訳(Paul Patton訳)が1994年に発行されたが、賛成できない訳し方があり、この英訳を参照すべきかどうか迷ったが、学べる点があるかもしれないので、やはり参照することにした。

独訳、英訳で、注目すべきところがあれば、このブログで論じてみたい。



凡例
1、〈 〉は、文意をとりやすくするために、あるいは重要な語句だと訳者が判断した場合に、訳者が補った記号。
2、〔 〕は、訳者が補った文章や言葉を示す。
3、訳文のイタリック太字は、原文でのイタリック体を示す。  
4、:は、原書に記されている記号。
5、各行に番号を付した。ただし、原書の行に対応しているわけではない。文庫版『差異と反復』の行にできるだけ合致するようにした。
6、原文の代名詞(「それ」)や所有形容詞(「それの」)は、それらが指している語が自明だと思われるものは、くどいようだがその語に置き換えて訳したが、「それ」と訳してその直後に〔〕を置いて、その代名詞等が指していると思われる語を補った場合もある。

第二章 それ自身へ向かう反復 

【原書p96】
反復 : 何かが変化させられること
【第一段落、旧訳ハードカバー版p119、文庫版上p197~198】
1  反復は、反復する対象において、何も変化させないが、その反復を観照する精神におい
2 ては何かを変化させる。ヒュームのこの有名なテーゼは、わたしたちを問題の核心につれ
3 てゆく。反復は、〔事例や要素の〕それぞれの提示=現前化は完全に独立しているというこ
4 とを権利上〈折り込んでいる〉のだから、どうして反復は、反復する事例や要素において
5 何かを変化させることがあろうか。反復における不連続性と瞬間性の規則は、〈一方が消え
6 てしまわなければ、他方は現れない〉と定式化される。例えば、〈瞬間的精神〔メンス・モ
7 メンタネア mens momentanea 〕としての物質〉の状態である。しかし、反復はできあ
8 がるそばから壊れてゆくものである以上、どうして、「二番目のもの」、「三番目のもの」、
9 また「それは同じものだ」と言えようか。それ〔反復〕は即自を有していないのだ。その
10 かわり、反復は、その反復を〈観照する〉精神において何かを変化させるのである。その
11 ようなことが、〈変容〉の本質なのである。ヒュームは、たとえして、〈AB、AB、AB、A・・・・・〉
12 というタイプの、事例の反復をとりあげている。それぞれの事例、つまりそれぞれの客観
13 的なシークエンス〈AB〉は、他の 事例つまりシークエンスから独立している。反復は、(た
14 だし正確には、ここではまだ反復を語ることはできないのだが)、対象においては、あるい
15 は〈AB〉という〈物の状態〉に おいては、何も変化させない。そのかわり、観照する精
16 神のなかに、〈ひとつの変化〉が生産される。すなわち、ひとつの差異が、つまり何か新し
17 いものが、精神のなかに生産されるのである。Aが現れると、いまや私は、Bの出現を予
18 期する。これこそが、それ〔反復〕の構成 に必 然的に入らざるをえない〔関与せざるを
19 えない〕或る根源的な主観性としての、反復の〈対自〉なのであろうか。反復のパラドッ
20 クスとは、以下のようなことではないだろうか。すなわち、反復を観照する精神のなかに
21 その反復が導き入れる差異つまり変化による以外には、すなわち、精神が反復から〈抜き
22 取る〉或る差異による以外には、反復を語ることができないということ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

注釈4
 
精神と物質を、あるいは心と物をビシッと定義した上で、そこから両者の差異や、それぞれの特徴を説明していく、という論じ方をドゥルーズはしない。概してドゥルーズは、定義されていない、あるいは意味が自明ではない言葉を用いて、散文と詩の中間のような文体で論を進めてゆく。だから、ドゥルーズの論述に対して、わかりにくい、あるいは説明不足だという抗議が寄せられることがある。

たしかに私も、『差異と反復』を訳しているとき、絶えず、もう少し説明してくれてもいいのではないかという気持ちをもっていた。

だが、読み込むうちに、それは、ないものねだりだと思うようになった。私がドゥルーズの思考の展開に追いついてゆけないので、そんな気持ちをもってしまったのだろう。

しつこく何故だ、どうしてなんだ、と問いかけながら読む以外に、ドゥルーズに対応する方法はない。もちろん、『差異と反復』を読む上で、哲学史や精神分析や自然科学に関する基本的な教養は必要ではあるが。

たしかに、ドゥルーズを利用できれば、それでよいと触れ回る人もいる。しかし、私はそのような人には関心がない。

人々が、ドゥルーズという名前を聞いいただけで威光を感じるうちはよい。だが、私が恐れるのは、ドゥルーズ自身の文章を読んでも何がなんだかわからないという評価が世間に定着して、いつかドゥルーズ自身が読まれなくなってしまうことだ。

私自身、『差異と反復』を完全に理解できているわけではない。けれども、この書には、多くの人が感じているように何か尋常ならざるものがある。それを追究したいと思うばかりだ。その結果がどう出ようと、私にできるのはそれを甘受することだけである。

                        *

さて、物理現象の反復とは何か。いま私は、物理現象と言ったが、もちろんドゥルーズはこのような表現はしない。

ドゥルーズは、冒頭で、「反復は、反復する対象において、何も変化させない」と語る。この「反復する対象」を物理現象とみなそう。

「対象」とは「物の状態」である。「対象においては、あるいは〈AB〉という〈物の状態〉に おいては」と言われている(14~15行目)。

だから、「対象」たる「物の状態」が反復する。例えば「AB」、「チックタック」が反復する。

他方、「物質の状態」という言い方もある(7行目)。

「物質の状態」とは、瞬間的であり不連続な反復である。それは、「一方が消えてしまわなければ、他方は現れない」と言われる(5~6行目)。したがって、「物質の状態」とは、「物の状態」、「AB」、「チックタック」の反復であろう。

「物の状態」とは、反復するはずの「対象」、「AB」、「チックタック」を指している。「物質の状態」とは、瞬間的、非連続的な反復、つまり「物の状態」の反復を指している。

けれども「物の状態」も「物質の状態」も、結局、同じことになる。なぜなら、「物質の状態」としての反復では、瞬間ごとに同じひとつの「物の状態」つまり同じひとつの「AB」しか現れていないはずであるから。

先立つ瞬間における「物の状態」、「AB」は、後続する瞬間においては保存されずに消えてしまう。

結局、「物質の状態」という反復のどの瞬間においても、「物の状態」としてのABしか現れていないのだ。

だからこそ、物理現象の反復、つまり「物の状態」の反復は「反復する対象において、何も変化させない」と言えるのだろう。

けれども、こんな単純な瞬間説にもとづいて、「反復は、反復する対象において、何も変化させない」と言ってよいのだろうか。

自然界において、時間を瞬間の連続と考え、先行する瞬間における物理現象は後続する瞬間における物理現象に何の影響も与えない、と言ってよいのだろうか。

だが、ここで「権利上」という哲学用語が生きる。ドゥルーズはこう言う。「反復は、〔事例や要素の〕それぞれの提示=現前化は完全に独立しているということを権利上折り込んでいる」(3~4行目)。

では、ドゥルーズが言う「権利上」とは何を意味するのか。
                                                                   (続く)

                                           

『差異と反復』第二章 第一段落 注釈3

注釈3   

この第一段落の哲学史的背景には、ヒュームはもちろん、スコラ哲学、ロック、ライプニッツ、ヘーゲル、キルケゴール、ベルクソン、フッサールなどがたたずんでいる。ドゥルーズの極度に繊細な叙述がどのように「ドゥルーズ自身の理論」を提示するのか、これを見極めるのは、たしかに難しい。おそらく、「ドゥルーズ自身の理論」という観点からドゥルーズを読もうとすること自体が、そもそも的外れな態度なのかもしれない。以下で考察するように、ドゥルーズの「ずらし方」に、ドゥルーズのクリエイティブな理論構成が潜んでいるのだろう。たとえば、髭をはやしたヒューム(変容させられたヒューム)を見るのではなく、ヒューム理論がずらされて、他の哲学者の理論に接続されていく仕方を見るということだ。

しかし、とにかく読んでいこう。

1行目は反復する対象(物理現象)と、反復を観照する精神とを区別している。そして対象には変化は何も生じないが、精神には何らかの変化が生じるとされている。

これは、おそらく、次のようなヒュームの叙述にもとづく主張だろう。
「さて上述のように、力能観念を起す若干の類似する諸事例は、互いに何らの影響も持たず、諸観念の原型となり得る如何なる新しい性質をも事物〔自身〕のうちに産むことは決してできない。しかもそれにも拘らず、この類似の観察は、心のうちに力能観念の真の原型である新しい印象を産むのである。」【岩波文庫『人性論』(一)p255】

(注)ヒュームの言う「力能 power」とは、原因が結果を起す作用原理を意味している。たとえば一つの玉が他の玉にぶつかって運動を伝える場合である。

ところで、ヒュームの言う心のうちに産まれる「新しい印象」とは、類似する諸事例の一つであるのでも、その部分であるのでもない。つまり、〈AB、AB、AB、A・・・・・〉と来て、Bの出現を予期する、ということではない。

ドゥルーズは、こう述べている(13行目以下)。「反復は、対象においては、あるいは〈AB〉という〈物の状態〉においては、何も変化させない。そのかわり、観照する精神のなかに、〈ひとつの変化〉が生産される。すなわち、ひとつの差異が、つまり何か新しいものが、精神のなかに生産されるのである。Aが現れると、いまや私は、Bの出現を予期する。」

しかしヒュームは、「類似する諸連接(conjunctions)の若干の事例は、心を導いて力能および必然性の念(notion)に到らせる。」【同書p255】と述べている。

すなわち、ヒュームにおいては、玉どうしの衝突の反復から、力能や必然性というまったく新たな印象(ひいては観念)が心のなかに産まれるとされているのだが、ドゥルーズにおいては、反復する事例(諸要素の組み合わせ、つまりABに含まれるひとつの要素Bの出現の「予期」が、新たなものであり、そう意味での新たなものが精神のなかに生じるのである。

しかし、ヒュームも、一筋縄ではいかない哲学者である。
「先ず第一に言えることであるが、未来が過去に類似するという仮定は、如何なる種類の証明も根底とせず、その由って来るところは全く、在来の慣れ来った事物系列と同じ事物系列を未来にまで期待するように心を限定する(determine)習癖(habit)である。この過去を未来に転移する習癖ないし限定は、遺漏なく完全である。」【同書p212】

ヒュームはここでは、過去の反復によって、心は、何か新たなものではなく、過去と類似したものが未来において出現するのを期待するようになると主張している。こうしてみると、

ドゥルーズがここで、ヒュームを口実にして問題にしているのは、
1、反復の効果は、反復する物理現象にもたらされるのではなく、反復を観照する精神にもたらされるということ、
2、反復は、時間(過去から未来へ向かうこと)に深く関わっているということ
であろう。

その問題の展開は、反復がもたらす「新たなもの」の意味をずらせることによって可能になっている。

では、物理現象としての反復とはどのようなことか。そして、精神とは何か。
                                (続く)

『差異と反復』第二章 第一段落 注釈2

注釈2

もちろん注釈には様々なリスクがある。特に『差異と反復』の文言の出典を明らかにする作業には独特の怖さがある。

たとえば、10行目で、ヒュームは〈AB、AB、AB、A・・・・・〉というタイプの事例の反復をとりあげていると、ドゥルーズは言う。ドゥルーズは、第二章の原注1で、『人性論』の参照箇所を挙げているが、少なくともそこにその例はない。『人性論』すべてを読んでも、見当たらない。

しかしそれは私の見落としで、他の箇所あるいはヒュームの他の著作にあるのかもしれない。出典に関して注釈をしようとすると、間違いに陥る危険がつねにある。

だが、他方、出典を明確に指摘できたところで、ドゥルーズ自身の考え方つまり理論が把握できなければ意味がない。

ドゥルーズの方法論をもう一度引用しよう。「哲学史とは、哲学そのものの再生=再生産である。哲学史における報告は、正真正銘の分身=複製として振舞わなければならないだろうし、その分身=複製に固有の最高度の変容を包含しなければならないだろう。」

そしてドゥルーズは、これにこう続けている。「口髭をはやしたモナ・リザ〔マルセル・デュシャンのあまりにも有名な作品〕と同じ意味で、哲学的に髭をはやしたヘーゲル、哲学的に髭をそったマルクスを想像してみよう。」これを真に受けないドゥルーズ研究者は多い。

『差異と反復』に登場する哲学者たちは、実在した哲学者たち、あるいは従来の哲学史で扱われた哲学者たちの分身=複製、それもドゥルーズが創作した分身=複製ではないだろうか。たとえばヒュームが、そうなのだろう。

『差異と反復』は、「変容した分身=複製によって哲学を再生し再生産する作業=作品」であると言ってよいだろう。ここにまた、注釈のリスクがある。注釈が、『差異と反復』において過去の哲学がどのように変容させられたのかを厳密に明らかにしようとするなら、それは無理な話で、また、あまり意味がない注釈になるだろう。

だから私は、このブログの注釈において、『差異と反復』のコラージュ的な行論に素朴に問いかけ、その問いによって思索を展開しようと思う。私の問いと思索が、読者自身の思索に資するところがあれば幸いである。

今回は、能書きばかりで申し訳ない。

『差異と反復』第二章第1段落注釈1

第二章 それ自身へ向かう反復 

反復 : 何かが変化させられること
【第一段落、原書p96、旧訳ハードカバー版p119、文庫版上p197~198】

1  反復は、反復する対象において、何も変化させないが、その反復を観照する精神に
2 おいては何かを変化させる。ヒュームのこの有名なテーゼは、わたしたちを問題の核心に
3 つれてゆく。反復は、〔事例や要素の〕それぞれの提示=現前化は完全に独立しているという
4 ことを権利上〈折り込んでいる〉のだから、どうして反復は、反復する事例や要素において
5 何かを変化させることがあろうか。反復における不連続性と瞬間性の規則は、〈一方が消え
6 てしまわなければ、他方は現れない〉と定式化される。例えば、瞬間的精神としての〈物質の状態〉
7 である。しかし、反復はできあがるそばから壊れてゆくものである以上、どうして、「二番目のもの」、
8 「三番目のもの」、また「それは同じものだ」という言い方ができようか。反復は、即自を有していないのだ。
9 そのかわり、反復は、その反復を〈観照する〉精神において何かを変化させるのである。
10 そのようなことが、〈変容〉の本質である。ヒュームは、たとえして、〈AB、AB、AB、A・・・・・〉
11 というタイプの、事例の反復をとりあげている。それぞれの事例、つまりそれぞれの客観的な
12 シークエンス〈AB〉は、ほかの事例つまりシークエンス〔AB〕から独立している。反復は、
13 (ただし正確には、ここでは まだ反復とは言えないのだが)、対象においては、つまり
14 〈AB〉という〈物の状態〉 においては、何も変化させない。そのかわり、観照する精神のなかに、
15 〈ひとつの変化〉が生産される。すなわち、ひとつの差異が、つまり何か新しいものが、
16 精神のなかに生産されるのである。Aが現れると、いまや私は、Bの出現を予期する。
18 これこそが、反復の構成に必然的に関与せざるをえない或る根源的な主観性としての、
19 反復の〈対自〉なのであろうか。反復のパラドックスとは、以下のようなことではないだろうか。
20 すなわち、反復を 観照する精神のなかにその反復が導き入れる差異つまり変化による以外には、
21 すなわち、精神が反復から〈抜き取る〉或る差異による以外には、反復を語ることができないということ.。


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『差異と反復』第二章 第一段落 注釈

以下の注釈は、「注釈」とは言っても、ドゥルーズのテクストの「解読」である。そこには、テクストについての私の視点からする疑問の提起と、その疑問をめぐる私自身の考察が含まれる。したがって、この注釈は『差異と反復』についての、弱点が目につく解読である。

【】の記号のなかは出典などを示しているので、読むのが煩わしい読者は、省略してさしつかえない。


注釈1

1~2行目の「反復は、反復する対象において、何も変化させないが、その反復を観照する精神においては何かを変化させる。」という文章は、その直後に「ヒュームのこの有名なテーゼ」とあるように、ヒュームの『人性論』の叙述を指している。ドゥルーズは、早くも、彼の処女作『経験論と主体性』において、同様のことを述べていた。【ドゥルーズ『経験論と主体性』河出書房新社p92、ヒューム『人性論』(一)岩波文庫、第一編第三部の第十二節~第十四節、とりわけ『人性論』(一)p212、241~242、p254~255、p260を参照。】

ドゥルーズは、『人性論』のごちゃごちゃした叙述を選択的に問題にしている。ここでは、ドゥルーズは、「物質の状態」あるいは「物の状態」と「精神」とを区別して、両者における「事例の反復」を比較対照しながら、二種類の反復、物質における反復と精神における反復の特徴を記述する。もちろん、物質と精神の区別の根拠はどこにあるのか、いや、そもそも物質とは何か、精神とは何かと、問わなければならないだろう。これについては、以下で、考察しよう。

「反復する事例や要素」の「事例(フランス語ではcas)」とは、具体的には〈AB、AB、AB、A・・・・・〉という反復における〈AB〉である。さらに具体的には〈チックタック、チックタック、チックタック、チック・・・・・〉の〈チックタック〉が事例である。この「事例の反復」は開いている。つまり最後の〈チック〉の後に何が来るか、あらかじめ決定されていない。

それに対して、「要素」とは、第二章の第4段落で示されるように,ベルクソンにおける〈A、A、A、A〉というタイプの反復における〈A〉を指す。さらに具体的には〈チック、チック、チック、チック〉の〈チック〉を指す。これは、ベルクソンの『意識に直接与えられているものについての試論』の例である。【白水社『ベルクソン全集1』、p119参照】この反復は、閉じている。ベルクソンの説明では、時刻を知らせる時計の打音である。4時の打音が問題にされている。つまり、音が四つなったら終わりである。しかしそれにしても、時刻を知らせる時計の打音が〈チック〉だというのは、少し変ではないかと思われるかもしれないが、以下に述べるように、ドゥルーズはちゃんと考えて、このような例を提示している。

「反復を観照する精神」の「観照する」とは、どのようなことをすることだろうか。その原語は《 contempler コンタンプレ》である。私は、ドゥルーズが用いるこのフランス語を「観照する」と訳した。訳語「観照する」で、科学的な意味での観察でもなく、私たちが日常行っている意志的な観察でもなく、たんなる写生主義の「視」でもない、或る受動的な「見える」、「聞こえる」という状態を指し示そうとした。

ちなみに、ヒューム自身は、《 observe 》、《 contemplate 》という英語を用いている。岩波文庫訳では、「観察する」、「熟視する」と訳されている。『人性論』の文脈では適切な訳である。

では、精神とは何か、そして、瞬間的精神としての「物質の状態」とは何か。

表に出されていないが、ここでドゥルーズが参照している著作は、ベルクソンの『精神のエネルギー』の冒頭に置かれた「意識と生命」という論文(英語での講演にもとづく)の「意識・記憶・予想」という節である。

ドゥルーズは、ヒュームの文脈に、いきなり断りもなくベルクソンの話をつなげているのだが、そうしたやり方は、『差異と反復』という哲学書の書き方(コラージュ)なのである。

『差異と反復』の「はじめに」では、こう述べられている。「哲学史は、絵画における或るコラージュの役割にかなり似た役割を演じるべきだと、わたしたちには思われる。哲学史とは、哲学そのものの再生=再生産である。哲学史における報告は、正真正銘の分身=複製として振舞わなければならないだろうし、その分身=複製に固有の最高度の変容を包含しなければならないだろう。」【ハードカバー版p17、文庫版上p18、ただし訳文を少し修正した。今後、訳文の修正については、言及しない】

さて、ドゥルーズの視点から、ヒューム/ベルクソンにおける「精神」と「物質の状態」に話を戻そう。

(次回に続く。できるだけ勤勉に、しかし寿命を縮めないようなペースで、注釈を書いていくつもりである。なお、すでに書いた文章を、後になって変更する場合もある。)                       


『差異と反復』読解再開1

はじめに

『差異と反復』第二章の読解を再開する。段落ごとに改訳し、精読に耐える訳文をつくるよう務める。とはいうものの、文体は文庫版の訳文をできるだけ生かすようにする。

『差異と反復』の拙訳は、すでに2万部以上発行されている。多くの図書館も購入しているだろうが、およそ2万人以上の個人の読者が購入されたはずだ。その方々は、おそらく、ドゥルーズについて書かれた「ドゥルーズ本」からではなく、『差異と反復』そのもので、ドゥルーズの思想を理解したいと思われているのではないだろうか。そのためにも、重ねて言うが、私には、精読に耐える訳文をつくる義務があるだろう。

このブログでは、一行ごとに番号を付し、注釈でどの語句が問題にされているのかが、すぐ把握できるようにした。それぞれの行をなるべく文庫版の行に合わせるようにしたが、訳文の変更や、文庫版における抜けの箇所の修正のため、、多少のズレが生じるはずである。

注釈は、文庫版にあるような無味乾燥なものではなく、エセーのようなかたちで叙述することにした。

『差異と反復』の第二章から始めるが、第二章が済めば、序論に戻って、すべての章を順に改訳しながら、注釈していく予定である。

『差異と反復』における「精神分析」論と、「数学」論は、世界的にも未開拓な分野である。私は、精神分析の専門家でも数学の専門家でもないが、ドゥルーズの「精神分析」論と「数学」論の検討に着手するつもりである。

いま、昨年「日本ラカン協会」で口頭で発表したものに手を加えて論文を制作しているところである。その目的は、処女作『経験論と主体性』から『アンチ・オイディプス』までを通覧して「欲望(désir)」の言葉遣いを分析し、ドゥルーズの欲望概念を明確化することである。これが、ドゥルーズの「精神分析」論の検討につながるはずである。

問題は、ドゥルーズの「数学」論である。私は、『差異と反復』第4章で、畏友荻原真氏の協力を得て、数学に関する訳注を付しておいたが、その後、翻訳の仕事に追われたこともあって、ドゥルーズの「数学」論に立ち入る気力がなかなか出てこなかった。

ところで、ドゥルーズの前期著作の『ベルクソンの哲学』(その重要性はどれほど強調しても強調しすぎることはない、だからこそ、徹底的な改訳が望まれる)で、フロイトの無意識とベルクソンの無意識が比較検討されている。そこでは、ベルクソンの持続概念に関して、リーマンの多様体概念が引き合いに出されている。

ドゥルーズは原注で、リーマンの著作のほか、ヘルマン・ワイル(ヴァイル)の『空間・時間・物質』の仏訳を参照するよう指示している。その邦訳は、ドイツ語原書第五版にもとづいて、1973年に出版されており、現在は文庫本で再刊されている。

ところが、その『空間・時間・物質』冒頭の「第五版に対する序」が、次のような文章で締めくくられている。「本書の第4版の仏訳と英訳が出ている。しかしながら仏訳は“自由な”訳なので私は部分的にはそれの内容に関してあらゆる責任を拒絶せざるを得ない。」これには、参った。

ドゥルーズの多様体論は、ヴァイルが責任を拒絶した仏訳に依拠しているのだろうか。ヴァイルが責任をもてないと言う仏訳はまだ私の手もとに届かないが、それがドゥルーズの多様体理解に影響を及ぼしているのかどうかを、いずれ、ドイツ語原文と仏訳とを比較検討することによって、このブログで報告できるだろう。もちろん、たとえ仏訳が不適切な翻訳であったとしても、ドゥルーズの着想に意味があれば、それでいいわけだが。

たしかに、ドゥルーズの「数学」論を扱うのは、私には勝った仕事であるが、『差異と反復』はそのすべてが数学的な観念のなかに浸っており、わたしのような数学の素人が、たとえばリーマンやカントルに関するドゥルーズの議論の注釈を行うのは、必ずしも無駄な努力ではないと自分に言い聞かせている。

ドゥルーズの「数学」論に取り組む必要性を、あらためて感じさせてくれたのは、例のソーカル事件によってである。いや、ソーカル事件そのものというより、ソーカルとブリクモンの『「知」の欺瞞』と題された翻訳本によってである。不愉快な翻訳本であったので、ほったらかしにしておいたが、『差異と反復』の読解を再開するにあたって読み返し、やはりソーカルらのドゥルーズ批判に何らかの対応をすべきだと考えた。

ソーカルらのドゥルーズ批判の要点は、彼らの次のような文章によく現れている。「これらの〔ドゥルーズの〕テクストのなかには、ひとにぎりの判読可能な文章がある。陳腐なものもあれば、間違っているものもある。・・・・・要は、すでに150年以上も前に完全に解決された数学の問題について、人を煙にまくような議論を展開する意味がどこにあるのかということだ。」

しかし、ソーカルたちよ、また翻訳者の方々よ、もう少しフェアな態勢をとってもよいのではないか。ドゥルーズは、『差異と反復』のなかで、以上のような批判にすでに答えている。そして彼らは、その答えになる部分をそっくり削除して、引用を行っているのである。『「知」の欺瞞』p217の引用の8行目である。

そこで削除されたドゥルーズの文章は、こうである。「したがって、野蛮だとか、学問以前的だとか言われる、微分法の昔の解釈のなかには、或る宝が存在するのであって、これを無限小という不要鉱物から取り出さなければならないのである。・・・それら三人(マイモン、ロンスキ、ボルダス=ドゥムーラン)には多大なる哲学的な富があり、これは現代の学問上のテクニックの犠牲にされてはならない。・・・・・」(『差異と反復』、ハードカバー版p263、文庫版下p18)

ドゥルーズは、微分法に関して、たんなる数学的問題に取り組んでいるのではない。『差異と反復』は哲学書であることを、ソーカルらは十分に理解していないようだ。いや、理解しているからこそ、このドゥルーズの叙述を削除して引用したのだろう。

ソーカルらのドゥルーズに対する無理解ぶりは、以下の文章にもよく現れている。「もちろんドゥルーズが、好むなら、これらの言葉を二つ以上の意味で使うのは歓迎だが、そうしたいならば二つの(あるいはより多くの)意味をきちんと区別し、それらの用法の関係を明確に説明する議論を示す必要がある。」(同書、p222)

ここまでくると、申し訳ないが愚者たちよと言いたくなる。ドゥルーズは、言葉を一種のポリフォニー的に使用して哲学的議論をしている場合が多いことを、ソーカルらは知らないようだ。彼らは、『差異と反復』のうち、自分らでもこなせそうなところだけを読んで速断し、ドゥルーズ批判をしているが、そんなことをしてもしょうがないだろうに。ドゥルーズ批判をしたいのなら、ドゥルーズは、ポリフォニー的な言葉遣いによって思考を解放しようとしていることぐらい知っておくべきだ。ドゥルーズは、既存の知を教える教科書を書いているのではないぐらいのことを。

ソーカルらは、哲学に理解を示すかのような発言をしているが、結局は哲学嫌いなのだろう。ところで、ドゥルーズが参照しているヘルマン・ヴァイルは、『連続体 (Das Kontinuum)』という本を書いている。邦訳は2016年2月に出た。そこには、直観主義を批判する次のような文章がある。

「その直観で与えられたような連続体は数学的な学問分野の基礎にはなりえない。・・・・・この数学的な概念世界の、直截的に経験された現象学的時間( la durée )の連続性に対する、深刻な異質性を、強調して示唆したことは、ベルクソンの哲学の貢献である。〔数学な概念世界と、直截的に経験された現象学的時間(持続)の連続性とは、異質であるということを、ベルクソンは示唆したということ。―――財津の補い〕(例えば概念が論理的な存在と成るようには)意識によって与えられたものが単純に存在とはならず、常に持続して変貌をとげ続ける現在―――主体がこれが現在だと言えるという意味で―――は既に現在ではない、というのは何によるのか?」(邦訳p88~89)

数学者ヴァイルは、おのれのあるべき立場を追求して、哲学と対話しているのである。根本的なところで新たな視界を開こうとするとき人は哲学する、ということのよい例である。

先ほど私は、ソーカルたちばかりでなく、その翻訳者たちにも苦言を呈した。なぜかと言うと、『「知」の欺瞞』の訳注で、彼らは、『差異と反復』の拙訳の不備を指摘して、私が数学に無知であるかのような印象付けを行っているからである。

まず、邦訳『「知」の欺瞞』p206の原注(197)で、ソーカルらは、カントルの「超限基数」に関するドゥルーズの(くだらない?)議論の例として、ドゥルーズの『哲学とは何か』の箇所を出している。このソーカルらの書のフランス語版と英語版もまだ私の手もとに届いていないので、原書でどうなっているのかわからないが、その原注では、『哲学とは何か』の英訳の頁数が示されており、おそらく訳者らの手によって私の拙訳ハードカバー版(1997年)の頁数も指示されている。

邦訳『「知」の欺瞞』は日本向けの本であろう。日本のドゥルーズ研究者はドゥルーズをフランス語原書で読んでいる、英訳などには頼っていない。だから、ドゥルーズの著書の英訳の頁数をそのまま記しても意味がない。なぜ、訳者らは、ドゥルーズのフランス語原書の頁数を出さなかったのだろうか。これは、私にとって、後述するようにささいな問題ではない。

以下いささか細かい議論になるが、邦訳『「知」の欺瞞』p206の原注(197)で指摘されたドゥルーズの『哲学とは何か』におけるカントル論の箇所で、私はフランス語《 puissance 》をピュイサンスというルビをふって「濃度」と訳した。当たり前の訳し方である。また《 puissance du continu 》を「連続体の濃度」と訳しておいた。(ハードカバー版p171、 文庫版p204)『「知」の欺瞞』の訳者らは、拙訳の頁数を挙げているのだから、当然拙訳のこの部分を読んでいるはずだ。

他方、すでに『差異と反復』でも《 puissance du continu 》というフランス語が使われており、ここではそれを私は「連続体の力=累乗」と訳した。つまり、《 puissance 》を数学用語「濃度」ではなく「力=累乗」というドゥルーズ用語として訳した。(ハードカバー版p85、 文庫版p138)

ドゥルーズは、ほかに、《 puissance du 》という表現を様々に使用している。たとえば、《puissance du faux》、《puissance du fantasme》など、前者は「〈偽〉の力」、後者は「幻想の力」と訳した。 私は、『差異と反復』では、ドゥルーズのポリフォニー的な言葉遣いと、訳語の統一との兼ね合いに苦しんだ。「連続体の力=累乗」には、当然、訳注を付け、数学的観点からは「連続体の濃度」と訳すべきであることを示すはずであった。

しかし、『差異と反復』の翻訳が完成に近づいた頃、出版社から訳注が多すぎるのではないか、特に数学に付した訳注は過大ではないかとの指摘を受け、私は数学に関する訳注を大幅にカットしてしまった。その作業で、たしかに混乱はあった。

さて、邦訳『「知」の欺瞞』p216で、『差異と反復』の上記の「連続体の力=累乗」が引用されており、それに原注(210)が付され、その原注のなかで書かれた訳注に、次のような文章がある。
「文中で「連続体の力=累乗」と訳されているpuissance du continuum の数学用語としての訳は「連続の濃度」である。英語のpowerと同様に、フランス語のpuissance は日常的な意味での「力」などのほかに、数学では「べき乗(累乗)」の意味と集合論での「濃度」の双方の 意味で用いられる。」

教えてくれるものだ。しかし、指摘しておかなければならないことがある。まず、『差異と反復』原文では、《puissance du continuum》ではなく、《puissance du continu》というフランス語が使われている。人にイチャモンをつけたいのなら、引用ぐらい正確にしておくべきだろう。またドゥルーズは、《 puissance 》という語を、日常的な意味での「力」で使っているのではなく、その語の根底に、ニーチェの「力の意志(権力への意志)」における「力 Macht=puissance」の意味を、もちろんドゥルーズによる解釈のニーチェ的「力」の意味を響かせている。

『哲学とは何か』で私が「濃度」という訳語を使用しているのを彼らは知りながら、あたかも、私が数学に無知であるかのように見せかける彼らのやり方には、いかなる意図があるのだろうか。

《puissance 》に数学的「濃度」の意味があることぐらい、仏和辞典や、数学辞典を引けば、だれでもわかることだ。

さらに不愉快なやり方は、邦訳『「知」の欺瞞』p220の原注(211)のなかで書かれた訳注である。たしかに、私は、「依存してはならない」と訳すべきところを、「依存してはいない」という訳文を作ってしまった。(『差異と反復』)(ハードカバー版p263下段6行目、文庫版p19、4行目)こうなったのは、「(否定文では)~してはならない」を意味する《 devoir 》という語を見逃してしまったためである。

かれらは、その原注(211)のなかの訳注で、上記の箇所に関して、「数学の立場から読むと、・・・・・「依存してはならない」と解釈できる」と指摘する。ここで、私がフランス語の動詞を一つ見逃すというミスを犯したことを、私が「数学の立場から読」めていないとしたいわけだ。

とはいうものの、拙訳『差異と反復』の最近の版でも、語句の見逃しや抜けはすべて修正されていない。また、訳語や訳文そのものを修正したい箇所もある。それには長い時間がかかるので、ブログで『差異と反復』の訳文の全面的見直しと、注釈を遂行したいと思うわけである。

なお、今回は、訳文を提示するだけにして、近日中に注釈を掲載するつもりである。

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『差異と反復』訳と注釈

凡例
〈 〉は、文意をとりやすくするために、あるいは重要な語句だと訳者が判断した場合に、訳者が補った記号。
〔 〕は、訳者が補った文章や言葉を示す。
訳文のイタリック太字は、原文でのイタリック体を示す。  
:は、原書に記されている記号。
各行に番号を付した。ただし、原書の行に対応しているわけではない。文庫版『差異と反復』の行にできるだけ合致するようにした。

第二章 それ自身へ向かう反復 

反復 : 何かが変化させられること
【第一段落、原書p96、旧訳ハードカバー版p119、文庫版上p197~198】

1  反復は、反復する対象において、何も変化させないが、その反復を観照する精神に
2 おいては何かを変化させる。ヒュームのこの有名なテーゼは、わたしたちを問題の核心に
3 つれてゆく。反復は、〔事例や要素の〕それぞれの提示=現前化は完全に独立しているという
4 ことを権利上〈折り込んでいる〉のだから、どうして反復は、反復する事例や要素において
5 何かを変化させることがあろうか。反復における不連続性と瞬間性の規則は、〈一方が消え
6 てしまわなければ、他方は現れない〉と定式化される。例えば、瞬間的精神としての〈物質の状態〉
7 である。しかし、反復はできあがるそばから壊れてゆくものである以上、どうして、「二番目のもの」、
8 「三番目のもの」、また「それは同じものだ」という言い方ができようか。反復は、即自を有していないのだ。
9 そのかわり、反復は、その反復を〈観照する〉精神において何かを変化させるのである。
10 そのようなことが、〈変容〉の本質である。ヒュームは、たとえして、〈AB、AB、AB、A・・・・・〉
11 というタイプの、事例の反復をとりあげている。それぞれの事例、つまりそれぞれの客観的な
12 シークエンス〈AB〉は、ほかの事例つまりシークエンス〔AB〕から独立している。反復は、
13 (ただし正確には、ここでは まだ反復とは言えないのだが)、対象においては、つまり
14 〈AB〉という〈物の状態〉 においては、何も変化させない。そのかわり、観照する精神のなかに、
15 〈ひとつの変化〉が生産される。すなわち、ひとつの差異が、つまり何か新しいものが、
16 精神のなかに生産されるのである。Aが現れると、いまや私は、Bの出現を予期する。
18 これこそが、反復の構成に必然的に関与せざるをえない或る根源的な主観性としての、
19 反復の〈対自〉なのであろうか。反復のパラドックスとは、以下のようなことではないだろうか。
20 すなわち、反復を 観照する精神のなかにその反復が導き入れる差異つまり変化による以外には、
21 すなわち、精神が反復から〈抜き取る〉或る差異による以外には、反復を語ることができないということ.。

憲法第9条は変更するべきか

(改憲についての記事は今回でいったん打ち切り、次回は直ちに『差異と反復』の解説に戻るつもりである。)
           
*憲法第9条は変更するべきか。


今夏に予想される衆参同日選挙で(もちろん、同日選挙はあくまで予想であるが)、与党が衆参両院で議員の3分の2以上をとれば、改憲の歩みは速く強くなるだろう。

改憲の中心的テーマは、憲法第9条だろう。

各種の世論調査からすると、国民の多くは、今のところ自衛隊と個別的自衛権を認めていると言えるだろう。だが、問題は、国民が集団的自衛権をも認めるかどうかである。

たしかに、国会ではこの案件は通っており、安全保障関連法が3月29日に施行された。しかし、国民自身による審判は今夏の総選挙で下るだろう。

よく言われることだが、集団的自衛権が憲法違反であれば、その違憲状態を放置して、屁理屈による解釈で集団的自衛権の保持を正当化つまり合憲化しようとすれば、憲法の法的安定性が損なわれる。つまり、憲法違反を認めたままにするなら、そもそも憲法が無意味になるということだろう。

憲法に関心をもっている読者には、ほとんど周知の事実だろうが、憲法第9条をその成立の事情からあらためて考えてみよう。

日本国憲法の原理を決定したのは連合国軍最高司令官マッカーサーであったが、彼が言ったように、憲法第9条は平和の理想を表現したものであろうか。

さて、極東委員会(戦後の日本を管理する連合国の最高の政策決定機関、ワシントンに設置)と、その出先機関である対日理事会(連合国最高司令官マッカーサーに対する協議・勧告の機関、東京に設置)を、マッカーサーが、嫌悪していたことはよく知られている。

極東委員会および対日理事会は、戦後1945年12月に、アメリカ、イギリス、ソ連の外相会議でその設置が決定されたものである。ところが、それ以前の1945年8月に、マッカーサーは連合国軍最高司令官に任命され、同年10月には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が設置された。

マッカーサーにしてみれば、自分が最高権力者としてGHQを率い、ポツダム宣言にもとづいて、しかもおのれの方針に沿って、日本を民主化し、連合国に刃向かえない国家に改造するはずであったのに、GHQ設置の後になって、GHQの上位に極東委員会と対日理事会が置かれたのだから面白いはずがない。マッカーサーは、とりわけ極東委員会や対日理事会の構成国であったソ連の代表と対立したようだ。

対日理事会は、1946年4月1日、東京でその第一回会議が開かれた。マッカーサーは、その会議の冒頭で、次のように述べたそうである。すでに3月5日、現在の日本国憲法の原案である「憲法改正草案要綱」が決定されており、ワシントンでの極東委員会に既成事実として提示されていた。

「ここに提案された新憲法の全条文が重要であり、個々にまた集合的にポツダム宣言に表明された目的に通ずるものですが、私は、とくに戦争放棄に関する条項に言及したいと思います。

このような戦争放棄は、ある意味では、日本の潜在的な戦争遂行能力破壊の論理的帰結ですが、国際的領域において武力に訴える主権を引き渡すという点で、それ以上の価値を有します。

それによって日本国は、正義、寛容および普遍的な社会的、政治的 道徳の実効的法則によって支配される国際社会への信頼を宣言し、かつその国家の統合性をそのような社会に委ねたのです。

皮肉屋には、このような行動を幻想的理想に対する子どもじみた信念を表明したとしか映らないでしょうが、現実主義者は、そのなかにより深い意義を見いだすことでしょう。

日本国政府―――今や国家政策の手段として遂行した戦争が完全に失敗したことを知る理由を有する国民を支配していた政府―――の提案は、実際、人類の発展にとってさらに一歩を踏み出したことを認識せしめます。

すなわちそのもとで諸国は、戦争に対する相互の防衛のために、国際的、社会的、 政治的道徳のより高次な法則を発展させていくでしょう。

世界が諸国間の関係にさらに一歩を押し進める用意があるか、あるいは別の全面破壊戦争―――ほとんど皆殺しになる戦争―――が遂行されなければならないのかは、こんにち全国民が直面している重大問題であります。

私は、それゆえ戦争放棄という日本国の提案を世界の全国民の思慮深い検討に委ねたい。

国際連合機構は、まさに日本国が一方的にこの憲法を通じて達成しようとしていること―――主権の行使としての戦争廃止――をすべての諸国に実現させてのみ、その目的を達成できるのです。そのような戦争放棄は、同時的かつ普遍的でなければなりません。」
(http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/16923/kh06-02.pdfより)

以上のマッカーサー・スピーチにおいて、確認すべきは以下の諸点である。

①戦争放棄は、連合国による日本の潜在的な戦争遂行能力破壊の論理的帰結である。すなわち、「戦争放棄=武力に訴える主権」の放棄は、連合国によって日本の戦争遂行能力が破壊された結果、成立した事態である。

②日本は、戦争放棄によって、つまり武力を行使する主権の放棄によって、国際社会への信頼を宣言し、国家的統合性を国際社会に委ねることになる。すなわち、戦争放棄は、国際社会への日本のを信頼を意味し、国際社会によって日本が統一的国家として存立できることを意味する。

③戦争放棄は、幻想的理想への子どもじみた信念のように見える。

④しかし、そこには深い意義がある。すなわち、世界の諸国は、「戦争に対する相互の防衛のために」、国際的、社会的、 政治的道徳のより高次な法則を発展させていくということ。

⑤諸国間の関係がさらに押し進められることができるか、あるいは別の全面破壊戦争、つまりほとんど皆殺しになる戦争が遂行されなければならないのかは、今日、世界が直面している重大問題である。

⑥国際連合は、まさに日本が一方的にこの憲法を通じて達成しようとしていること、すなわち主権の行使としての戦争の廃止を、すべての諸国に実現させてのみ、その目的を達成できる。

⑦世界各国が戦争を放棄するのは、同時的かつ普遍的でなければならない。

たしかに、以上のマッカーサーのスピーチのなかの「日本は、国際社会への信頼を宣言し、国家的統合性を国際社会に委ねた」というくだりは、気になる部分である。日本の国家的統一性と独立が国際社会に委ねられると、解することができるのだから。

ところで、理想を語る言葉は、人を陶酔させやすいものだ。しかも、理想に酔う人間は、それが直ちに現実化できるかのように考えて、理想に殉じようとしがちである。

しかしそれにもかかわらず、結論を先に言うと、私は、第2章第9条は、変更せずに維持すべきであると考える。それが、世界中で一国も追随しない空想的理想の表現であっても、またそれが、後述するように偽善的な条項であっても、私は、保持すべきだと考える。

私は、第9条が、安全保障のもっとも効果的な方策であると考えるからではない。

たしかに、武力完全放棄は、安全保障の手段としては空想的であり、かえって危険であるという説がある。脅威となる外国と話し合うにしても、相手が侵略を思いとどまらせるだけの自衛力をそなえて、話し合いに臨むべきだと説く者もいる。

他方、以下で言及するが、かつての吉田茂首相のように、日本が防衛のためであろうと、戦力をもつと、戦争を惹起し、かえって危険であるから、戦力を完全に放棄するべきだという説がある。この場合、日本が戦力をもつと、国防という名目で日本が戦争を仕掛けるのだろうか、あるいは、相手国に日本から攻撃されると思わせてしまい、相手国から先制攻撃されてしまうのだろうか。その点は明確でなくても、いずれにせよ、まず話し合って相手の立場を尊重してやれば大丈夫だということなのだろう。

ところで、第9条の戦争放棄と戦力の不保持は、マッカサー自身が言い出して、あたかも日本の自発的な主張であるかのように見せかけたという説と、時の首相、幣原喜重郎がマッカーサーに提案したという説がある。後者の説は、マッカーサー自身の『回想記』などによっている。

さらに、日本は、戦争放棄と戦力の不保持を憲法に入れることで、アメリカの戦争への戦力供出要求を拒否することができ、かつアメリカに日本の防衛をさせ、こうして再軍備の費用を浮かせて経済再建に専念できた、という説がある。

幣原の後を継いだ吉田茂なら、そう考えただろうが、幣原も、こう考えて、1946年1月24日に、マッカーサーとの会談で戦争放棄と戦力の不保持を提言したのだろうか。

たとえそれが幣原の発案であったとしても、マッカーサーの指揮のもとに第9条を含む日本国憲法が成立したのだから、第9条の発案者が誰であったかは、今ではどうでもよい問題である。

真の問題は、できあがった日本国憲法第2章の題名「戦争の放棄」の意味と、第2章の内容としての第9条の二つの条項の意味にある。

それにしても、この「戦争の放棄」という日本語の表現は曖昧である。

1946年6月28日の、衆議院での共産党の野坂参三の質疑と首相吉田茂の答弁は、いわゆる吉田・野坂論争として、よく知られている。

野坂は、戦争放棄の条文に関して、2種類の戦争を区別した。正しい戦争と、不正な戦争。日本が満州事変以降に起した戦争は侵略戦争で、不正な戦争である。連合国の戦争は、防衛戦争であり正しい戦争である。したがって野坂は、たんなる戦争の放棄ではなく、侵略戦争の放棄とするべきだと主張した。

それに対して、吉田は、防衛戦争を正当なものとして認めるのは有害であると答える。近年の戦争の多くは、国防の名のもとに行われたのは事実である。防衛権を正当化することが、戦争を誘発する。したがって、野坂の主張は、有害無益である、と。

たしかに、一時、大学総長としてヒトラーに協力したあのハイデガー、すなわち日本人に崇拝者の多いドイツの哲学者ハイデガーは、『ドイツ的大学の自己主張』において、学生の務めと奉仕を次のように説明した。「民族共同体への献身。国防奉仕。国家への知的奉仕。」

ハイデガーは、第一次世界大戦後のドイツにとっては、国防の必要性があると認識していた。しかも、ハイデガーにとっては、ヒトラーが始める戦争も国防のための戦争であった。

さて、日本国憲法第9条を理解するためにその英文を参照しなければならないのは、日本人としては悲しいが、ともかく内閣官房や法務省のサイトで公表されている英文日本国憲法(日本国憲法の公式な英語版)にそくして、第2章第9条を考えてみよう。

和文日本国憲法よりも、英文日本国憲法のほうが権威があるというわけではないにしても。和文日本国憲法は、英文日本国憲法の翻訳として読めるからである。

「戦争の放棄」に相当する英文は、《 RENUNCIATION OF WAR 》である。「戦争」は、もちろん《WAR》に相当する。

放棄されるべきこの《WAR》は、第三者的な視点から見た「国家間の戦争」というより、「他国に対する自国の戦い」を意味するだろう。それは、「放棄」に相当する《 RENUNCIATION 》という英語からわかる。

《 RENUNCIATION 》は「(権利などを公式に)放棄すること」、「(欲望などを)捨てること」などを意味する。したがって、「戦争の放棄」とは、英文には、「権利としての交戦権を放棄すること」あるいは「戦争する欲望を捨てること」という意味合いがる。

だからこそ、第二章「戦争の放棄」の内容である第9条は、「国の交戦権は、これを認めない」で締めくくられている。

そこで、第9条の和文と、それがもとづいている英文を比較してみよう。ともに、悪文と言ってよい。

和文:「①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
   ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

英文:《 ①Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.

②In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.》

さて、日本国憲法が現在の形にまとまるまでの紆余曲折について、すでに多くの優れた歴史的研究が発表されているが、ここでは英文と和文の言語上の対応関係だけを見ていこう。

たとえば、英文①における《Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order、》と、英文②における《In order to accomplish the aim of the preceding paragraph,》の部分は、GHQ原案への日本側による追加と言われている。

道理で、特に②の英文が悪文であるわけだ。本文が受動態で書かれているのに、In order to accomplish(達するため)は能動的な意味を持つ。accomplish(達する)という英語動詞が意味する能動的な行為の主体が不明確である。私の語感からすれば、この②の受動態の本文は命令文に近い。

まず、英文①(第9条第1項)の私の直訳を示す。「日本国民は、正義と秩序にもとづく国際平和を心から切望するので、国際紛争を解決する手段としての、《国家の主権としての戦争と武力による威嚇または武力の行使を》永久に放棄する。」

文意をはっきりさせるため、《》を入れて訳してみた。なぜなら「として(as)」が2回出てきて、修飾関係が曖昧な英文であるからだ。

要するに、「国家の主権としての(as)戦争(条文では「国権の発動たる戦争」)、および「武力による威嚇または武力の行使」を、「国際紛争を解決する手段としては(as)」放棄する、ということだ。

この訳が正しいとすると、あくまでも、「国家の主権としての戦争」と「武力による威嚇または武力の行使」とを、「国際紛争を解決する手段」である限りにおいて、放棄するということになる。

逆に言うと、「国際紛争を解決する手段」でなければ、戦争や武力による威嚇または武力の行使は、放棄する必要はないということになるだろう。

では、「国際紛争を解決する手段」ではない戦争、つまり放棄しなくてもよい戦争とは、どのような戦争だろうか。

まず、野坂参三が言う上記の「連合国の防衛戦争」、つまり「正しい戦争」が考えられる。

ところで、日本国憲法制定の原則を示したいわゆる「マッカーサー・ノート」第2原則では、「国際紛争を解決する手段として、かつ日本自身の安全を保持するためでさえも、戦争を放棄する」、となっていた。

だが、後に、この「日本自身の安全を保持するためでさえも」という部分が削除された。削除したのは、GHQのケーディス大佐だと言われている。

とすれば、マッカーサーも、2種類の戦争を区別していた、と言えるだろう。

「国際紛争を解決する手段としての戦争」と、「日本自身の安全を保持するための戦争」。

そして、日本国憲法では、結局、「国際紛争を解決する手段としての戦争」のみが放棄されることになった。

では、「日本自身の安全を保持するための戦争」も放棄され「なければならない」のだろうか。そうした放棄は義務であろうか。第9条の条文に、それを明示する文言はない。少なくとも、「日本自身の安全を保持するための戦争は禁止されていない」ことは確かである。

英文②(第9条第2項)を訳してみる。「上記の文章の目的を成就するためには、陸海空軍ならびにその他の戦争能力は決して維持されてはならない。国家の交戦権は承認されてはならない。」

《will never》、《will not》を、「ならない」と強く訳した。

「上記の文章の目的を成就するためには(条文では「前項の目的を達するため」)」=《In order to accomplish the aim of the preceding paragraph》という文言は、日本側が追加したもので、いわゆる「芦田修正」として知られている。

芦田修正の経緯についても、すでに多くの解説が世に出ているが、ともかく、芦田均(憲法改正小委員会委員長)は、第9条第2項に、「前項の目的を達するため」を挿入したのは、「無条件に戦力を保持しない」ではなく、「一定の条件の下に戦力を保持しない」にするためだと証言している。

では、「国際紛争を解決する手段」ではない戦争、たとえば「自衛のための戦争」とそのための戦力は、放棄してはいけない(保持するべき)ということか、それとも放棄しなくても放棄しても、どちらでもよいということか。

憲法の条文で、当初の「マッカーサー・ノート」第2原則のように、「自国の安全を保持するためでさえも、防衛力を放棄し、戦争を放棄する」とはっきり規定しておけば、自衛隊は合法化されなかっただろう。

けれども、そのように規定しておけば、日本は自衛隊をもたなかっただろうか。

だが、人間の自己保存の本能は、権利であるよりも前に、理屈や法律で抑えられない人間本性である。

たとえ、第9条が「マッカーサー・ノート」第2原則のまま、「自国の安全を保持するためでさえも、防衛力を放棄し、戦争を放棄する」と憲法に書いたとしても、日本人が外国からの侵攻の差し迫った危機を感じたときは、防衛の戦力を求めるだろう。

だから、この防衛本能を、たんに抑えつけないこと、ヒステリックな状態に高めないこと、うまくコントロールすることが必要だろう。

すでに、日本国民は、自衛隊と個別的自衛権の合憲性を認めていると言えるからである。

では、集団的自衛権はどうか。

たしかに、集団的自衛権も国連憲章で認められている。

上記の吉田・野坂論争でも、野坂は、第二次世界大戦における連合国の戦争は正しい戦争としている。

連合国の戦争は、まさに集団的自衛権にもとづいた戦争であろう。

太平洋戦争において、日本の軍隊は、集団的自衛権にもとづく連合国の攻撃によって、壊滅させられたのであった。

マーカーサーは、対日理事会の第一回会議で、世界各国は、「戦争に対する相互の防衛のために」、国際的、社会的、 政治的道徳のより高次な法則を発展させていくべきだ、と述べ、集団的自衛権を正当化している。

同時に、「世界各国が戦争を放棄するのは、同時的かつ普遍的でなければならない」、とも述べている。

こうした戦争放棄は、結局、世界各国の同時的かつ普遍的な放棄という不可能な目標を目指している。そして、それまでは、つまり不可能な目標の実現までは、集団的自衛の戦争の必要性を含意している。

したがって、今のところ、世界各国が戦争を同時的かつ普遍的に放棄するというのは、実現不可能であるから、世界各国は、侵略に対して集団的に防衛しなければならないと言うことができるだろう。 

だから私は、第9条は偽善的な条項であると言った。第9条は、たとえ日本人がマッカーサーに提案したものであろうと、マッカーサーによって認可された条項である。

マッカーサーは、日本の戦争放棄がアメリカの覇権にとって好都合であり、好都合だからこそ、日本人によって言い出された理想だということにして、戦争放棄を認可したと、推測したくなる。

戦後長いこと、アメリカとソ連という2大覇権追求国の押し合う線が、日本の北方に引かれていた。

しばらくして、ソ連が自己崩壊してロシアとなり、その後、覇権争いに中国が加わって、日本の近辺に、3大覇権追求国がぶつかり合う複雑な線が引かれるようになった。

それでもなお。日本の政治権力は、長きにわたって、ポツダム宣言の精神を受け入れてきた。つまりアメリカの覇権のもとに安住してきた。国民の大多数も、一貫してアメリカの覇権の内部で生きることを選んできたと言えるだろう。少なくとも最近までは、そうであった。

繰り返すが、問題は、集団的自衛権にある。国会ではこの案件は通っているが、今夏の総選挙で、国民自身による審判が下る。

与党が参院で3分の2の議員を獲得すれば、国民は集団的自衛権を認めたことになる。もしそうなったとしたら、憲法学者たちが、集団的自衛権の違憲性を理論的に展開したところで、国民は、事実上、集団的自衛権を合憲と認めたことになる。

そのとき、憲法の法的安定性が損なわれると、憲法学者が学者言葉で批判しても、もはや、第9条を変更あるいは削除する必要はなくなってしまう。

しかし、その場合、武力行使の新3要件の「必要最小限度の実力を行使する」という規定があっても、実際に戦闘が始まってしまったら、現場でも、官邸でも、どこまでが必要最小限度なのかを考える余裕はないだろう。まず負けてはならないからだ。

また、3月29日に施行された安全保障関連法によれば、日本と連携して活動する外国の軍隊を自衛隊が守ることが可能になり、日本周辺に限らず、外国の軍隊のための後方支援が可能になる。

しかし、実際に戦闘が始まってしまったら、軍事活動における日本と同盟国アメリカ等のその都度の具体的な連携が正当であるかどうかを吟味する余裕はないだろう。

つまり、安全保障関連法を言葉のうえでどれだけ精密に規定したところで、政府は、戦闘の最中に、自衛隊の行動が安全保障関連法に正確に合致しているかを検討する余裕はないということだ。

つまり、安全保障関連法が戦争を開始させないという保障はないわけだ。

さらにまた、日本から遠く離れたところで、たとえば奇奇怪怪な「アメリカおよび有志連合の対IS戦闘」で、アメリカが日本に後方支援や武力行使を要請したら日本は断れるだろうか。

しかも、ロシアや中国と同様に、アメリカは自国の利害と覇権を最優先する国家である。だから、アメリカがたとえば中国と対立を深めているようであっても、いつ豹変するかわからない。

はしごを外されてバカを見ることのないように気を配るぐらいの賢明さをもつ政治家が、日本にもいるとは思うが。

だから、国民は、政府と現場の自衛隊がうまくやってくれることを期待するほかはない。

ところが、福島第一原子力発電所で津波被害を予想できなかったのではなく、しなかったため、つまり無視したために電源喪失という致命的な事故を招いたこと、その後の政府の取り組みのお粗末さ、責任追及の欠如を見ると、太平洋戦争での日本政府と軍部官僚の無責任ぶりが思い起こされ、私たちは不安になる。

結局、問題は、国民が、一般に政府の言動を信用できるかどうかにある。

今夏の総選挙で根本的問われるのは、この政府は責任を取る政府なのか、賢明な政府なのか、でなければならないだろう。

私は、憲法第1章第1条(象徴天皇)と第2章第9条(戦争の放棄)は変更せずにそのまま維持すべきだと考える。

それは、天皇の象徴性と戦争抑止の問題を国民が繰り返し考えるため、そして敗戦の意味を今後も考え続けるためである。これは、いわゆる「自虐的」な自己批判ではない。

尊大な態度で日本人のプライドを説くようでいて、実は父の威を借りるために、父なる者をつくり、その父を利用しようとする狐たちがいる。こんな狐たちが権力を振りかざすことのないようにと、私は願うからである。

そればかりでなく、「同時的かつ普遍的な戦争放棄という幻想的理想」と、「国民主権国としての日本」を、敢えて世界に向けて言い続けるためである。

なお、天皇の象徴性については、このブログで、折に触れて論じる予定である。

ヘレン・ミアーズ、 そしてジョン・ダワー

(昨年長い入院生活を送り、その後自宅で、心身の回復を待っていた。冬の間は無理せず、もっぱらリハビリに励み、暖かくなって、やっと体力が戻ってきたので、また西洋思想ノイローゼも癒えたので、ブログ記事の執筆に専念できると思う。今後は、もっぱらドゥルーズに注釈をつけていくつもりだ。ラカンの「〈盗まれた手紙〉についてのセミナー」の改訳と注釈は、今年の秋、その前半を法政大学の公的な雑誌に掲載し、その後で、このブログに再録する予定である。ハイデガーに関しては、ドゥルーズとラカンにおける「エス」の観念をある程度まで明確にできてから、この「エス」を視点にして、ハイデガーの『存在と時間』に取り組むつもりである。)

  *ヘレン・ミアーズ、そしてジョン・ダワー


ヘレン・ミアーズの著書《 MIRROR FOR AMERICANS :JAPAN 》(1948、題名を直訳すると『アメリカ人たちにとっての鏡:日本』)が終戦直後に、アメリカで出版された。

これは、アメリカの日本占領終了の直後、まず中岡宏夫と原百代の共訳によって、1952年、雑誌『文芸春秋』(昭和27年7月号)に、「無敵サムライとアメリカの良心」という題名でその抄訳が発表された。

そして1953年(昭和28年)6月に文芸春秋新社から、『アメリカの反省』という題名で原百代によるその全訳が出版された。日本占領中は、マッカーサーが翻訳出版を許可しなかった本である。

マッカーサーによって危険視されたこの書の翻訳が世に出ても、当時の日本では大きな反響を呼ぶことはなかったようだ。

私は、ヘレン・ミアーズと原百代という、素朴な、しかも素朴すぎる正義感をもち勇気をもそなえた二人の女性に敬意を捧げる意味で、このブログの記事の後半で原百代の「訳者あとがき」の全文を再録しよう。

さて、この書は、原が翻訳してから、およそ半世紀たって、伊藤延司の訳によって再び世に現れた。『アメリカの鏡・日本』(19995年7月、メディアファクトリー)。

この書の翻訳を伊藤に依頼したのは、実業家の白子英城であったが、そのとき二人とも、原の翻訳がすでに存在するのを知らなかったようだ。この翻訳の刊行は、大きな反響を呼んだ。

 そして、これに呼応するかのように、翌年、御厨貴と小塩和人の『忘れられた日米関係―――ヘレン・ミアーズの問い』(1996年八月、筑摩書房)が現れた。

御厨と小塩の目的は、ミアーズの『アメリカの鏡・日本』を分析し評価するというより、むしろ彼女の人物像を描こうとするところにある。彼らは、この訳書が、日本で「いわゆる東京裁判史観のアンチテーゼ」として利用されるのを危惧したのかもしれない。

彼らは、ミアーズを「何でも見てやろうというアメリカ的若者」として描こうとしている。そして、彼女が政治的な発言をするようになったのは時代のせいであるかのような解釈をしている。そのために、彼らは、『アメリカの鏡・日本』以前にミアーズが書いた本を参考にして、ミアーズの人物像を描こうとする。

その著書は《 YEAR OF THE WILD BOAR 》(1942)である。

御厨と小塩は、この書を『野猪の年』と訳して、その内容を紹介している。

しかも、この書は、ジョン・エンブリーの『須恵村』(邦訳あり)を髣髴させるものだという。彼らによれば、『須恵村』は、「そのほとんどは日常的風景の淡々とした描写」であり、「取り上げているのは徹底して日本人の何気ない日常生活」である。そして「エンブリーとミアーズの視点には、不思議なほど共通しているものがある」とされている。
 
 まず、《 YEAR OF THE WILD BOAR 》という題名を、御厨と小塩は『野猪の年』と訳しているが、これは不適切な訳である。「野猪」を、「のじし」と読ませようとしているのか、「やちょ」と読ませようとしているのかはわからないが、ミアーズのいう《THE WILD BOAR》は、自然の生物としての「野猪」ではない。それは12支の「亥」である(原書309ページ参照)。つまりこの書の題名は直訳すれば『いのしし年』である。

ミアーズは、この書のなかで、「政治的な問題に関する私のもっとも満足のいく教師である」サトーなる日本人に、こう言わせている。

「一二個の年は、それぞれ、ひとつの象徴の名前がついていて、一つの周期をなしている。今年(ミアーズが日本に滞在した年、つまり1935年……財津)、すなわちいのしし年は、そのような周期を締めくくります。」

そして「今年はいのしし年です。ひとつの周期の最後の年です・・・それもわが国の危機の一周期の最後の年です。」「この周期の間に、我々は、満州国という傀儡国を創設しました。そして、国際連盟を脱退しました。」「物事を考えない日本人でも、次の周期が引き起こすかもしれないことに恐れおののかざるを得ません。……いのししは危険な象徴です。・・・宇佐八幡は、戦争の神であり、いのししに乗ります。」

次に、ミアーズの『いのしし年 YEAR OF THE WILD BOAR 』の目次を訳出しておこう。()内は財津による補いである。

「目次  
はじめに
1、東京紹介
2、最初の日々
3、モダンな日本(Modan Japan)
4、日本―――モダンと古代の
5、北海道での休暇
6、神々の国
7、神々の道(神道、かんながらのみち)
8、女神の剣(くさなぎのつるぎ)
9、グッバイ、アキコ
結び」

 「8、女神の剣(くさなぎのつるぎ)」の章の扉ページには二人の日本人の著作から短い引用がなされている。ひとつは《 Tales from the Kojiki, by Yaichiro Isobe 》、もうひとつは《 Japanese Idealism, by Kishio Satomi》。 前者は、日本語名『古事記物語』で、著者は英文学者の磯部弥一郎だろう。後者は、《Discovery of Japanese idealism》の著者で、右翼思想家の里美岸雄かもしれない。

さらにサトーの話を聞いてみよう。「我々は有色人種です―――工業化を果した白色人種によって、全地上で支配されてしまったもろもろの人民のひとつです。我々は、独立した民族として生存するために、工業力と軍事力を発達させなければならなかった。我々は十分に西洋化して、西洋の強国に、我々だって近代的な民族であるということを納得させなければならなかった。我々は、十分に工業化して、有力な民族にならなければならなかった。それと同時に、我々は、自分たちの古来の経済的慣習と自分たちの社会的統制を保たねばならなかった。我々は西洋列強と融和をはからなければならなかった。我々はまた、十分強くなって、我々の独立を保障し維持しなければならなかった。そして我々は、やむを得ず、近隣アジアとの関係を断ち切らなければならなかった。以上のようなパラドックスと問題が、我々の近代という時代を通して基礎にあり続けたのです。我々の危機は、そうしたパラドックスと問題との結果なのです。」

 ミアーズは、『いのしし年』で、1933年の国際連盟離脱についての天皇の詔書と、神兵隊のクーデター未遂事件を取りあげ、「この国は、1933年以来、公然たる危機の状態にあったが、それよりずっと前から、高度に危機的な状態にあった」、「この文明のリーダーたちは、不安にとりつかれてヒステリックになっていた」、と語る。

こうしてみると、彼女が1935年に訪日したのは、たんに何でも見たかったからではなく、それ以前に短期間滞在した日本が、満州事変勃発と国際連盟脱退によってどのような状態になっているのかを、日本市民との交流を通じて見たかったからであろう。それも日本とアメリカを心配して。さらには、好戦的な日本民族というアメリカ人の偏見を正すために。


 日本人に、忘れられたミアーズの《 MIRROR FOR AMERICANS :JAPAN, 1948(アメリカ人たちにとっての鏡:日本) 》を再認識させてくれたのは、1995年発行の伊藤延司訳『アメリカの鏡・日本』(発行アイネックス、発売メディアファクトリー)である。

しかし、そのとっぱじめに紹介者、白子英城の「日本語版の刊行にあたって」という「まえがき」を掲げている。ミアーズの原書では、ジョン・クィンシー・アダムズ(アメリカ国務長官、モンロー主義の起草者、後に第六代大統領)が1821年の独立記念日(7月4日)に、対外政策に関して下院でおこなった演説の一部が、冒頭に置かれ、それに続けてミアーズ自身の序言が置かれている。

この演説でジョン・クィンシー・アダムズは、「平等の自由、平等の正義、平等の権利」というアメリカの理念をうたい上げ、後半でモンロー主義の精神を説いている。ミアーズは、アダムズが述べたアメリカ対外政策の原則にもとづいて、ルーズベルト政権の日本観と、日本占領のやり方を批判しているのである。

ところが、このアダムズの演説を、白子は自分の「まえがき」での自分の文章の中に入れ、ミアーズ自身の序言もその中に含めている。彼は自分のまえがきの中で、このミアーズの本の読み方を教えようとしている。

 白子はこう語っている。「終戦50年のいま、われわれ日本人は、現代の歴史を日本中心の観点だけでなく、アジア、ヨーロッパ、アメリカを同じ時間帯で見すえるグローバルな視点から、なぜそうなったのか、をもう一度考え、議論し、そして、現代史を総括しなければならないと思う。それによって、われわれ日本人が、過去にやってきたことで、何が悪かったのか、何が間違っていたのか、何が正しかったのかをしっかりと理解しなければならない。悪かったこと、間違ったことは心の底から反省し、謝罪しなければならない。同時に正しかったこと、間違っていなかったことは、正々堂々と主張し、理解されるよう努力しなければならない。そうすることによって、日本のアイデンティティーが確立され、国際社会から信頼されるようになるのではないか。」

 以上のような文章は、これまでマスメディアや評論家たちの言説にもよく見られるような、表面的には納得のいくものである。しかし、その文章をつくっている美しい言葉の羅列は、具体的な状況を指し示してはいず、結局、抽象的なお説教に終わっている。先ほど述べたことだが、御厨らがおそらく危惧したように、白子もまた、このミアーズの本が、単純なアンチ東京裁判史観に利用されないよう配慮したのかもしれない。

白子と伊藤がミアーズの『アメリカの鏡・日本』を日本で復活させた功績は認めなければならないが、しかし、以上のような白子の信念は、ミアーズのスタンス・考えとは程遠いものだ。

ミアーズはこの本で、日本あるいはアメリカの「謝罪」の必要性を主張しているのではない。彼女は、祖国アメリカに対して、平和維持への「世界最強国アメリカ」の責任と、アジアに関する対外政策においてアジアの現実を考慮に入れる必要を説いているのだ。

彼女は、以前(1935年)日本に滞在し、民衆やインテリ市民の行動を観察し、彼らの考えに耳を傾けて、『いのしし年』を出版した。

今度は(1946年)GHQの労働諮問委員会のメンバーとして来日して、日本の官僚や、女性労働運動家や、女性労働者たちと会い、日本の女性労働者たちのために奮闘し(豊田真穂『占領下の女性労働改革』を読まれたい)、その後帰国して、《 MIRROR FOR AMERICANS :JAPAN, 1948(アメリカ人たちにとっての鏡:日本) 》を書いた。

そして、ミアーズは、現場を知らないであろう権力者たちのトップダウンのやり方を手厳しく批判し、アメリカの将来のアジア政策のために提言をしようとしたのである。

この伊藤延司訳『アメリカの鏡・日本』はその後、絶版になっていたが、、2015年に『アメリカの鏡・日本 完全版』(角川ソフィア文庫)として復活した。

この「完全版」では、やはり白子英城のまえがき(「完全版刊行にあたって」)が冒頭に置かれているが、ジョン・クィンシー・アダムズの演説の文章と、ミアーズ自身の序言は、原書での位置に戻されている。

そして、まえがき(「完全版刊行にあたって」)のなかで、最初の訳者である原百代が紹介されている。しかも、ミアーズの上記の著書《 YEAR OF THE WILD BOAR 》にも言及があり、その題名は『野猪の年』ではなく、『亥年』と正しく訳されている。

ところが、原百代の翻訳出版の不許可に関して、白子はこう述べている。「GHQによる検閲の影響が続いていたとは言え、(原百代の翻訳の)出版不許可は当然の決定であったと推測できる。」彼は、「当然」という言葉で、今度は、何を言わんとしたのだろうか。

ミアーズの原書(《MIRROR FOR AMERICANS :JAPAN, 1948(アメリカ人たちにとっての鏡:日本)》)が、題名を除いて、最初に忠実に翻訳されたのは、原百代によってである(『アメリカの反省』)。

もちろん訳文は、伊藤のものも立派であり、原のものより読みやすいと言えよう。原の訳文は、いっそう原文の構造に忠実であり、やや硬いけれども味がある。

そこでまず、原百代の訳(『アメリカの反省』)のなかで訳されたミアーズの序言の後半の文章を、少し修正して再録しよう。

「日本人がその歴史や文化について考えていることを我々が知り、また彼らが何故戦争を始めたかを知ることによって、他のアジア諸国や、優勢な国際間の無秩序状態のもとで近代化した他の「後進」地域に、将来、何を期待すべきかに関して価値あることを学ぶことができる。最後に、日本が重要なのは、その日本が第一次世界大戦においては「敵国」ではなく「同盟国」であったからである。なぜひとつの国家が、短い期間に「友」から「敵」に変わったのか、これが理解できれば、他の国民の目に映る我々自身の姿勢と政策について、価値あることを学ぶことになるだろう。この本は、少なくともそのような探求を始める一つの試みである。」

しかし、上に述べたが、『アメリカの反省』出版の前に、原は中岡との共訳で、雑誌『文芸春秋』(昭和27年7月号)にその一部を、要約しながら発表している。原書の「第一章6 戦争犯罪とは何か」から始めている。

「マレーの虎」なる山下将軍が、戦犯として、マニラで絞首刑に処されたこと。そして将軍山下奉文は、「軍服や勲章や、その他軍務に服するものであることを示す付属物一切を剥ぎ取られて」、たんに軍職を汚した人間として吊るされたこと。要するに、アメリカは、山下をたんなる犯罪者として処刑し、最高の侮辱を彼に加えたということだ。

ミアーズは、これを正当な処刑として提示しているのではなく、戦犯問題の難しさ、そしてアメリカによる処刑の不当性の例として取りあげている。何よりも、欧米の帝国主義は不問にして日本の帝国主義を罰しようとするアメリカの態度に、ミアーズは警鐘を鳴らしている。

このミアーズの態度に呼応するかのように、『文芸春秋』(昭和27年7月号)の編集後記で、今日出海の『悲劇の将軍』が紹介されている。アメリカの占領終了直後から、日本の名誉回復の動きが活発化していたことがわかる。

さらに、原と中岡は、マーシャル諸島のクェゼリン環礁でのアメリカ兵の残虐さと略奪に関するミアーズの記述を訳している。しかし、ミアーズがクェゼリン環礁での戦いを取りあげたのは、両軍の戦闘で犠牲になるのはつねに無辜の土着民であるからだ。そしてミアーズは、マーシャル島民の統治においてアメリカのやり方が日本のやり方よりも優れているとは断言できないと語っている。

ミアーズは、米軍のワインダー中佐という人物の報告を取りあげている。「日本人の土着民との接触は何ら気まずい結果を生じなかった……日本人は土着民労務者を、罵ったり、蹴ったりしたので、その点は怨まれていた。だが、全体として、彼らの取扱いは良好で、8歳から11歳までの児童に、義務教育を施すこと以外は、土着民の風俗習慣に、干渉しようとはしなかった。すべての所有物は、首長に属すという、マーシャルの部落財産制度を、日本人は破棄しようとした。当然、これは島の上層階級には、受けなかったが、平民は悉く、これに賛成だった。」

その他、原爆使用は不必要だったこと、東京爆撃をはじめとして、アメリカ軍は、日本軍に対してではなく、日本の民衆に対して、攻撃を遂行したことなどが訳されている。

私は戦後生まれで、山下将軍と言われても何のイメージも浮かばないが、山下処刑の報告や、原爆投下、東京爆撃の写真を見たり、その報告文を読むと、アメリカやマッカーサーに対する怒りのような感情が湧いてくる。この感情は、敗戦直後に日本に降り立ったマッカーサーを迎えた日本の大衆の感情とは異なるだろう。

また、上記のワインダー中佐の報告を読むと、やっぱり日本人はいいこともしていたのだなと思って、ほっとする(もちろん、日本式教育によって現地の言語が変化するという問題はあるにしても)。そして、私の共感が、あたかも自分の家族に向かうように、山下将軍や日本兵士たちに向かう。

私のように戦争の記憶はまったくない現代の日本人でも、70年以上前に命を懸けて戦った日本人たちが汚名を着させられて処刑されたことや、日本の民衆が虐殺されたことについて、日本人の定義がわからなくても、想像力が一気にふくれ上がり、同時に怒りの感情に襲われる可能性があるということだ。

そして、自分を日本人と思っている人間は、大東亜戦争は、侵略戦争だったのではなく、日本自身の自衛の戦争、しかも白人帝国主義からアジアを解放する有色人種による戦争だったと思いたくなる。こうして、ふだんは考えもしない「日本」を思うようになる。

ドゥルーズは、ヒューム哲学の「共感(愛という一種の感情)」の概念を論じている。このドゥルーズ/ヒュームの思想を、私の観点から、ここで少し展開してみよう。

ドゥルーズ/ヒュームによれば、人間は、本来は利己主義者ではなく、共感者である。自分の子供を愛さない親がどこにいようか。(ただし、最近の日本における幼児や子供に対する虐待の深刻さは限度を越えており、行政の対応の不十分さは目に余るものがあるが、その話はいまは脇に置いておこう。)さて、共感は自分にとって近い者に向けられるという意味で偏っている。人間は自分の子どもの親であっても、他の子供に対しては他人である。

家族はなるほど社会の単位であるのだが、諸家族の集合は、そのままでは家族的集合つまり大きな家族ではない。だから、共感が及ぶ社会が成立するためには、近い者に向かう共感を遠い者にまで拡張する必要がある。共感が拡張されたとき、会話が可能になって、暴力に取って代わることができるからだ。

ではこの共感は、どのようにして拡張されうるのだろうか。共感は、想像力とともに、時間的空間的に遠い者にまで拡張されうる。想像力は言葉の影響の下にイメージや象徴をつくり、イメージや象徴を通して「想定された実在」にまで共感を運んでいく。共感はイメージや象徴を介して遠いものにまで拡張されるのだ。ところが、イメージあるいは象徴には、様々な感情や価値観が混じりこむ。

想像力は本来、冷静な理性(高次の批判的理性)のくびきを脱する傾向もっている。そして、時間的に離れた過去の出来事に向かえば向かうほど膨張しやすくなる。だから、想像力が理性によって制御されなくなるとき、共感の拡張も不当になりうる。

その上、生活の場面で働く裡性(計算する理性)は、感情や欲望によって活性化されるので、感情と欲望にとりつかれた理性は、おのれの冷静さを失い、想像力の協力者になる。抽象的な美しい言葉が、さらに理性を陶酔させて、これに拍車をかける。理性が、冷静さを失い、批判的理性ではなくなり、興奮し陶酔した理性になるとき、気ままな想像力と一緒になって、共感をとんでもないところまで運んでいく。人間は、感情と想像力と理性の複雑なシステムのなかで狂う可能性があるということだ。理性が、とりわけ、共感という感情ばかりでなく、憎悪、不安という感情にとりつかれたときに。

ミアーズの『アメリカの鏡・日本』は、たしかに、いわゆる東京裁判史観を、すなわち戦前の日本の軍事活動はまったくの侵略行為であり道徳的に悪であったという見方をくつがえす論拠になりうる。

いわゆる東京裁判には、法的な正当性がないことも確かである。だから、東京裁判史観は、日本人の反米感情をかき立てる。おそらくこれを憂慮して、中岡と原は、当時、文芸春秋における抄訳の冒頭に、以下の文章を掲げたのだろう。

「こういう書物が公然と発表できるアメリカの自由主義こそ、我々の最も学ばねばならない美点であり強みであると思う。この一事を以ってしても、言論の自由がアメリカに存在することは明瞭であり、アメリカの良心に我々は帽子をぬがずにいられないのである。」


さて、1953年(昭和28年)6月20日発行の原百代訳『アメリカの反省』の「訳者あとがき」の全文を、訳者への敬意を込めてここに再録する。原百代、1912~1991、主著『武則天』

「 譯者あとがき

 この書(“Mirror for Americans :Japan”アメリカ人の鏡、日本)の訳稿の最後の筆を擱いた今、さまざまな感慨が一度に群りこみ上げて来て、私は一種の胸苦しいまでの感じに包まれる。いって見れば、地下に長いこと雌伏して、おのれを養って来た蝉の幼虫が、今、初めて地上に這い出て、その殻を破った瞬間、こうも感じはしないだろうか。訳稿の筆を初めておろしたのは、一九四九年五月であった。こうしていよいよこの書が、世の読者諸氏の机上に送られる運びになるまでに、既にして、三歳有半の年月が流れた。決して、静かな、淀みない流れではなかった。決定的に堰止められたこともあった。然し水の流れは、遂に流れ出て、此処に目的地に向かうことになったのである。但し後に記すような理由により、その時期が、当然出ずべくして出る時より相当長く遅延したことは、この書の紹介者として、何よりも遺憾である。

著者ヘレン・ミアズ女史(Miss Helen Mears)は1945年に、本書の出版元であるホートン・ミフリン社(Houghton Mifflin Company in Boston)の文学賞を、戦後(戦前か……財津)の日本に関する著書で獲得した。この受賞作品を基とし、さらに多くの新しい材料を集積して、女史は新たに鋭い探求と大胆な研究を行った。その結晶が、一九四八年に初めて発表された本書である。
 本書で、著者は果して何を訴え、何を叫んでいるのか? これを説明するのに、米国の詩人にして劇作家であり、一九二六年度ピュリッツァ賞劇部門の受賞者であるジョージ・ケレィ氏の紹介文を引用してみよう。

  「過去200年間、鎖国裡に、平和を享有していた国民が、一八五三年以来、何故、1941年には世界動乱の焦点となったのか? 日本は果して、朝鮮で、満洲で、大東亜共栄圏で、何を、如何なる理由の下に、行ったのか? 日本の罪とは、果して何であり、我がアメリカの刑罰は、果して適当なものであるのか? ・・・・・果して我々アメリカ人に、日本国民の再教育ができるのか? ・・・・・かかる質問こそ、ミアズ女史の本書の根底を成すものである。・・・・・本書は、我々の征服した敵に対する我々の尊大な態度を、根底から動揺させるものである・・・・・。
著者はこの作の中でこういっている、『1853年に、我がペルリ提督は、日本の孤立政策を破壊し、その門戸を開放せしめた。以来未だ一世紀にも満たぬのに、我がマッカーサー将軍は、日本本土に入り込み、その門戸を再び閉鎖した。・・・・・いって見れば、日本は善悪ともに我がアメリカの姿を映し出す鏡ではないのか? そして、我々アメリカ国民は、己れの姿を正さずして鏡面の映像を正そうと試みているのではないか?』と・・・・・」

 なおミアズ女史をして、この書を書かしめたもの、その遠因を成すものは、女史の故郷の一つ―――女史には二つの故郷がある、一つは生地ニューヨークであり、他は母君の生地であるペンシルベニアのトワンダである―――トワンダの隣人たちである。遠い異境の異国民に対する典型的なアメリカ人的興味、と女史はいう。これに動かされて、女史は、歪曲されない外国の真実の姿を自分の眼でじかに見るべく、中国、日本、ロシア、ヨーロッパ及びジャヴァ、マレイ、スマトラ、セレベス、フィリッピンをはじめ、日本の所謂大東亜共栄圏の大部分を歴訪することになった。
 然しながら、一九二五年の最初の訪日以来、女史の関心は、主として、日米間の文化上の相違ならびにその外交関係に、置かれるようになった。戦時中、女史は、陸軍省主催の民事教育施設のため、ミシガン大学、ノースウェスタン大学等で、日本に関する講演を行った。日本降伏後、女史はGHQの労働問題顧問委員会の一員として、日本を訪れた。なおこの時の一委員としての女史の感慨は、本書の中にも納められて居り、女史の正義感、責任感から来る、同じ委員仲間に対する批判は、この書の随所に痛烈である。
 この他、この書の随所に満ち溢れるばかりの女史の高邁な卓見、真理、正義へのほとばしり出ずるばかりの愛情には、訳筆を運びながらも、私は何度、感激に打たれたか知れない。そして元来、この書は、表題の示すとおり、女史の同胞アメリカ国民への警世の書ではあるものの、女史の卓見と日本に対する大いなる理解の前には、日本国民の一人として、心から感謝すると共に、顧みて過去、現在、未来の日本の姿の種々相に思いを馳せ、反省の種の少なくないことを感じる。
 否、この書こそ、「アメリカ人の鏡」であると同時に、日本人にとっても、己が真の姿を、殊には終戦後の日本人一部のありのままの姿を、反射する明鏡にもなるのだ。この書を邦訳する所以のものは、実にまた此処に在る。本質に於いて、終戦後氾濫した「真相はこうだ」式の所謂、暴露ものと雲泥の相違があることの所以も、また此処にあるのだ。我々日本人の中に、占領中はおろか、独立後の今日に至ってもなお、決して征服者アメリカ人に対する遠慮とか、皮相的な同調からではなく、本心から、アジアへの認識をはじめとして、文化、教育、政治、百般の観念において、アメリカの、しかも正鵠を失したアメリカの対日観念を、そのまま鵜呑みにしている人々、換言すれば、アメリカ人の眼の、しかも歪んだレンズを通した、そのままの姿で、己が祖国日本を観ている人々が、数少なくない事実、しかも自他共に、敗戦後の新日本の指導者を以って任ずる所謂、文化人、知識人と称する人士の間にも、こういう人々の相当数が、現に夫々の分野に於いて、指導者として活躍している一事を思うとき、この書は正に、正に、日本国民への頂門の一針である。それと同時に、くれぐれも心すべきは、この書中の「事実」の投影像のみを集積して、以って、顧て他をいうのみの態度に出ることなく、個々の事実の根ざす「真実」の在り方、その依って以って来るところに思いを致し、厳粛な自省の下に、将来の我が道を誤らぬようにすることである。
 次にこの訳書が一九四九年に出ずべくして、何故かくは遅延したかについて、一言したい。読者諸氏の中には、既にして、この書が占領中、我々日本人には禁断の書であった事実を、ご存知の方も少なくないと思う。
 最初、著者ミアズ女史の厚意により、原著一部の寄贈を受け、私は開巻一頁から、吸い寄せられるようにむさぼり読んだ。驚いた。そしてこの国の読者諸氏に、是非とも読んでもらわねばならないと痛感した。女史の好意溢れた許可と激励の手紙を前にして、夢中で訳筆を運んだ。某発行所との間に、訳書出版の話が、忽ちにしてはかどった。これが先にもいったように、一九四九年5月のことである。当時の制約として、勿論、GHQの許可を得なければならなかった。友人二、三の忠告により、私は真心こめた長い嘆願書をしたためて、CIE(GHQ内の民間情報教育局---財津)に提出した。それには大東亜戦争中、東条軍閥内閣の下に、完全な箝口令が施かれ、国民は唯々として、ひたすら肉弾の道に進むより他致し方なかったため、最後には、国民殊に概ねの知識人の気持ちは、所謂、面従腹背の止むなきに至ったことから始めて、今、この書を一読するに及んで、かかる鋭い批判と、大局的な真実と正義への愛をそのまま叫び上げた、そして被征服国日本への大乗的な理解に満ちた書物を、自由に出版せしめるアメリカという、流石は「言論の自由」をうたう国の偉大さに、感嘆したこと、これを一読すれば、日本国民、わけても知識層は必ずや感激し、この理解の大いさと、秀でた卓見に頭を下げ、将来の真の世界平和の探求に向かって、心からの日米協力を惜しまないであろうこと、真実と事実と大なる理解の前には、凡ゆる軍事的外交的糊塗も、畢竟、無駄であること等々を、祈るような気持ちで、英文で縷々と記述したのであった。
然し結局は、無駄であった。遂には私自身、自発的にCIEを訪れ、懇願し、嘆願したのであったが……この時応接されたホィーラー氏なる役人は、始終私から目をそらしていた。誠に、困却しきった表情であった。こちらでかえって、「そんなに心配しないで下さい」、といってあげたくなるような表情だった。私の頬に熱いものが滴々と伝わって来るのを感じて、不意に私は、自分が泣いているのを覚えて、すすり上げた。そして「これ程、条理を尽して頼むのに、何故、いけないのか? いけないならいけないで、何故、不可なのか、その明確な理由を与えてはくれないのか?」というような意味のことを叫んだ。優しそうな二世らしい青年が、しきりになだめてくれた。ホィーラー氏は、とうとうくるりと後ろを向いて、「結局、どうしても、許可できないのだから、彼女は、もう帰るべき時であることを覚ってほしい」と、壁に向って呟くようにいった……。その後の嘆願に於いても、何ら条理立った不許可の理由は明示されなかった。それから間もなく、ミアズ女史とマッカーサー元帥は、太平洋をはさんで、鋭い論戦の火花を新聞、雑誌の紙上に展開したことがあった。
著者は、私の嘆きの手紙に対して、いつも「辛抱して時を待て」と、優しい激励を送って下さった。


占領は終わった。既にして三歳余の月日の波は、先の某書店を破産せしめていた。新たに文芸春秋新社の厚意で世に出るようになった。その間、原著者ミアズ女史、フランツ・J・ホーシ・エイジェンシーの方々との間に、文通しきり、遂に、その方々の努力の賜物で、去る十一月末、一切が片付き、やっとこの訳書が日の目を見る次第となったわけである。
著者ミアズ女史は、この間に、愛する母君を失われ、愛する故郷の一つなるペンシルヴェニアの、母君の遺愛の家も失われた。だが、女史はその悲しみに耐えて、現在、ニューヨークで、つぎの大作に、寸暇を惜しんで取り組んでいられる。
先に私は、この書の出版が、かくも遅延したことが、実に残念だと書いた。最初にスムーズに事が運んでいたら、……その当時はまだ、朝鮮事変も始まってはいなかった。……占領政策を通じる以外のアメリカの真の姿に、最高度にアメリカ開国精神の真髄を今に伝えた純粋にアメリカ的であり、しかも智的なアメリカの姿に、この書を通じて初めて接する日本人の数が、今頃は、相当になっていたかもしれない。目を見張る思いで、目先だけのことではなしに、もっと真摯に、日米国交問題を、根本的な姿に於いて考えようと努力する人々の数が、少なくなかったかもしれない。従って、日米間の真の提携が、もっと盛り上がって来ていたかも知れない。この点無駄に、或いは真の日米提携に取っては、いたずらに有害に、貴重な三歳有余の月日が流れ去ったことは、実に残念である。だが或る意味では、この書が今からでも刊行されることは、決して遅くはないかも知れない。何故ならば、この書に提示された問題は、未解決のまま容易に無視さるべきでもなければ、却下さるべきでもないからである。
最後に、ミアズ女史が、この書によって、具体的に示された真の愛国心のあり方について、深い敬意を感じる。敗戦の試練を経た日本でも、改めて「愛国心」の問題が討議される今日、この書に溢れる深い憂慮に包まれた大いなる愛国心の姿が、示唆するところが、大いに参考になればと私は希望する。
 ゴーゴリは彼の傑作たる「生ける魂」の中で、彼の時代、すなわち十九世紀の帝政ロシアの姿を、制御も知らず驀進するトロイカに譬え、「ロシアよ、何処へ行く?」と憂愁の叫びを挙げている。この書(『アメリカの反省』---財津)の劈頭、ミアズ女史は、精巧、巨大な軍用機の迅速な飛行になぞらえて、切々たる母心にも似た憂慮を以って、愛する国の行手を案じている。善かれ悪しかれ、日米両国は今後とも、切実な関係を持たざるを得ないことは、言をまたない。この巨大な航空機が、正確無比な点検を経て、正しい航路を安全に飛翔し続けることを、私達は切に望みたい。
 なおこの書の翻訳は、外国文学書の翻訳に従事して十数年になる私にも、正直に言って、容易ではなかった。辞書などにはない、現にアメリカで生まれ、成長している生きた言葉や表現も、数少なかった。固有名詞の訳語にも、物が物だけに、いささかの曖昧さも許さるべくはない。大いに努力したつもりではあるが、不備の点も少なくないと思う。大方の読者諸氏の御叱正を待ち、他日、更に少しでもよいものに仕上げたいと思っている。


 終始細かな心遣いの激励を与えて下さったミアズ女史をはじめ、1949年、この書の最初の刊行企画の際、種々ご尽力下さり、遂にはCIE宛てに、私のために嘆願書まで書いて下さった、今は亡きフランツ・J・ホーシ氏、今度の企画に当って、ご努力下さったホーシ未亡人はじめ、ホーシ・エイジェンシィの方々、この書の刊行を引き受けて下さった文芸春秋新社、当初から終始、私への鞭撻を惜しまず、種々激励と訳述上の指導をして下さった中岡宏夫氏、及び温かい友情の期待を抱いて下さった友人諸氏に、心からの感謝を捧げて、擱筆する。

   一九五二年一二月三十一日、 除夜の鐘を聞きつゝ
                              幡ヶ谷、桃源洞にて
                                  原  百 代  
 付記、Textは、Houghton Mifflin Companyの一九四八年版のものを使用した。」



私は、ヘレン・ミアーズと原百代を、「素朴すぎる正義感をもち勇気をもそなえた」女性と言った。
そう言ったのは、おのれの覇権を正当化し続ける必要がある覇権追求家からすれば、その覇権に従うべき弱小国家の独自の立場や正論など認めるわけにはいかないにもかかわらず、そうした覇権追求国家の政治的権力に対して、敢えて、弱小国家(日本)の立場から自分らが信じるところを唱えたからである。ミアーズはマッカーサーと新聞紙上などで論争をすることができ、原はGHQに乗り込んで不首尾に終わったにせよ談判(ネゴシエイト)することができた。

伊藤訳『アメリカの鏡・日本』(角川版)386ページから引用しよう。

「極東の歴史を日本の視点で見ると、いままでわからなかったことが明らかになってくる。この新しい視点に立つと、私たちの政策の中にある法的擬制がはっきりと見えるのだ。そして、政策立案者には、自国の政策が他国民にどのように映っているかよく見えないということがわかるのだ。」

アメリカの政策を見るミアーズは、もっぱら当時の日本の視点に立っており、この視点から、あたかも日本の母であるかのように、アメリカの政策や日本観を批判する傾向がある。

ミアーズには、当時の中国や、併合されていた韓国の視点から日本の軍事行動を批判的に見るスタンスはほとんどないと言ってよい。したがって、現在の中国共産党政府や韓国政府からすれば、ミアーズの主張はまったく承服できないものであろう。両国の対日政策は、東京裁判の正当性を前提にしているのだから。アメリカの対日政策も、日本の左翼陣営もそうだ。

さらにミアーズはこう言う。「極東の歴史を考えるとき、私たちは日中関係を強調しすぎるきらいがあった。そしてアジアの両国が依存する欧米列強と、日本および中国との関係を近くから見てこなかった。アメリカの世論は、いつも日本を中国の侵略大国としてとらえ、次には他のアジア諸国の侵略的征服者になるだろうと考えて非難してきた。米国政府が日本の政策を説明する場合も同じだった。しかし、近代日本がアジアと公式接触するとき相手にしていたのは、その国の国民ではなく政府だった。そして政府はアジア人ではなく、ヨーロッパ人かアメリカ人だった。中国では、政府は中国人だったが、外国勢力に影響されすぎていたし、「国際条約」に縛られていたから、自分の意思で日本と交渉できなかった。」

ミアーズは、日本が、アジアおいて戦った相手は欧米列強であったと主張している。そして、アメリカの世論は、いつも日本を中国に対する侵略国としてとらえ、他のアジア諸国の侵略的征服者と考えて非難してきた、と。おそらく、現在の欧米の権力者たちの日本観も、それと大きく変わらないだろう。

ルーズベルトは、日本の敗戦前後、中国を大国化しようとする戦略をとった。オバマには、当初、アメリカの太平洋覇権の維持には、日本よりも中国を頼みとする傾向が見られた。依然として、日本の外交政策は、本質的なところで日本自身で決定できない。日韓関係にしても、アメリカの戦略の影響下にある。今後、次期大統領が誰になるにしても、アメリカの損得勘定が露骨に出てくるだろう。

ところで、以上のようなミアーズの日本擁護を解毒しようとするのは、ジョン・ダワーという歴史家の『容赦なき戦争』(旧版『人種偏見―――太平洋戦争に見える日米摩擦の底流』)と『敗北を抱きしめて』であろう。

『容赦なき戦争』は、以下のような当時の欧米人の日本人観(劣等感に苦しむ民族)を出典を示さずに列挙している。

たとえば、マーガレット・ミードとその夫グレゴリー・ベートソンによれば、「日本人は自分たちの文化に対する尊敬の念を欠いており、他の人々の自尊心に接すると、いかんともしがたい劣等感を覚え侮辱されたと感ずる。」

エドガー・スノウによれば、「日本人のひときわ目立つ劣等感は、意識下で、個々の日本人が神=天皇の支配下にある個々の朝鮮人と中国人に、不幸にして精神的にも肉体的にも劣っていることに気づいている」からである。

そしてヘレン・ミアーズだが、彼女によれば、「日本人が人種的な優越についての教化や神話的な迷信を受け入れやすいのは、劣等感―――本物の強力な欧米列強と比べての経済的・軍事的な劣勢であり、西洋の科学的業績に直面しての心理的な引け目であり、欧米人が『有色人種』は劣等だと主張する屈辱―――をはね返すテクニックであった」そうだ。

ダワーは、ミアーズを、ミードやスノウのような日本人蔑視の文筆家の一人として登場させている。

ダワーは、なるほど当時のアメリカ人の日本人観は偏見であったと言いたいのかもしれないが、それは、ダワーの書を入念に読まないとわからない。この書をざっと読むアメリカ人は、おそらく、日本人への蔑視の感情をあらためて正当化あるいは強化できるだろう。

『敗北を抱きしめて』では、ミアーズは黙殺されている。それにしても、『敗北を抱きしめて』という邦訳名はうまく考えたものだ。

原題は《 EMBRACING  DEFEAT 》である。EMBRACINGを「抱きしめて」と訳したのであろう。この題名だけを読むと、この本は《敗戦をしみじみ感じて、けなげに生きていく終戦後の日本人たち》を温かく描いた作品だと早とちりする可能性がある。読者が食いつきやすい邦題である。

しかし実際は、これは、アメリカの日本占領および東京裁判の正当化の書物である。「抱きしめて」の原語《 EMBRACING 》つまり《EMBRACE》という英語の動詞は、辞書を引いていただければわかることだが、目的語(対象)が人間である場合は、「(愛情をこめて)抱く」という日本語に翻訳できる。「抱く」には、性的な含意もある。

《EMBRACE》の目的語が、思想、概念、生き方などの場合は、「(喜んで完全に)受けいれる」という日本語に変換することができる。 ダワー自身は、この英語を「身体的に抱擁する」という意味で使っていると語ってはいるが。

 しかしダワーの本がアメリカで高く評価されたことからわかるように、今日のアメリカの多くの知識人(観念に呪縛されやすいタイプの人間)も権力者も、いぜんとして、ペジョラティフな「日本人のイメージ」を通して「日本人」を見る傾向があるだろう。やはり日本人は信用できないと。

私は、これに腹を立てているわけではない。アメリカの権力者や知識人に愛されたいと思うほうが滑稽である。愛されたくて「話し合おう」とすれば、相手に軽侮の感情をもたせるだけである。要するに、なめられるだけだ。民主主義の感覚は、対等の立場でおのれの利害を考慮に入れてタフな交渉を重ねる意志に伴うものだ。愛されたいという感情は、デモクラシーの感情ではない。

 タフな交渉では、必ず相手は興奮し怒りを見せる。しかし、欧米人相手では、そこからが交渉だ。日本人は、長い歴史のなかで、目上にへつらうことで、目上から、お目こぼしや利益を得ようとする生き方を体に染み込ませてきた。アメリカ人を目上と感じる日本人は、アメリカ人とのタフな交渉は苦手である。

 私は、今後このブログで、折に触れて、ミアーズの『アメリカの鏡・日本』よりも、まだ翻訳されていない《 YEAR OF THE WILD BOAR 1942 》つまり『いのしし年』の内容を取りあげていくつもりである。

ミアーズは、昭和初期の日本はヒステリー状態あったと報告している。ミアーズは取りあげていないが、その例として、当時軍人にも大きな影響力をもっていた大ジャーナリスト徳富蘇峰の『国民小訓』を挙げることができるだろう。

私が所有している『国民小訓』は、大正14年3月23日19版のものである。これの初版の日付は大正14年2月21日である。発行後、一月半で19版を重ね、それ以降も売れ続けたはずだ。当時の大ベストセラーの本である。

その冒頭には、こう書かれている。「……開闢(かいびゃく)以来の独立帝国たる日本国に幸運あれ。これが著者の祈祷である。しかも著者の胸底には、一種の不安が蟠(わだかま)りているを告白せねばならぬことを、頗(すこぶ)る遺憾とする。著者は黒雲が我が日本帝国の上に渦巻いているを見る。……その黒雲の一は、外患である。……如何なる楽天家たりとても、我が日本帝国の国際的位置は安全であると、断言し得る者はあるまい。吾人は決して恐怖症の患者ではない。されど我が帝国四囲の情態は決して常永であり平調であると云うを許さない。」

そしてこの『国民小訓』の政治思想は、井上哲次郎らがつくりあげた「国民道徳要領」にもとづいている。

ミアーズの『いのしし年』から「国民道徳要領」を見るのは、無駄ではないだろう。私は、ドゥルーズ研究と平行して、「国民道徳要領」をめぐって、日本人の心に潜む、あるいは沈殿した国家意識を分析するつもりである。

集団的自衛権と憲法9条:第4回;改憲の二つのテーマ

いずれドゥルーズの政治思想および法思想を扱わなければならないのではあるが、思想研究者としての私にとって、外国人の政治思想の分析ばかりやりながら、現在の日本の政治状況や法的状態については無関心でいるなどということは許されないと思っている。国会で安保関連法が可決され、経済的発展ばかりでなく地域安保にも寄与すると言われているTPPの道筋も見えてきた今、各政党は来夏の参院選挙に向けてそれぞれの立場を構築しているだろうが、参院選で与党が勝利すれば、憲法改正の具体的な動きが出てくるだろう。憲法改正の二つのテーマは、第9条の戦争放棄と第一条の天皇の象徴性であろうと思われる。

ところで、12月13日に日本ラカン協会大会シンポジウムで、ドゥルーズにおける「欲望」の概念に関する私の解釈を発表することになっており、自分の体調に配慮しながら原稿の準備に時間をさかなければならないのだが、いましばらく現在の憲法問題を考えてみたい。やがては、此の考察がドゥルーズ/ガタリの「原国家」という観念にからむはずである。

前回のブログの末尾で、センチメンタルな駄文を書いてしまったが、それは私が、たとえばポツダム宣言に含まれる第三項の後半を、英語原文から正確に訳すために噛みしめて読んだからではない。すなわち「抵抗するナチスに用いられたときの力は、全ドイツ国民の土地、産業そして生活方式を荒廃させたのだが、いま日本に集結しつつある力は、ドイツに用いられたその力に比べて計り知れないほど大きなものとなる。我々の決意が支える我々の軍事力の最大限の行使は、日本の軍隊の不可避的にして完全な破壊を意味し、また同じく必然的に日本本土の完全な破滅を意味するだろう。」という文章である。ナチスを攻撃した連合国の軍事力は、同時に全ドイツ国民の土地、産業、そして生活方式を荒廃させたのであり、日本に向けられようとしている軍事力は、ドイツに対するそれと比べて計り知れないほど大きく、その行使は日本軍の破壊ばかりでなく、日本本土の完全な破滅を意味すると宣言し、連合国は日本政府と日本軍を脅した。しかも、これは脅迫にとどまらず、実行に移されたのだ。だが私は、英語原文による脅しの表現の凄まじさを日本語に翻訳して悲しくなったのではない。

連合国最高司令官マッカーサーは、1945年10月近衛文麿に大日本帝国憲法の改正を示唆したと言われている。私がいささか悲しくなったのは、ポツダム宣言の内容を知っていたはずの日本の法律学者たちの憲法改正案を見てからである。

さて、近衛は佐々木惣一とともに憲法改正の原案作りに乗り出す。宮沢俊義は、当時の外務省に招かれ、憲法改正に関する講演を行う。

そこでまず、佐々木惣一が1945年11月に天皇に奉答した改正案「帝国憲法改正の必要」から見ていこう。

明治憲法(大日本帝国憲法)の第1条は改正されない。
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之(これ)ヲ統治ス」

第4条も改正されない。
「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)シ此の憲法の条規ニ依リ之ヲ行フ」
(「総攬」という漢語は、辞書が教えているように、後漢書などで用いられている言葉であり、「すべて掌握すること」を意味する。)

第五条も改正されない。
「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権を行フ」

第11条は、言葉を少し変更するが内容はそのままである。
「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」を、「天皇ハ軍ヲ統帥ス」に変える。

第20条も改正されない。
「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」

第55条も改正されない。
「国務各大臣ハ天皇を輔弼(ほひつ)シ其ノ責ニ任ス」
天皇を輔弼する国務大臣の文民規定はない。

佐々木案は、明治憲法の76の条項を100まで増やしているが、根本的な変更は行っていない。

次に宮沢俊義による改正案いわゆる「宮沢甲案」を見よう。この改正案は、1946年2月1日に毎日新聞にスクープされ、明治憲法の根本的な改正になっていないと批判されたものである。これは、極東委員会(米・英・ソ連等11カ国で構成された連合国による最高日本管理機関)が日本国憲法改正についてリーダーシップをとる前に、マッカーサーがGHQ独自の憲法草案(現在の日本国憲法の原案)の作成を命令するきっかけになったものである。つまり、マッカーサーは、日本政府とその御用学者では、民主主ぎにもとづく憲法は作れないと判断したのだろう。

上で取り上げた佐々木案の条項にそくして、宮沢甲案を見ていこう

宮沢甲案第1条
「日本国ハ君主国トス」

宮沢甲案第2条
「天皇ハ君主ニシテ此ノ憲法ノ条規ニ依リ統治権ヲ行フ」

明治憲法の第5条はそのまま踏襲。
「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権を行フ」

明治憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」は削除。

明治憲法第20条の「兵役の義務」は削除。

第55条は踏襲。
「国務各大臣ハ天皇を輔弼(ほひつ)シ其ノ責ニ任ス」

こうしてみると、「天皇による軍の統帥」と「国民の兵役の義務」が削除された点だけが、佐々木案と異なっている。佐々木案も宮沢甲案も「天皇の統治権」および「天皇の立法権」を認めている。そして、天皇を輔弼する国務大臣の文民規定が欠如している。

要するに以上の二つの改正案は、天皇に統治権と立法権を認めて、国民に主権を認めていないのである。GHQが承認するわけがない。

日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言の第10項ではこう言われている。
「日本政府は、日本国民における民主主義的傾向の復活と強化に対する一切の障害を除去しなければならない。」
占領軍は、これを日本政府が実行しないかぎり撤収しないという意志を示していた。

日本政府が無条件降伏をするまで、アメリカを中心とする連合国によって日本の一般市民が虐殺され続けたことについて、日本の政治家、軍人、法律学者たちはどう考えていたのだろうか。人間の目的は、「まず生存すること」であるのに。

日本市民が虐殺された直後に、法律学者たちは、根本において非民主主義的な明治憲法のささいな修正で占領軍(日本に民主主義(国民主権)を迫る虐殺者たち)の同意を得られると思ったのだろうか。佐々木と宮沢は、明治憲法は民主主義と両立するという彼らの理屈でアメリカ人たちをごまかせるとでも思ったのだろうか。

我妻榮は、1948年発行の『新憲法と基本的人権』(p150)で、明治憲法を次のように厳しく批判している。
「・・・その憲法(明治憲法)自体は国民の総意の表現でもなく、統治者と国民の協定でもなく、全く統治者の自律であるという意味で、前にわれわれの見た十九世紀前半の欧州諸国の憲法における基本的人権の保障とは、本質を異にするものだといわねばならない。穂積八束が、他国に例のない国体に基づく欽定憲法だと力説する理由はここにも存する。」

そしてこれを例証するために、我妻は明治憲法の憲法発布勅語から一節を引用している。
「国家統治ノ大権ハ朕(ちん)カ之(これ)ヲ祖宗(そそう)ニ承(う)ケテ之を子孫に伝フル所ナリ・・・朕ハ我カ臣民の権利及(および)財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律の範囲内に於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス」
                                                                         (続く)

集団的自衛権と憲法9条:第3回

日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言は、言うまでもなく、いわゆるカイロ宣言を踏襲している、そこでまず、カイロ宣言における日本観と対日スタンスの一部を見ておこう。
ところで、「カイロ宣言Cairo Declaration」とはポツダム宣言第8項に出てくる名称であり、国会図書館が公開している文書では、「カイロ声明 Cairo Communiqué」となっている。ルーズベルト(ロウズヴェルト)大統領時代のホワイトハウス報道官であったスティーヴン・アーリーの名前で、この声明は1943年12月1日にオートマティックにリリースされるべき(for automatic release)ものであり、それまでは絶対に機密扱いしなければならないとされている。いわゆるカイロ宣言の有効性を否定する議論もあるが、以上のホワイトハウス報道官スティーヴン・アーリーの指示からすれば、カイロ宣言が連合国にとって拘束力がある文書であることは明白である。また、ポツダム宣言第8項がカイロ宣言を継承する旨を告げているのだから、カイロ宣言の無効性を正当化することはできない。もちろん、カイロ宣言は、当時の連合国にとって「約束」としての拘束力をもつにすぎないのであって、現在のすべての国家を拘束するものではない。カイロ宣言もポツダム宣言も、領土問題に関しては、いわゆる「大国」の利権を確保するための意思表示である。

カイロ宣言(声明)のいくつかの文章を訳してみよう。

第2文「三大同盟国は、それらにとっての野蛮な敵国たち(their brutal enemies)に対し、海、陸そして空から仮借なき圧力を加える決意を表明した。」要するに、日本は三大同盟国(アメリカ、イギリス、中国)にとって「野蛮な敵国」とみなされ、「仮借なき圧力(攻撃)が加えられたのである。三大同盟国から、敵国とみなされれば、徹底的に攻撃されるということだ。そしてアメリカのこのような行動は、現在まで切れ目なく継続している。

第4文「三大同盟国は、日本による侵略(aggression)を制止し罰する(punish)ために、この戦争をしているのである。」欧米がおこなう戦争によって日本は罰せられたのである。もちろん、欧米による侵略は罰せられなかった。換言するなら、カイロ宣言では、日本による侵略は罰せられるべき「犯罪」であり、欧米による侵略は罰せられるべきではない、つまり「犯罪」ではないということになる。周知のように、このような欧米のダブル・スタンダードに不満をもつ様々な勢力が声を大きくしている。

つぎにポツダム宣言のいくつかの文章を訳そう。

いわゆるポツダム宣言(Potzdam Proclamation)の詳しい名称は、「日本の降伏のための条項(Terms)を規定する宣言」である。条項と訳したTermsは、ポツダム宣言第五項からすれば「条件」と訳せるのだが、その第8項からすれば「条項」とも訳せる。宣言の全項目の内容からすれば、「条項」のほうが穏当であろう。

第三項の後半「抵抗するナチスに用いられたときの力は、全ドイツ国民の土地、産業そして生活方式を荒廃させたのだが、いま日本に集結しつつある力は、ドイツに用いられたその力に比べて計り知れないほど大きなものとなる。我々の決意が支える我々の軍事力の最大限の行使は、日本の軍隊の不可避的にして完全な破壊を意味し、また同じく必然的に日本本土の完全な破滅を意味するだろう。」
そして、ポツダム宣言が発せられてから一ヶ月も経過しないうちに、アメリカは広島と長崎に原爆を投下し、日本の多くの都市に無差別爆撃をおこなった。

第六項の一部「日本国民を欺き、世界征服(world conquest)に乗り出すという間違った行動をとらせた者たちの権力と影響力は永久に除去されなければならない。」欧米は、日本の軍国主義を「世界征服」をもくろむものとみなしていた。

第11項の一部「日本が戦争のために再軍備をすることができるようになるであろう産業を日本が維持することは許されない。」
「日本が戦争のために再軍備をする」というのは、カイロ宣言とポツダム宣言の各文章からすれば、「日本が侵略戦争のために再軍備をする」ということを意味するだろう。では、「自衛のための再軍備」なら許されるのだろうか。

第7項ではこう述べられている「そのような(平和、安全および正義の)新秩序が設立されるまでは、そして日本の戦争遂行能力が破壊されるということの説得力ある証拠が存在するまでは、同盟国によって指定されるべき日本領土の諸地点は、我々がここに提示している基本的な諸目的の達成を確保するために、占領されるべきである。」
こうしてみると、日本の再軍備の不許可に関しては、侵略戦争のみが考慮に入れられていて、自衛あるいは防衛の考えは抜けていたと見るべきだろう。連合国にとっては、日本の侵略戦争のための軍備を破壊することが急務であって、日本が自衛することまでは考える余裕がなかったのだろうと思われる。

次は、SWNCC諸文書、マッカーサー・ノート、いわゆるケーディス修正、芦田修正などを見ていこう。その後さらに、マッカーサーによって翻訳の発行が禁じられ、ジョン・ダワーの著作(邦訳題名『敗北を抱きしめて』)によって黙殺されたヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』を少しばかり見て、憲法第9条改正に関する私の考えを提示したいと思っている。

付記:今回、初めてカイロ宣言、ポツダム宣言の一部を英語原文から訳してみて、いささか悲しみに包まれてしまった。

集団的自衛権と憲法9条;第2回

国連憲章は、1945年6月26日 に サンフランシスコで51ヶ国が署名し、1945年10月24日に発効した。日本の敗戦(降伏)は、1945年8月14日に日本政府がポツダム宣言受諾を連合国側に通告したとき、あるいは1945年9月2日に日本側代表と連合国側代表が降伏文書に調印したときに確定した。日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された。つまり国連憲章のほうが、日本降伏の前に、日本国憲法より早くできあがっていたということだ。

国連憲章第7章に「集団安全保障」と「集団的自衛権」に関する条文がある。ともに平和の破壊や侵略行為に対して武力行使を認めている。ただし、集団安全保障における武力行使は、国連軍による国連の活動であり、集団的自衛権は国連加盟国の固有の権利である。

日本国憲法の草案は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の民生局のチャールズ・L・ケーディスの指揮のもとにつくられたと言われている(国会図書館のホームページで、「GHQ草案(マッカーサー草案)作成スタッフ一覧」を見ることができる)。その.チャールズ・L・ケーディスは、国連憲章の起草者の一人アルジャー・ヒスとともにハーバード・ロー・スクールで学んだと言われている。たとえそうでなくとも、ケーディスが国連憲章を知らなかったはずはない。では、ケーディスは、どのような意図をもって、日本国憲法に、国連憲章第7章における集団的自衛権の条項を入れず、かえって、第9条として戦争や武力行使の放棄そして戦力の不保持の条項を入れたのだろうか。

次回はそれに関して、ポツダム宣言の文言、SWNCC150文書、SWNCC228文書、マッカーサー・ノートなどを見ていこう。

集団的自衛権と憲法9条

ようやく大学の後期授業に復帰できるほど体調が戻ったので、ブログを再開したい。数回、目下の政治状況すなわち安全保障関連法案と憲法9条について私の考えを述べ、その後で、『差異と反復』の文章を一行一行解釈していこう。

6月4日の衆院憲法審査会で、三人の憲法学者が、安全保障関連法案(安保法案)は違憲であると主張した。マスメディアの報道からは、安保法案違憲を唱える憲法学者が大多数であるという「学者の多数性」が重要であり、また違憲合憲問題は憲法「学者の権威」が重要であるかのような印象を得て、かすかな違和感を覚えた。報道で読んだ限りでは、三人の憲法学者は、ロジックあるいは理屈のうえで安保法案違憲と判断しているようだ。もちろんこの三人の態度は法学者としてまったく正しい。しかし、今問題になっているのは、安保法案が国民の生活にどのような影響を及ぼすかということである。この点から見ると、憲法学者たちが、外交や軍事に精通しているとは思われない。現代の様々な武力攻撃が、具体的にはどのような行動なのか、また、日米、日中、米中のあいだの利権をめぐる駆け引きが具体的にどのようになっているのか、これを憲法学者の説から知ることはできない。もちろん、かく言う私もその点に詳しいわけではない。
ジョージア・ウォーンキーは『ガダマーの世界 解釈学の射程』で、法解釈学についてこう述べている(佐々木一也訳、p169~170)。「裁判官と法制史学者は同じ仕事をしているのに違いない。もし私が法制史学者として、無辜の命を害することに対して法がどう対処するかを知りたいと思ったならば、私は、その法を可能な適用に関して理解しなければならない。・・・さらに、単に殺人に対する法の対処を理解したいのならば、私は裁判官と同じような行動をとらなければならない。すなわち、私はさまざまな具体的状況に法をいかに適用すべきか学ばなければならない。・・・同じ理由で、アメリカ合衆国憲法が不法捜査に対してどのように規定しているか知りたければ、それの適用の中でこれを理解しなければならない。この理解は憲法の当初の構想者達の理解を越えているだろう。なぜならば、ひとは構想者達が全く知り得なかった適用可能性に関与しなければならないからだ。盗聴事件などはその良い例である。」
私は、ウォーンキーの提言を踏まえて、安保法案違憲問題を、つまり安保法案のうち特に集団的自衛権が憲法9条に抵触するかを考えてみたい。
防衛省・自衛隊のホームページの「憲法と自衛隊」のページで、「武力行使の新三要件」が提示されている。まず「わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」。したがって、「他国に対する武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされた」場合に、自衛隊は、その「他国に対する武力攻撃に対して」武力を行使することができる。そのために、わが国は、「集団的自衛権」を有しなければならない。したがってまた、わが国の「集団的自衛権」は、合憲でなければならない、つまり憲法9条と抵触してはならない。これが、政府の立場だろう。
そこで、次回は9条の成立の事情と、9条構想者の理解を見ることにしよう。

体調不良

5月始めに体調を大きく崩し、病院でこの文章を書いている。大事には至らず、7月末には通常の生活に戻ることができると思う。ところで、ちょうど今、病院に置いてあるいくつかの新聞で、集団的自衛権の行使が違憲か否かについての衆院憲法審査会での議論を読んでいる。体力が回復し自宅のパソコンに向かうことができたとき、憲法解釈とはどのようなことなのか、自衛とはどのような行為か、自衛すべき国家とは何かについて、このブログで書いてみたい。それまで、記事執筆をしばらく休ませて頂きます。

幸徳秋水、堺利彦訳『共産党宣言』(補足説明)、ドゥルーズの「副次的矛盾」、「原国家」という訳語、私の研究計画(2)

前回、「堺利彦直筆の原稿のコピーと見られるものが、法政大学図書館に一般図書扱いで所蔵されていた」と書いた。詳しくは、法政大学多摩図書館の「土屋保男文庫」の蔵書である。ところが、やや検索しにくいこともあってうかつなことに、法政大学大原社会問題研究所の蔵書に当っていなかった。

大原社会問題研究所の〈向坂文庫〉に〈堺利彦旧蔵書と「大逆文庫」〉というものがあって、そこに堺利彦の『共産党宣言』の手書き訳稿が保存されていることがわかった。上記のコピーの原本となったものは、この堺の手書き訳稿である。だが、そのコピーが、なぜ土屋保男文庫の蔵書になっているのかはわからない。

大原社会問題研究所に、堺の手書き訳稿があることを知ったのは、「大原社会問題研究所雑誌 No.603/2009.1」所収の以下の二つの論文からであった。

木村泉「幸徳秋水/堺利彦訳『共産党宣言』の 成立・伝承と中国語訳への影響」
玉岡敦「『共産党宣言』邦訳史における 幸徳秋水/堺利彦訳(1904,1906年)の位置」

私は、マルクス、エンゲンルスの専門的研究家ではない。この二人を論じるだけの学識をもちあわせていないので、マルクスにもエンゲンルスにもできるだけ言及しないようにしてきた。

けれども私は、大学生のころ、哲学好きの学生なら誰でもそうするように『共産党宣言』の文庫本を買った。そして今この文庫本を開いてみると、廣松渉がどこかの新聞に寄稿した文章の切り抜きが出て来る。どの新聞からいつ切り抜いたのか、まったく記憶はない。切り抜きの裏側には、「ル・マン ロータリー・エンジン・・・」の大きな文字があり、MAZDAのユニホームを着たレーサーが写っている。おそらく私は、1991年ごろに発行された新聞から切り抜いたのではないだろうか。

そこで廣松は『共産党宣言』について、こう語っている。「終戦後ほどなくこの小冊子を読んで、以来、私の「心の書」である。党派的立場の宣言文書であるから、理解するのに困難ではない。誤解の横行はどうしたことか。マルクスは生産手段の国有化にもとづく中央計画経済などおよそ説いてはいない。・・・晩年のエンゲルスがそうしたように、マルクスの立場を一種の社会主義に算入することは可能だし、私有財産制から共産制に移る過渡的措置として一時的国有化も必要であろう。だが・・・」

この廣松説の可否を、私は論じることができない。私はマルクスのよい読者ではないので、また、ドゥルーズ研究を続けながらも『アンチ・オイディプス』に深入りする事をためらってきた。『アンチ・オイディプス』はマルクス、エンゲルスを論じる書物でもあるからだ。

しかし、たとえば『アンチ・オイディプス』の第三章の見出しは、旧訳では「野生人。野蛮人。文明人」と訳され、新訳では「未開人、野蛮人、文明人」と訳されている。では、「野生人。野蛮人。文明人」あるいは「未開人、野蛮人、文明人」とは何か。これは、実は、モーガン(モルガン)の『古代社会』の題名から採られた言葉である。モーガンの著書は、早くも、1930年に邦訳されている。「古代社会 : 野蛮より未開を経て文明に至る人類進歩の径路の研究 」( リユヰス・モルガン著 、山本琴、 佐々木巖訳)

そして言うまでもなく、モーガンのこの書は、マルクスとエンゲルスに大きな影響を与えている。エンゲルスは『家族、私有財産および国家の起源』でこう述べている。「・・・『資本論』がドイツのギルド的経済学者たちによって、長いあいだ熱心に剽窃されながらもかたくなに黙殺されたように、モルガンの『古代社会』もまた、イギリスの「先史」学の代表者たちによってまったく同じような目にあわされていた。私の著作は、私の亡友(マルクス)に、もはやなしとげることが許されなかった仕事の貧しい代用物を与えることしかできない。とはいえ、私は、彼がモルガンから書きぬいた詳細な抜萃の形で批判的な評注をもちあわせている。私はできるかぎりそれを本書に採録する。『古代社会、別名、野蛮(Savagery)から未開(Barbarism)を経て文明(Civilization)にいたる人類進歩の路線の研究』ルイス・H・モルガン著・・・」(国民文庫、P7~8)

モーガン自身はこう語っている。「今日、人類は氷河期、いなその開始以前にさえもヨーロッパに存在したことが、知られており、それとともに、その起源がそれ以前の地質学的時代にあったということも大体知るところとなっている。・・・未開が文明に先行したことが知られているように、人類のあらゆる部族において、野蛮が未開に先行したことが、いまや信頼しうる証拠にもとづいて主張しうるのである。」(『古代社会 上』岩波文庫、p19~20)

モーガンの「野蛮(Savagery)から未開(Barbarisme)を経て文明(Civilization)に」は、すでに定訳になっていると言えるのだから、モーガンと同じ言葉遣いをしている『アンチ・オイディプス』第三章は、「野生人。野蛮人。文明人」でも、「未開人、野蛮人、文明人」でもなく、「野蛮人(SAUVAGES) 未開人(BARBARES) 文明人(CIVILISES)」と訳す必要がある(フランス語を入れる必要ないが)。

なぜなら、ドゥルーズとガタリは、このモーガン/エンゲルスにおける「野蛮→未開→文明」という概念を利用しながら、言わば通俗的マルクス主義における「五段階説」すなわち「原始共同体、奴隷制、封建制、資本主義、社会主義(共産主義)」のなかには、たとえばK・A・ウィットフォーゲルが主張するような専制国家は位置づけられえないと主張しているからである。『アンチ・オイディプス』の日本語訳からでも、モーガン、マルクス、エンゲルス、ウィットフォーゲルの絡み合いが論じられているようだと、読者にわからせる必要がある。

だが、ドゥルーズとガタリは、モーガン/エンゲルスやウィットフォーゲルの考え方をたんに踏襲するのではなく、ここに「原国家(ウルシュタート) Urstaat」という彼らのドイツ語風の造語による概念を挿入する。旧約聖書の創世記第15章における都市の名前ウル(Ur)に、フロイトの原光景(Urszene)すなわち原幻想(Urphantasien)の原(Ur)という接頭語を重ねて、それにドイツ語の国家(Staat)をつなげている。

そして私は、原幻想の性格をもつこの「原国家」の概念を、明治時代における新国家建設の諸思想に見る試みを遂行しようと考えている。おそらく、その試みなかで、ドゥルーズ、ガタリにおける「原国家」の概念を批判的に論じることになるだろう。

さて、戦前の「国民道徳」における「国体」の概念は、たいていの場合、まずゲオルク・イェリネク(イェリネック)の『一般国家学』で説明されているような国家概念を前提にしている。すなわち、国家とは「領土」と「国民」と「国家権力(主権)」によって定義されるということだ。

論者によって若干の違いがあるが、一般論として「国体」とは、「国家組織の体制」を意味する。語としては中国の『管子君臣論』や『前漢成帝記』から採られた言葉であり、近代的な概念としては「主権の様態」による区別を含むものである。たとえば「君主国体」、「民主国体」など。

けれども、「日本の国体」は日本独特のものであり、イェリネクの国家三要素説ではこれを十分に説明することができないとされた。日本独特の国体は、(古事記、日本書紀に記されている)日本独特の天皇制の歴史から説明されなければならなかった。

一般論として国体は主権のあり方によって様々な国体があるとされながらも、さらに「国体(国家体制)」と「政体(政治体制)」が区別される。日本の政治権力者たちは、形式上主権を天皇に集中させながら、その天皇をして政治権力を超越する存在とした。天皇は、主権者でありながら、政治権力の変化に影響されない永遠かつ不可謬の神的な存在になった。

ここで、漫談のような語り口で国民道徳を説く一種の無責任男、井上哲次郎(1855~1944)の考え方にほんの少しだけ触れておこう。彼は、日本の民衆を基本的に愚民と見ている。「耶蘇教は仏教程ではないけれども矢張り陰気臭い。アーメンなどという情けない声を出して如何にも哀れそうに言うのは往かぬ。・・・私は先年京都に行って東本願寺の本堂を見たことがあります。そうしたところが其処に信者が集まって来ましたが、見渡す所それは皆愚民です。」(「古風の宗教と現代の哲学」)

彼はまた、明治国家における国体概念の宣伝係であるはずなのに、このようなことも平気で述べている。「とても歴史上の事実と見られぬことがたくさん日本の神話の中にもあります。もしもあれをことごとく事実と見たならばよほど困ることが起って来るのであります。・・・(九州にいた)熊襲よりいっそう優秀なる天孫民族(現在の天皇の先祖)がどこからか船で来て上陸したのであろう。」(「日本民族の起源に関する考証」)幸徳秋水らが弾圧されても、井上哲次郎らは言いたい放題であった。

井上は、日本人は雑種であるとはっきり主張している。「天孫の優秀なる権勢によって、種々なる民族がことごとく征服され、統一されて、日本の国家というものが始めて立派に成り立つようになりました。・・・そういうわけで、日本国民の統一ということに対しては、(現在)かかる異民族が日本領土内に居るからというて、少しも妨げ無い。これらは皆、教育によりて、日本民族の風に同化されてしまうべき者である。・・・これを教育上から見ますると、国民の統一ということは、立派に主張のできる事で、これが本当に日本の国体の付属性の一つをなしている大事な点であると考えます。」(「国民道徳概論」)

国民道徳の樹立者の一人であった井上哲次郎はさらに、日本の国体の独自性を強調しながらも、「祭政一致はすでに過去のことに属し、今日ではとてもこれを国体の一属性と見る程ではない」」と言い切っている。そして「ただただ国体の基礎たる万世一系の皇統においてさえ、変わり無ければよいのであります。」(「国民道徳概論」)

井上哲次郎は、科学と道徳教育つまり洗脳教育だけを信じていたのかもしれない。彼は、神道をも含めてあらゆる宗教を軽んじていたのであろう。日本列島にきわめて古い時代から流入してきた様々な(ゆるい意味での)民族が、いわゆる天孫民族の支配化におかれて、天智天皇と天武天皇の時代に日本という中央集権的な国家が樹立されたと考えることができる。このように考えられた歴史にかんがみて、井上哲次郎は、明治以前から日本列島に住む民衆や、新たに日本に移住してくる外国人や、日本の海外領土に生活する準日本人を、ともに愚民と見て、このような人々に等しく「日本国民」としてのアイデンティティをもたせるために、万世一系の皇統を欲したのであろう。

しかし、時代の流れは、「皇統」の概念を、国家を思想的に安定させるためのひとつの合理的な方便で済ませることはもちろんできなかった。

21世紀の今日、中等教育などの現場やジャーナリスティックな活動において、以上のような井上の教育思想が姿を変えて復活しないと誰が言えるだろうか。

幸徳秋水のいわゆる大逆事件の後、明治45年、井上は自分の『国民道徳概論』を改定増補し、積極的に「社会主義、共産主義、過激主義、無政府主義、サンヂカリズム」に攻撃を加えるようになる。たとえば「マルクスの資本論であるとか、またマルクスがエンゲルスと共に起草した共産党宣言であるとか、そういうものが社会主義者の拠り所となっておる。・・・そのなかには、私有財産の撤廃、婦人共有制の主張、これは主張するまでもないと言って、その当然なる事を論じておる。」

このような井上の考えが道徳教育の指針となる一方で、幸徳秋水と堺利彦の『共産党宣言』は禁じられ、戦後になるまで人々はそれを読むことができなかった。わたしは、十分な準備をととのえてから、幸徳と堺の英語版からの翻訳と、堺のドイツ語版からの翻訳をその全文にわたって検討し、その結果をこのブログで発表していこう。『共産党宣言』は私にとって、廣松の言う「心の書」ではないが、思想の或る限界=極限を指し示している稀有の書物だからである。

幸徳秋水、堺利彦訳『共産党宣言』、ドゥルーズの「副次的矛盾」、「原国家」という訳語、私の研究計画(1)

ようやく体力が回復してきたので、ブログを再開したい。とにかく少しずつ連続的に書いていこう。『差異と反復』の注釈を続ける前に、翻訳という作業の難しさと、今後の私の研究計画に触れておきたい。

かつて幸徳秋水が、「翻訳の苦心」という小論文で、翻訳の難しさとその重要性を述べた。「或る専門語、述語などで未だ訳語の極まらぬものに出会った時の苦心は一通りでない。・・・ブールジョアジー(Bourgeoisie)という語の如き、是まであるいは中等市民と訳し、あるいは資本家、あるいは富豪、あるいは紳商などと訳してみたが、如何にしても社会主義者のいわゆるブールジョアジーの意義を完全に顕すことが出来ぬ。予は数年前、堺枯川と『共産党宣言』を訳した時、両人で種々の相談した末に、ついに「紳士閥」と訳することに折合った。」

これは、昭和四年発行の「幸徳秋水集」(改造文庫)からの引用である。以前この本を通販で古書店から手に入れたのは、「幸徳事件検挙のいとぐち」という題の新聞記事(昭和六年三月十五日)が「おまけ」で付くという宣伝文句があったからである。郵送されてきた本を開くと、たしかに六段にわたる記事の切抜きであった。赤鉛筆で「信毎、朝日」という書き込みがあっが、記事の冒頭に、「幸徳秋水一味」の「不ぐ戴天の大逆事件」は「とりわけ信州人には印象が深く・・・」とあるので、信濃毎日新聞社の記事ではないだろうか。

この古書には、これを買い求めたと思われる人物の書き込みもあった。「一生の反逆児幸徳秋水 何が彼をしてかくなさしめたか? この書によりて聊(いささ)かなりともそを眺めん。・・・於長野河原書店求之」

こうした書き込みや記事を見ると、当時の多くの日本人たちは、幸徳秋水や社会主義、共産主義を危険なものとみなしていたようだ。なぜ、そうであったのか。

当時の日本人の多くは、思想的には、どのような人たちであったのだろうか。そして現代の日本人の多くは・・・。

幸徳自身は死刑の直前、堺利彦に宛てて、こう書いている。「いよいよ四十四年の一月一日だ。鉄格子を見上げると青い空が見える。・・・去る十一月末、兄が伴うて(母が)面会に来た時に、思うままに泣きもし語りもしてくれたなら左程にも無かったろうが、一滴の涙も落とさぬまでに耐えていた辛さは非常に骨身にこたえたに違いない。・・・今度の大罪にも無論非常の苦痛を感じたであろうが、しかしこれは僕の迂愚から起こった事で、一点私利私欲に出でなかった事だけは母も諒してアキラメてくれたろうと思う。・・・万々一ホントに(母が)自殺したのなら、その理由は一つある。即ち僕をしてセメてもの最期を潔くせしめたい。生残る母に心をひかされて女々しく未練らしい態度に出でないようにとの慈愛の極みに外ならないのだ。・・・長々と愚痴ばかり並べて済まなかった。許してくれ。モウ浮世に心残りは微塵もない。不幸の罪だけは僕は万死に値いするのだ。」

言うまでもないことだが、明治維新から急速に政治権力側は資本主義の方向でつまり富国強兵を目指して西洋的近代化の道を突っ走り、他方同時に、平民や士族のなかに社会主義の方向で貧困を克服する活動に殉じた人々がいた。

では、繰り返すが、政治権力や資本主義のエリートではなく、社会主義の活動家でもなかった日本人の多くは、思想的にはどのような人たちであったのだろうか。

ともあれいまは、マルクス、エンゲルス著『共産党宣言』の幸徳秋水と堺利彦の訳について、少しばかり報告しておきたいことがある。

彰考書院版の『共産党宣言』(二〇〇八年)の「一九五二年版 例言」にこう書いてある。
「一、この書『共産党宣言』は一九〇四年、秋水幸徳伝次郎、枯川堺利彦によって『平民新聞』紙上に、わが国で初めて訳出され、それは今日もはや、古典に属している。」
「一、この版は、幸徳の刑死後、『平民新聞』紙上に訳載された初訳稿に、堺枯川が幾たびとなく推敲に推敲を重ね、一九三〇年、やがて合法出版の可能となる日を期しつつ、ひそかに大学ノートに記載してあった草稿を原本とした。」

さらに、同書の「復刊にあたって」では、こう書かれてある。
「・・・彰考書院版が世に出た時点で堺は亡くなっていたので、いわゆる「著者校正」は経ていない。また、彰考書院版のテキストとなったのは、「堺利彦による手書き原稿」ではあるが、実は、堺の直筆によるものではなく、その夫人が清書したものだった。・・・その「清書版原稿」は、彰考書院が所有していたが、同社の経営が傾いた際に、資金繰りのため売られたとのことである。現在、誰が所有しているのか、はたして現存しているのかも含め、分からない。」

ところが、その堺利彦直筆の原稿のコピーと見られるものが、法政大学図書館に一般図書扱いで所蔵されていたのだ。

明治時代の政治権力側のいわば思想・教育エージェントたる井上哲次郎の『国民道徳概論』にある粗雑な共産主義解説(たとえば女性の共有)を、『共産党宣言』における叙述と比較するために、昨年私は、法政大学図書館で『共産党宣言』の各翻訳を探していたとき、「共産党宣言、/ マルクス, エンゲルス共著 ; 幸徳秋水, 堺利彦共訳、出版地不明 :出版社不明」という情報が出てきたので、書庫に入ってこの本を探し、そして見つけ出した。これは、便箋のような用紙に手書きで書かれた原稿のコピーを閉じたものである。内容は、ほとんど彰考書院版と同じである。

堺の『日本社会主義運動史』には、こう書かれている。
「・・・他の多くの社会主義的出版物と共に、一切禁止されてしまい、今日でも『宣言』だけは、やはり厳重な禁止である。もっとも、その後、幾回も、何人かの手により、それの秘密出版が行われている。そしてそれは、後に堺が写本として世に出した所の、ドイツの原文からの訂正増補訳を採用している。」

おそらく、法政大学にある上記の『共産党宣言』の翻訳本は、この秘密出版された原稿のコピーではないだろうか。ただし、誰がいつコピーしたのかは不明である。

私は、当初「平民新聞」に掲載された英語版の『宣言』の翻訳も重要であると思っている。『共産党宣言』のドイツ語版は皮肉や逆説を駆使した文章で書かれている。とくに、「女性の共有」に関しては、「平民新聞」掲載の英語版の翻訳のほうが誤解を招かないだろう。

私は、共産主義者ではないが、何らかのかたちで、「平民新聞」版と法政大学図書館版の幸徳、堺訳『共産党宣言』を世に出したいと思っている。

さて、幸徳の「翻訳の苦心」は、僭越ながらドゥルーズの『差異と反復』を訳した私の苦心でもある。たとえば私は、「副次的矛盾」という訳語を創作した。これの言語はvice-dictionである。そしてこの訳語に文句をつける者は多い。「副言」とか「副論」にしろなどと言う者もいる。しかしこれは、ドゥルーズのお宅で受けた教示によれば、ドゥルーズの造語であり、いわゆる「かばん語」である。

他方、ドゥルーズ、ガタリの『アンチ・オイディプス』つまり『アンチ・〈エディプス・コンプレックス〉』において「原国家」と訳されているUrstaatという語も彼らの造語である。ただし「かばん語」ではない。

次回は、この「副次的矛盾」と「原国家」の意味を論じよう。「副次的矛盾」の概念が弁証法の論理に対立すること、そして「原国家」の概念を明治時代における新国家建設の諸思想に見る可能性があるかどうか、これに触れてみたい。

『差異と反復』注釈再開1

胃の粘膜下腫瘍と便潜血をさらに精密検査するため、先日、口と肛門から内視鏡を入れて精密検査をしてもらったが、悪性ではないとの診断であった。今後は様子を見ていくほかはないとのことである。無理はできない体になったようだ。

気がつけば私は、西洋哲学の呪縛が解けてしまったようだ。同時に私は、「日本的なもの」という強迫観念からも解放された。

だからといって、西洋思想や「日本的なもの」と疎遠になりたいわけではない。むしろ、哲学、思想、「日本的なもの」を、人間的かつ自然的「現象」として分析したい。

歩みはのろいが、まず、ドゥルーズの『差異と反復』の注釈を再開しよう。
ラカンの「〈盗まれた手紙〉についてのセミナー」の翻訳と注釈については、ある程度まとまったものを、来年の夏過ぎに、まず法政大学の公式の雑誌で公表してから、このブログに再録したいと思う。
ハイデガーの『存在と時間』についても、少しずつ解釈していこう。

戦前の「国民道徳」という現象については、もっと広く深く調査してから本格的に論じたい。そのとき、国民道徳の合成要素としての西洋思想と東洋思想が分析されるはずである。その間、考えた事を折に触れて書いていこう。

「楽浪幻想」の記事も中断してしまった。ところで、私はなぜ万葉集のなかの「楽浪」とい漢字を問題にするのか。

「国民道徳」においては、「明治維新」は「大化の改新」の反復とみなされている。改新を完成した天武朝で編纂された「古事記」、「日本書紀」は、天武天皇を神格化する書である。「万葉集」にもその傾向をもつ歌が収められている。「国民道徳」は、この三つの文献に「日本的なもの」を見出そうとした。だが、それらはすべて漢文あるいは漢字で書かれている。

いつか述べたように、日本における漢字使用能力は天武朝にピークを迎えた。隋から帰国した留学生たちや、何よりも日本にたどりついた、あるいは日本が迎え入れた漢人の末裔たちの力が大きかったと思われる。

「万葉集」において、「ささなみ」という「やまとことば」で読ませる「楽浪」はまた、「楽浪郡」の「楽浪」でもある。天武朝を称える役割を与えられた楽浪の末裔たちが、滅亡した「ささなみ」の近江朝に、滅亡した楽浪を読み込むことができたとすれば、かつて記紀、万葉集に求められた「日本的なもの」とは、いったい何であろうか。

この私の話は、たとえば丸山眞男の言う「超国家主義の論理と心理」とは何の関係もない。シュミット、ホッブズ、トーマス・マン、ヘーゲル・・・がどうしたというのだ。私は、ヨーロッパ近代思想を手本にして「国民道徳」を分析したいわけではない。丸山はすでにさんざん批判されていることだし、あらためて私があれこれ言う事もないだろう。

誤解されるかもしれないが、私は、戦前の「国民道徳」を人間的かつ自然的「現象」として分析するつもりである。

さて、ドゥルーズ哲学をドゥルーズ現象として注釈しよう。

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『差異と反復』
翻訳                                   注釈
 
第二章 それ自身へ向かう反復                 

反復、それは、何かが変えられること

 【段落1】反復は、反復する対象に、何の変化         【段落1】この最初に登場する「反復」は、物理
ももたらさないが、その反復を観照する精神に        現象としての反復である。後で例示されるように、
は何らかの変化をもたらす。ヒュームのこの有        物質たとえば時計や鐘が発する振動を指す。
名なテーゼは、わたしたちを問題の核心に連れ       ヒュームにおける「チックタック、チックタック・・・」
てゆく。反復には、権利上、提示=現前化され       という反復の「チックタック」が事例、ベルクソンに
る個々のものはそれぞれ完全に独立している        おける「チック、チック、チック、チック」の「チック」
という意味が含まれている以上、どうして反復        が「要素」とされている。「権利上」という表現は、
は、反復する事例や要素に何らかの変化をも        後で「論理上」と言い換えられている。物理的反復
たらすことがあろうか。反復における不連続性        においては、先行する事例や要素は、後続する
と瞬間性の規則を定式化するなら、それは、〈        それらに影響を与えないという、いわば論理的な
一方が消えてしまわなければ、他方は現れな        前提から、ドゥルーズは出発する。
い〉と表現することができる。
(続く)

満蒙開拓青少年義勇軍訓練所図書と「中央公論」昭和11年8月号

大正5年に文検試験委員に就任した亘理章三郎の『国民道徳要義』(昭和11年初版、昭和13年3版)という古本を注文し、9月末に手に入れた。早速封筒から取り出し表紙を開いてみて驚き、深く鈍い打撃を受けた。そこには、「満蒙開拓青少年義勇軍訓練所図書之印」という印影があった。そして本の背には、整理番号のラベルが貼ってあった。ほかに「義勇軍図書室」という印も押されてあった。おそらく、茨城県にあった「内原訓練所」の図書室の蔵書であろう。

満州北辺で滅んだ「満蒙開拓青少年義勇軍」に関する本は、CiNiiで検索するとすでに60冊ほどあることがわかる。ネットには1万7千件以上の記事が出ている。

「満蒙開拓青少年義勇軍訓練所」にあった『国民道徳要義』という本が、どうして私のもとにやって来たのだろうか。

なぜ、私が最近になって戦前の「国民道徳要領」試験に関心をもつようになったのか、そのわけは自分でもよくわからない。だが今、手もとに届いた『国民道徳要義』に残る朱の印影「満蒙開拓青少年義勇軍訓練所図書之印」がその答えを運んできたようだ。少年たちを義勇軍に仕立て上げてしまう「道徳」を、つまり少年たちに戦って死ねと教える「道徳」を研究せよと、私に呼びかけていると思えてならないのだ。

「満蒙開拓青少年義勇軍訓練所図書之印」から何か声が聞こえてくるようだ。

『国民道徳要義』と同時に、「中央公論」昭和11年8月号も届いた。2・26事件の判決に関する特集号である。その巻頭論文は三木清の「日本的性格とファッシズム」である。

この論文の末尾で、三木はこう書いている。「嘗て西洋の哲学者が神に対して死を宣告したように、我々は東洋的「自然」に対して消滅を宣告すべきであろうか。かかる問題に対して根本的に対質することに日本的性格とファッシズムの問題は集中するのである。」

三木は周知のように、大学の教職を奪われた後、ジャーナリズムで活躍する。そして、まさに当時のジャーナリズムが、戦前の知的、文化的状況をナマで伝えてくれる。

私が大学生になって最初に買った岩波新書は三木清の『哲学入門』である。そして今、三木が在職していた法政大学で哲学の授業を受け持っている。

三木清が俺を研究せよと、ジャーナリズムを通じて戦前のイメージをつくれと、そして日本の自称哲学者たちに何ができたのかを研究せよと、私に呼びかけているのだと思いたい。偶然は必然のひとつの姿であるからだ。

「楽浪幻想」や「国民道徳」、そして新たに着手する「三木清研究」に関する記事の執筆は、1年後に再開したい。1年かけて、戦前の雑誌、たとえば「中央公論」や「改造」などの様々な記事をすべて読み、敗戦にいたる時代の知的・文化的変化のあり様を把握しなければならない。

したがって、次回からは、ドゥルーズ、ラカン、ハイデガーを、逐条的に追っていこう。ハイデガーに対するラカンの関係、ハイデガーとラカンとに対するドゥルーズの関係をも視野に入れて。

ドゥルーズのハイデガー批判を、可能なかぎり、「ふつう」の日本語で追究していくつもりである。

楽浪幻想10:万葉集 日本書紀 国民道徳要領・・・網状関係性の流れを遡る:我妻榮と和辻哲郎

ようやく8月24日にダヴィド=メナールの『ドゥルーズと精神分析』の初校の校正が済んだ。治療としての精神分析を標榜するダヴィド=メナールは強烈なドゥルーズ批判を展開する。私は、翻訳者としてできるかぎり著者の意を汲む努力をしながら、ドゥルーズの徒としては訳注でドゥルーズを擁護するという、分裂した立場で翻訳の作業を進めなければならなかった。

ところで、『ドゥルーズと精神分析』の校正が終わりに近づいた17日に、木田元先生の逝去を知った。私がドゥルーズの翻訳に携わることができたのは、ひとえに木田先生のおかげである。お悔やみを申し上げます。

そして25日には思いがけず、雑誌『現代思想』編集部から、木田先生の追悼号を出すので私にも何か書くようにとの依頼がきた。私は木田先生のことは何も語らずに死ぬつもりでいたので逡巡したが、結局この依頼を引き受けることにした。引き受けたものの、さて何を書くべきか・・・。

仕舞の稽古を3ヶ月も休んでいたが、今月(9月)から復帰できる。11月には舞台で『経政(つねまさ)』を舞うことができるはずだ。世阿弥は足利義満の寵を受けたのが、幕府を称える曲はひとつもない。武士を主人公とする曲のほとんが敗軍の将の死後の苦しみ描く。『経政』でも、修羅道におちいり嘆き苦しむ平経政が主人公である。

                   ∴

何もかも中途半端な記事で終わっている私のブログだが、ようやく翻訳から解放されて、今月下旬からはブログの記事執筆に専念できるだろう。今後、私のブログは二つの柱で構成されることになる。

ひとつは、ドゥルーズ、ハイデガー、ラカンの注釈。エス、時間、偶然、自然などをめぐって。フランクフルト学派における「自然」も問題にしなければならない。

もうひとつは、大正五年から、中学校、師範学校、高等女学校教員検定試験(文検)の全受験者に原則的に義務づけられた「国民道徳要領」試験の内容を材料にして、当時の政府が「日本国民」に叩き込もうした「国民道徳」を分析すること。

中等教員の教育対象は十代半ばの少年たちである。そして、この「国民道徳要領」試験の内容は主に東京帝国大学の教授たちの学説にもとづいている。「国民道徳」の分析によって、明治維新から太平洋戦争敗戦にいたるまでの官製イデオロギーの生成と変化を具体的に再現できるはずである。

戦前の個々の知識人たちの思想・考えを時系列にしたがって羅列しても、必ずしも戦前の「日本国民」の意識を表現することにはならないだろう。大多数の国民は、いわゆる知識人が書く高尚で難解な思想書を読むことはないと言ってよいだろう。

私は、国民という言葉で、一様に素朴で善良な人民という平板化された概念を指し示すのではない。だからといって国民が単純に愚かだと言いたいわけではない。国民も複雑であり、その意識の構成も複雑である。

立法と行政が国民生活を方向づけるにもかかわらず、大多数の国民は立法過程を知らず、行政の裏側を知らない。では、哲学や思想を研究する大学教授たちはどうなのだろうか。「国民道徳要領」をめぐって、戦前の状況を追究できるだろう。

我妻榮は、敗戦直後の昭和23年に成立させた改正民法、すなわち婚姻の自由および家庭生活における男女の平等を骨子とする新民法に関して、和辻哲郎をとりあげながら、彼をやんわりと批判している。逆に言うなら、ふつうの国民の気持ちは取りあげられていない(我妻榮『家の制度――その倫理と法理』)。

立法に直接関与した者のなかでもっとも良心的な法学者の一人だと思われる我妻榮は、「敗戦の後、わが国の社会に存する封建的なものを払拭して民主化をはからねばならないという要請に迫られたときに、多くの人は、主として政治と経済と文化の領域における民主化を考え、家庭生活の民主化が更に一層重要なものであることを意識しなかった」と書き始めている。

「家庭生活の民主化が更に一層重要なものである」というのは、この上なく正当な主張である。しかし、民主化にさいしてそのことを「多くの人が意識しなかった」というのが本当であれば、「多くの人」は奇妙であり愚かであったと言わなければならない。

家父長制にもとづく家族制度がほかならぬ戦前の「国民道徳要領」の根幹をなしており、この家族制度を自由と平等の原則にしたがって改正することは、とりもなおさず「国民道徳要領」を破壊することである。「多くの人」は、そのことをむしろ「意識したくなかった」のではないだろうか。

我妻はこうも書いている。「議員やいわゆる識者のうちには、憲法草案の右條項(第二十二條、婚姻の自由、家庭生活における個人の権威と男女同権)を目して、わが国の家族制度を破壊し、親族間の倫理を紊すものだとする者がむしろ多かった。天皇制の廃止ににも比すべき一大革命だと憂いた者さえ少なくなかった。」このほうが事実に近いろう。

ともあれ、私が注目するのは、我妻榮が和辻哲郎を取りあげていることである。我妻は和辻の『倫理学』の「人倫的組織」の章を読み、結局、和辻は家族共同体の本質的な意義を、夫婦共同体(性的共同体)に置くのか、父母子共同体や兄弟共同体(血縁共同体)に置くのかが曖昧であるとしている。

しかも、法律上の「家」がまた「観念上正当な家族」として認められているという和辻の主張に対して、我妻はまさに法律上の「家」が正当な家族であるかどうかこそを吟味しなければならないと批判する。人為的に定めた法(実定法)がはじめから悪法であることもあるし、時代の変化とともに失効することもあるからだ。

和辻の『倫理学』は、まず昭和12年に出版され、昭和17年に大幅に拡大され、昭和21年3月に修正や変更が加えられた。つまり、和辻は、敗戦後の民主化の波が避けられないことを知って、おのれの『倫理学』に多少の修正を加えたのだが、彼の頭にあった法律上の家族制度は原則的に戦前の家父長制のそれであった。

事実、和辻は、『倫理学』のなかで、文検の委員であった吉田靜致の「(精神生活の)同円異中心」という概念を肯定的に取り上げ、それを弁証法もどきの理屈によって修正を加えようとしている(『和辻哲郎全集第十巻』岩波書店、p18~19)。「同円異中心」を論じている吉田靜致の『人格の生活』(大正13年)は、文部省の命令によって中等学校教員に向けて行われた講演をもとにして書かれた本である。

和辻は、吉田靜致の「同円異中心」の概念に、ハイデガーの「世界内存在」の概念を接続している。ドイツ語の単語をこれでもかと並べながら、浅薄な、それだけに分かりやすく思われるであろうハイデガー解釈を繰り広げる。

和辻は誰に向けてこの『倫理学』を書いたのだろうか。まずは、当時の大学人を意識していたのはたしかだろう。だが和辻は、一見わかりやすそうに思われる文章によって、知的大衆から称賛されるすべを心得ていたのかもしれない。

たしかに、獄中で死ぬことになる三木清の『唯物史観と現代の意識』(昭和3年、岩波書店)の文体を難しく感じる読者にとっては、和辻の文体は分かりやすいと感じるだろう。すなわち短い文章で常識的なことと専門的なことを織り交ぜながらダラダラと書いていく独特の文体によって、何か高尚な結論を与えてもらった気がして満足する読者もいるだろう。

我妻に戻ろう。我妻は、民法改正にあたって、なぜ和辻を取りあげたのだろうか。

我妻はこう書いている。「家族制度は法律的な制度であると同時に道徳的な制度である・・・。それなら、わが国の倫理学者や教育者はこの制度を如何にみているであろうか。」

我妻によれば、明治20年代の末と大正の中葉に、倫理学者や教育者をも巻き込んで、民法と道徳の関係が問題になった。明治の場合は、家族倫理は法律によって詳細に規定すべきではないという主張がなされ、大正の場合は、反対に「教育の効果を挙げるためには法律制度の改善を必要とするという前提の下に、わが国の倫理の基本をなす家族制度を軽視する法律の改正」が求められた。

したがって我妻は、敗戦後に民主的な民法をつくるあたって、やはり倫理学者の考えを参照しなければならなかったのだろう。そこで、「人倫的結合の本質を深く反省し、欧米の学者の説を充分に理解しながら、わが国の家族共同体の有する人倫的意義の特色を指摘する学者として、和辻教授を挙げることに、何人も異論はあるまい」として、我妻は和辻の「倫理学」を参照した。

参照といっても、おそらく、はじめから和辻を叩くために彼を取り上げたのだろう。戦前の国民道徳をひそかに引き継ごうとする倫理学の権威者和辻を叩くことによって、「国民道徳」を一掃できるからである。

ところで、我妻が民主的な民法をつくろうとしたのは、敗戦後のアメリカの要請によることだとしても、その背後に「日本国民」の健全な道徳意識を見ていたのだろうか。我妻は、権力に屈しない国民の穢れなき生(なま)の意識を問題にしたのだろうか。あるいは、国民には、権力とその道化師たちによってつくられる意識しか存在しないと考えていたのだろうか。

私は、このブログで、当時の政府が「日本国民」に叩きこもうとした「国民道徳」を分析し再現する過程において、国民の生活意識、道徳意識の複雑な構成過程を探求するつもりである。


ところで、このグログの記事の題名に「日本書紀」が含まれているのは、「国民道徳要領」が、「明治維新」を「大化の改新」の反復と教えているからである。ともに中央集権国家の樹立のための革命的クーデターである。そして、中央集権国家のイデオロギーの書がほかならぬ「日本書紀」である。

しかし、「日本書紀」は戦争賛美の書物ではない。中央集権国家の確立の過程において殺されていった者たちを悼む書物でもある。そして、海外における日本の領土的権益の最終的な断念を宣言する書物でもある。

謡曲の修羅物も、日本書紀も、その死者への哀悼においては、たとえば保田與重郎らの図々しい敗者の美学らしきものとは何の関係もない。

楽浪幻想9:国家論 坎為水

メナール『ドゥルーズと精神分析』の翻訳に手間取ってしまった。メナールの文体およびその主張と格闘したと言ってもよいほどだ。7月中には脱稿できると思う。この翻訳の作業を通じて、「或る意味で」、あらためてドゥルーズ自身の諸テクストの改訳と注釈に力を入れる必要性を痛感した。

ドゥルーズの実質的な処女作は『経験論と主体性―――ヒュームにおける人間的自然についての試論』である。ドゥルーズは、いわゆる社会契約論を批判するヒュームに深い共感を抱いている。そして1968年のパリ5月革命の後、一種の社会主義者ガタリとともに、反精神分析の立場から『アンチ・オイディプス』を書く。ロールズなどとは異なる次元で差異の思想を展開するドゥルーズの社会契約論批判は、当然研究されるべきテーマである。

ところで、戦前の日本では、社会契約論は、言うまでもなく反デモクラシーに与する知識人たちから批判的に扱われていた。たとえば法哲学者・尾高朝雄は、『国家構造論』(昭和11年)において、社会契約論を国家成立論としては却下している。

尾高は、カール・シュミットにおける「憲法定立権力」の根本的性格を肯定する。「権力」と訳されているドイツ語は、Gewaltである。Gewaltは「暴力的強制力」をも意味する。そして尾高は、暴力における理念の現実化を力説する。

尾高は、『岩波講座・倫理学 第七冊』(昭和16年)に「国家哲学」を寄せ、こう述べることができた。「今日の独裁主義が、民主主義の政治を以て猜疑の政治であると非難し、国家活動の重点を信頼の政治に求めたのは、政治上の誇張は別として、原理的に肯定されて然るべき主張であると言ってよいであろう。・・・・これに反して、独裁制は、その本質上非常時向きの国家体制で・・・・失敗に対する強靭性に乏しく、・・・・常に平衡を保ち得るだけの復元力を持たない。・・・・「天皇中心」は、日本国体の根本義の第一である。・・・・天皇は、・・・・「神格」を以て統治の大権を総攬し給う「現人神」である。」

尾高はこのように述べて、日本の政治は、民主主義でもなく独裁主義でもなく、まさに「信仰」の政治であると主張する。

この頃、「全体主義体系」というシリーズが刊行されている。そこでは、「我々にとって必要なことは、現代における全体主義の普遍的な意義、その歴史的必然性を掴むことである」と宣言されている。その一冊に『国家・議会・法律』があり、シュミットの諸論文が集められている。訳者は、堀真琴と青山道夫である。堀は、戦後になってから、社会主義者として活躍した人物である。

他方、尾崎秀実は、昭和18年つまり死刑の前年、獄中から妻に、古事記、日本書紀、神皇正統記、本居宣長や平田篤胤の本の差し入れを頼んでいる。

私は、戦前の日本人や出版社を非難したいわけではない。私の関心は、なぜ日本の社会がひとつの傾向に支配されてしまうのか、これを明らかにする方法を追究することにある。

さて、話は大きく変わるが、昭和5年に、東京帝国大学文学部から『楽浪』という素晴らしい本が出版された。現在の平壌 の近くにあった楽浪郡治の発掘調査の記録である。その60頁に「式占天地盤」の出土が記されている。そして「図版112」として、その復元図が示されている。

その復元図によく似た図を、ネットで見ることができる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%8F%E7%9B%A4
ttp://www.geocities.jp/yamauo1945/tatezuna.html
式占天地盤とは、「周易」のいわゆる後天図にもとづく占い用の器具である。

日本書紀の記述によれば、663年白村江で唐に敗れた日本は、その後9年間断続的に、郭務悰らが率いる唐軍に駐留されたのだが、671年末に天智天皇が亡くなり、672年に郭務悰らが日本を引き揚げるやいなや、大海人皇子(天武天皇)は挙兵を決意する(壬申の乱)。

吉野を脱出した大海人皇子(天武天皇)が横川の近くに着くと、天が不吉な黒雲に覆われた。そのとき大海人皇子(天武天皇)は、「式」を手にとってみずから占ったとある。

現在、この「式」を「筮竹」とする『日本書紀』がいくつか出版されているが、これは「筮竹」ではなく、まさに「式」、すなわち「栻 」であり、つまり陰陽師が用いた「式盤」であろう。私は、この「式」を、楽浪から伝えられた「式占天地盤」と夢想している。

さて、私は、この「式盤」をもっていないし、その使い方も知らない。そこで、メナールの翻訳に疲れてしまったいま、私は、やはり楽浪の漢人の末裔から伝えられたはずの「周易」によって占いをしてみた。

その結果、「坎為水」の、「六四」の爻(こう)を得た。

「坎為水」の「卦辞(卦の意味を教える言葉)」は「習坎有孚維心亨行有尚」である。

これを訳す。「坎(穴、困難)が重なる。孚(まこと)有れば、心は亨(とおる)。行けば、尊敬を受ける(優位に立つ)。」

六四の爻(こう)は「樽酒簋貮用缶納約自牖終无咎」である。

これを訳す。「樽酒(たるざけ)に、簋(き、すなわち穀物を入れる竹の器)が添えられてある。缶(ほとぎ、すなわち水などを汲む素焼きの器)を用いる。牖(明り取りの窓)より約(ひしゃく)を入れる。終りにおいて无(とが)は咎(ない)。」

解釈。「儀式は質素な樽酒と食物と食器でよい。むしろヒシャク(約束)を心の窓に入れよ。最後にはうまくゆく。」

楽浪幻想8:万葉集 日本書紀 国民道徳要領・・・網状関係性の流れを遡る:ドゥルーズ/ガタリ、マルクス/エンゲルス、尾高朝雄、我妻榮、和辻哲郎、吉田靜致、尾崎秀美、大西祝・・・

現在、メナール『ドゥルーズと精神分析』の翻訳にほとんどの時間を費やしている。この『ドゥルーズと精神分析』には、アルテルカシオン(altercation)という副題がついている。アルテルカシオンとは、「激しい口論」、「口げんか」を意味する。この本のなかで誰と誰が口論するのかは、あまり明確ではないのだが、少なくともドゥルーズに対する精神分析家メナールの敵意は読み取ることができる。面白いドゥルーズ研究書だ。けれども、正直言って、メナールの厄介な文体にてこずっている。

ブログにとりかかる時間がなかなか取れない。少し考えを変えて、翻訳の作業のあいだは、メモ風の記事を少しずつ書いていこう。深作安文からの引用も途絶えているが、翻訳が終われば、深作をも含めてもっと大きな視点から国民道徳に対応することができるだろう。

                        ∴

ドゥルーズとガタリの共著『アンチ・オイディプス』は、ガタリ的社会主義の観点が強く打ち出されている著作だ。

その『アンチ・オイディプス』の第三章の題名は、「野生人、野蛮人、文明人」である。しかしこれは、アメリカの文化人類学者ルイス・モーガンの『古代社会』における「野蛮人、未開人、文明人」(岩波文庫、L.H.モルガン『古代社会』の訳語)を指している。

『アンチ・オイディプス』の「野生人」は『古代社会』の「野蛮人」を指し、前者の「野蛮人」は後者の「未開人」を指している。「文明人」は同じである。(『アンチ・オイディプス』の訳者が、なぜ『古代社会』の訳語を変更したのかは、不明である。)

モーガンはこう語る。「・・・人類の存在は無限に後方に拡がるのであり、広漠深遠な太古の中に消えている。この知識は、野蛮人と未開人との関係ならびに未開人と文明人との関係に関してこれまで一般に行われていた見解を実質的に変更する。未開が文明に先行したことが知られているように、人類のあらゆる部族において、野蛮が未開に先行したことが、いまや信頼しうる証拠にもとづいて主張しうるのである。人類種族の歴史は、根源において一であり、経験において一であり、進歩において一である。」

人類は必ず野蛮(savagery)から未開(barbarism)を経て文明(civilization)に至ると、モーガンは考えた。このような一元的、進歩主義的歴史観を打ち立てようとしたモーガンの『古代社会』は、現在、人種差別主義を支えるものだと批判されている。だが、マルクスとエンゲルスはモーガンを高く評価していた。
(続く)

                     ∴
万葉集に戻る。

12、ささなみ=神楽聲浪(巻七 1398)
原文:「神楽聲浪之 思賀津之浦能 船乗尓 乗西意常不所忘」
漢字仮名交じり文:「楽浪の 思賀津の浦の 船乗りに 乗りにしこころ つね忘らえず」
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プロフィール

財津理

Author:財津理
思想研究家
法政大学教授

主な翻訳(共訳を含む)
ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
ドゥルーズ『経験論と主体性』(河出書房新社)
ドゥルーズ/ガタリ『哲学と何か』(河出書房新社)
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局)
モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(河出書房新社)
メルキオール『現代フランス思想とは何か』(河出書房新社)
メルキオール『フーコー 全体像と批判』(河出書房新社)
オニール『言語・身体・社会』(新曜社)

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